現実逃避

春雷

現実逃避

「俺、カレー嫌いなんだよな」

「へえ、どうして」

「どうしてだろう。真剣に考えたことはないんだが」

「カレーは皆好きだからね」

「それでなのかな」

「それで?」

「皆が好きだから、嫌いなのかも」

「単なる天邪鬼ってこと?」

「そう言われるのも何か嫌だけどな」

「じゃあ決めつけられるのとか、レッテル張られるのが嫌なのかな」

「そうかもな。分類されるのとか。ゆとり世代とかいうけどさ、実際俺らは被害者だよ。別にゆとり教育にしてくれって頼んだ覚えないし。世代で括るなって」

「まあな。その気持ちはわかるけど」

「結局人は何かを分類して理解した気になって、そのまま放置して、何にも解決しないまま時の流れに身を任せるだけだ」

「うーん。全員じゃないと思うけど」

「そうかな」

「わかんないけど」

 部活の大会が今日は遠くの体育館で開催される。僕らはバスや徒歩を使ってその体育館を目指す。

「しかしよお、何であそこでやるんだろうな。もっと近場だったらこんな苦労しなくてもいいのに」

「仕方ないよ。僕らが決めてるわけじゃないし」

「そうは言ってもよ、俺ら大会出ないじゃん。応援だけじゃん」

「まあ、応援するためだけにこんな苦労するのはおかしい気もするけど」

「するだろ。もうやめるか? 行くの」

「部長に怒られるよ」

「その時は辞めてやるよ、こんな部活」

「実際僕とお前はそこまでの熱量ないからね。辞めてもいいかも」

「そうだろう?」

「うん」

 ひどく暑い夏の日だった。汗を何度も拭った。蝉の声がうるさかった。太陽が容赦なく僕らを照らした。

「後輩が入ってきてから、変わったよな。前はもっと軽い感じの部活だったのに。全員もっとやる気もなくてさ、馬鹿な話ばかりしてさ。もっと楽しかったよ」

「後輩が思いの他強かったから、さすがにこのままじゃいけないと思ったのさ」

「別にいいよ、後輩に負けたって。どうせいつかは自分より年下のやつに追い越されるんだ。不要なプライドだよ」

「後輩は優秀だからね。僕らより上手いし、賢いし」

「でも笑えねえ。頭が固いからな」

「ユーモアで勝ち誇っても仕方がないと思うけどね」

「まあな。俺も悔しさはあるのかもな。俺たちの一年は何だったんだ」

「一回戦で負け続けてたからね」

「全然突破できなかったな。でも笑えてた」

「今は本気で悔しがるようになったからね。部員全員」

「俺とお前以外の、な」

「まあ、うん」

 長く大きな橋を渡る。上を向きながら歩くと、何だか怖い。

「お前地学取ってたっけ」

「取ってるよ」

「じゃあ中野先生か」

「ああ。あの変な」

「やっぱり変だよな」

「変だね」

「ずっと黒板と喋って、何言ってるか全然わかんねえんだよ」

「字も汚くて読めないし」

「最悪だよ。テストは難しいし」

「何を考えてるんだろうね」

「生徒のことなんか考えてねえよ。あれは研究者タイプだ。本当は大学で研究し続けたかっただろうよ」

「何で高校教師に?」

「さあ。色々事情があるんだろう」

 橋を渡り終わる。大通りはまだ目の前に伸びている。僕らの道のりは長い。

「なあ、結局勉強してもさあ、根本的なことがわかっていないと意味がないよな」

「急にどうしたの?」

「いや、何のためにこんな苦労して勉強してるんだろうと思って」

「良い大学入って、良い会社に入るためじゃないの」

「うーん。まあ、そうなんだけど。何か変だなと思って」

「変って何が」

「それがわかっていたらこんなに悩まない」

「悩むだけ無駄なんじゃない。意味なんてないのかも」

「まあ、そんなものか」

 時々水筒をリュックから取り出して、飲む。

「あれ観た?」

「観たよ、あの映画のことでしょ?」

「ああ。誰と観に行った?」

「友達と」

「彼女じゃねえのか、つまんねえな」

「いないよ」

「あの展開、どう思った?」

「僕は面白いと思えなかったな。映画全体通して。何であんなに話題になっているのだろう」

「俺は面白いと思ったけどな。まあ、賛否両論ある映画なんだろう」

「どこが面白かったの」

「意味がわからないところ」

「僕はそこが気に入らなかったな。もっとちゃんと説明してほしいよ」

「真面目すぎるんだよ。もっと適当に捉えていいと思うよ。フィーリングで」

「監督の浅さだよ」

「絵も綺麗だし、ストーリーも滅茶苦茶だけど、何か訴えかけてくるものがあったよ」

「それはお前が過大評価しているだけさ。深読みしすぎている」

「そうかねえ」

 そろそろ到着だ。体育館が見え出した。

「これから何時間もあの暑い体育館の中で過ごすのか。最悪だな。帰りたい」

「仕方ないよ」

「隕石でも落ちて中止にならないかな」

「そんな荒唐無稽な」

「現実はもっと荒唐無稽でもいいのにな。作者に直訴したいくらいだ」

「現実の作者って誰なの」

 体育館に入る。設営も僕らの仕事だ。早速準備に取り掛かる。

「これも結局ボランティアだよな。給料出ないし」

「まあね。でも仕方ないよ」

 ネットを張る。設営はスムーズに行われ、すぐに終わった。僕らは軽くミーティングを済ませ、試合に出ない人は(僕と彼しかいないが)、上に上がって席に着き、応援の準備である。

「早く終わんねえかな」

「そんなこと言うなよ」

「自分が出ない地方大会ほど無関心なものはない」

「そうかもしれないけどさ」

「じゃあお前興味あるのか」

「僕はそもそもこの競技を好きじゃないから」

「俺以上に酷いな、それ」

「そうかな」

「俺はそこまで嫌いじゃない。ただ、他人の試合には興味がない」

「それもどうなんだろう」

「結局プレイヤーが一番面白いんだよ。観戦はつまらない。よっぽど凄い試合じゃない限りはな」

 大会の開始の挨拶があり、早速試合が始まった。

「大会の挨拶も不要だよな」

「偉い人にとっては必要なのさ」

「そうなのかねえ」

 試合は順調に進んだ。僕らも顧問に怒られながら、声を出して応援した。顧問が席を離れると無駄話を繰り返した。

「ちょっと外の空気吸ってくる」

 体育館の埃っぽい空気に嫌気が差した僕は、外に出て気分転換することにした。

 体育館の外にある自販機で三ツ矢サイダーを買い、飲んでいると、車が体育館前に止まった。ハイエース、という名前だったか。

 車のドアが開き、中から男たちが出てきた。皆目出し帽を被っている。明らかに怪しい。絵に描いたような怪しさだ。皆恰好も黒ずくめで、怪しさを振りまいていた。

 男は3人。運転席に一人残っているはずだ。彼らはアイコンタクトでタイミングを図りながら、体育館に入っていく。

 僕を無視して。

 やがて銃声が鳴り響く。男たちの怒号と、何も知らない人々の悲鳴が混ざり合う。状況は混乱している。男たちの狙いはいったい何なのだろう。

 男たちは体育館の外に出てくる。人質、だろうか。2人は人を抱えている。銃で撃たれたのだろう、その人質は二人とも血を流していた。

 一人は僕の友達だった。ここまで一緒に歩いて来た友達。

 僕は、体が凍り付いたようになってしまっていて、動くことができなかった。声を出すことさえできなかった。

 男たちはハイエースに乗り込んだ。その瞬間、車は動き出した。

 数分後、警察がやってきた。体育館の中に入り、事情を聞いて回っていた。

 僕は何とか体を動かせるようになったので、三ツ矢サイダーを飲みながら、体育館の周りを散歩していた。そしてふと、空を見上げた。

 隕石が迫っていた。

 空から熱を帯びながらここに迫ってくる巨大な隕石。隕石を生で見るのは初めてだった。僕は誰に呼びかけることなく、ただただ逃げた。恐怖で何も考えられなくなっていた。

 さんざん走って逃げている間に、三ツ矢サイダーはどこかに紛失してしまった。

 隕石が、落ちた。

 物凄い轟音とともに、爆風があった。周囲にある家々のガラスはすべて砕けて散った。道路を走っていた車もその衝撃を免れず、道路の側面や建物に叩きつけられた。

 僕はある程度体育館から離れていたから、軽症で済んだ。それでも、爆風の衝撃は身が竦むほど凄まじいものだった。

 僕は少し休憩したあと、走った。

 とにかく家に帰りたかった。

 頭の中で友達と交わした話を再生しながら、僕は走り続けた。

 消防車や救急車のサイレンが鳴り響く。

 僕はその音をかき消すように、別のくだらない空想を頭に思い浮かべることに励んだ。

「俺、カレー嫌いなんだよな」

「へえ、どうして」

 僕は現実を空想で塗りつぶしていった。友達が本当にいたのかどうかさえ、僕にはもう判断できなかった。現実はもはや意味を失い、空想だけが僕にとっての現実だった。

 橋が見えてきた。長く大きな橋だ。上を見なくとも、その橋は現実の象徴として、僕には恐ろしく映った。

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現実逃避 春雷 @syunrai3333

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