カードで勝ったときのお願い
「すごく遠回りしたけど、お互い好きでよかった」
勇気を出して今の気持ちを言葉にしたのだが、キトエはどこか沈んだ顔付きをしていた。にわかに不安になる。
「もしかして好きじゃない? うそだった?」
「違う、そんなわけないだろ! 愛してる、ずっと前から」
途中で恥ずかしくなったのか、顔をそらされてしまった。
「でもリコは主だから……主と好き合うなんて本当は」
手を伸ばして、キトエの頬に触れた。驚いて振り向かれる。
「キトエが今もわたしを主と思ってても、そうじゃなくても、どっちでもいいんだよ。もう自由なんだから。今ここにいるのは、家柄も、身分も、立場も関係ない、ひとりの人同士なんだから。この先ずっと逃げ続けないといけないかもしれない。けど、もう何にも縛られてない。自由だよ」
不意に視界に差しこんだ光に目を細める。横を向くと、らせんの岩山のはるかな地平から日が昇っていた。夜が明けたのだ。空の青が柔らかな橙色に温められていく。
いきなり抱きしめられて、驚いて変な声をあげてしまった。
「何? どうしたの?」
「俺にとってリコはこれからもずっと主だ。でも、主でも、恋人として、好きでいていいか?」
仰いだキトエは必死な顔をしていて、朝日のせいかもしれないが、目元が綺麗に色付いていた。
「いいよ。というか、好きでいてくれなきゃ嫌だよ。恋人同士ですること全部すっ飛ばしちゃったから、これからゆっくり恋人らしいこと、たくさんしようね」
今度こそ朝日のせいではなく、キトエの頬に薄く色がかぶさって、笑ってしまった。
「リコ。カードで勝ったときのお願い、今使ってもいいか?」
「お願い? ああ」
何のことかと思ったら、城でカードをしたとき、『勝ったほうが負けたほうに何でもひとつお願いできる』というルールで、キトエは何もお願いしなかったのだった。
「いいよ。なあに?」
「キスしたい」
見つめられて、リコは思考が止まる。理解して、首筋が熱くなった。
「お城では断固拒否してたくせに!」
「あれはリコを汚すわけにはいかなかったからだ! 今は俺はリコのものだし、リコは、俺の」
それ以上は声が小さくなっていって聞こえなかった。リコは不満で頬を膨らませてキトエをじっとりと仰いでいたが、仕方がないので目をつぶった。
風が頬に触れて、唇が触れ合う。革と、みつろうのほのかに甘い香りと、キトエの香りがした。
唇が離れて、照れ隠しに不満を口にしようとしたら、もう一度強く唇を触れ合わされて、体が固まる。固まった体をきつく抱きしめられて、鼓動が強く跳ねた。頬が熱い。
キトエの腕をきつくつかんでしまうと、唇が離れた。間近で、綺麗に頬を染めたキトエが、からかうように微笑む。
「今ので、お願いふたつぶん」
キトエはカードで二回勝っていたから、お願いはふたつ余っていたのだ。してやられたようで悔しくて、今しがたの感覚が蘇ってきて目を見られなくて、思いきり顔をそむけた。
目を向けた先の空に、息をのんだ。
「キトエ。見て、すごい」
地平から出た橙の日の上に雲があって、雲から光の帯が幾本も天へ伸びていた。雲から降り注ぐ光の帯は見たことがあるが、天を指すものは初めて見た。
吉兆か、凶兆か。けれど意味などないのだろう。人が意味を持たせるだけで、この幻想のような光景は、ただ幻想のように美しいという事実しかないのだから。
「綺麗だな」
「うん。綺麗」
紺の地平、橙の日と、青灰の雲、雲から青い天へ昇る白い光の帯。絵画のような、けれどたしかに目の前にある光を、覚えておこうと見つめた。
「キトエ、そろそろ行かないと」
控えめにキトエの胸を押すと、「あ、す、すまない」と腕をほどかれた。キトエの恥ずかしそうな表情のなかに、名残惜しさが混じっていたように見えて、うぬぼれかもしれないがくすぐったい気持ちになる。
キトエの手を取る。
「行こう」
黄緑の瞳が微笑んで、朝日の欠片の色を宿す。髪の色と同じ水色の宝石が、耳元で光の粒をきらめかせる。
「ああ」
たとえ命あるかぎり逃げ続けなければいけないとしても、あの場所で命を終えていたことより不幸なことなどない。
もう絶対に離さないと言った、騎士と、恋人と、キトエと、一緒に生きていく。
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