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 ケイコのレパートリーのどの曲も、だんだんとバンドとしての曲になっていった。そこからは、どんどんアレンジを加えていった。


 これはあえて弾き語りの感じを残そうといったり、ケイコをマイクだけで歌わせたり、一曲を別々のバージョンにしたり、天使とぼくでコーラスを入れるなどした。

 ケイコはアコギとエレキを使い分けるようになり、繊細に歌ったり時々がなったりと、さらに表現の幅を広げていった。自由な発想で新たに曲を生み出し、歌詞もがんばって書いていた。

 天使はさいしょギターの音を歪ませて荒々しく弾いてばかりだったが、やがてクランチやクリーンでカッティングする繊細さを覚え、あるいはワウやディレイなどの音作りの可能性を追求し、やがてソロパートのアレンジに没頭していった。

 ぼくはベースを弾いてはブリブリいわし、調整役として二人から投げられる要求を拾い、慣れない指弾きとピック弾きの両方を試し、演奏中に走る二人にじっと耐え、ときどき要所要所を遊んだ。

 こうしていると、ぼくはコピーバンドを組んだ高校時代を思い出す。当時サッカーを辞めて学校に居づらくなったぼくは、時間を持て余していた。勉強が将来に繋がっているとも気づかず、本当は何がやりたいのかもわからないまま、バイトをし、時々バンドを練習した。ひたすらギターを弾いていると、サッカーの時には経験しなかった手の痛みがあった。ふと顔を上げると、ぼくのそれは青春と呼ぶにはお粗末で、時間を無駄にしているような焦りがあった。


 ぼくは職場のパソコンで、出来上がった自分たちの曲を動画サイトにアップロードしながら、本当の自分は一体どこに存在するのだろうかと疑問に思っている。SNSに上げた数々の黒歴史を振り返りながら。

 天使と出会った頃の問答は忘れていなかった。自分は一体何をしでかし、こうして今があるのだろうか。その時はただ、生きていればこういうこともあるのかとしか思わないでいた。しかしながら、自分が単に遅れた青春を取り戻そうとしているだけなのではと、薄々気づきたくないことにも勘付いていた。今ぼくが目の前でやっているこれは、一体どういうことなんだろう? ……あ、先輩来た。隠そ。


 天使と一度サシで個室の居酒屋に飲みに行った。バンドを組むと距離が縮まるからだ。そして現時点で引っかかっていることを聞いてみた。だが、彼は肝心なことはいつもあの調子で、詳細に教えてくれなどしなかった。そういうやつだった、天使とは。

 面と向かってではなく、手元のぬる燗(かん)を揺らして見つめながら、彼はこう言っていた。

 「おまえに備わっているものを、おれは気づかせるにすぎない」


 ぼくは職場の複合機で、ロックバンドのライブ公演のB4サイズのパンフレットを無断で二〇〇部カラー印刷しながら、自分の本当の可能性とは何か探し求めている。だれかと行ったライブの光景が頭によぎりながら。すると――。

 「『ポッピング・シャワー・クロニクル』って一体何だ」と、ぼくのコピー機不正利用の現行犯を押さえた上司が言う。

 ぼくはしばらく留守にしていたピエロの仮面をすぐさま被り、言う。

 あ、知りませんか。これ。今話題のロックバンドですよ。

 こうしてぼくは始末書を書くはめになった。


 活動が軌道に乗ってきた頃、バンド名を決めようという話になった。

 「ポッピング・シャワー」までケイコのセンスで決まったが、何かが足りないという話になり、天使の「クロニクル」か、ぼくの「シンドローム」を足すかで、バンド内は一時紛糾した。そのときのぼくらに引き算の発想はなかった。おう、やるんかいと、一瞬お互い掴みかかりかけたが、結局はぼくが折れ、珍妙にして滑稽なバンド名『PSC』が生まれた。


 曲が固まり、最初のライブが近づいてきた頃、会議を開いて作戦を練った。

 演奏もさることながら、ぼくらのバンドのコンセプトからして、どう見せるかも重要だった。やる以上はかっこよくなくてはならなかったからだ。そして、興味の範疇以外は一切無頓着だったぼくは、二人から私服がダサいと言われた。

 「なんかこう…」とケイコに言われた。「絶妙なダサさ」

 「それでステージに立つつもりか」と天使に言われた。「信じられないやつだ」

 ぼくはそろそろテーブルをひっくり返して泣いてやろうか迷った。

 そうしたこともあり、三人でステージ衣装を買いに、オーダーメイドの服屋へ作りに行った。こうしてケイコは毒々しい黒ピンクの組み合わせからは垢抜け、ぼくの私服はほんのちょっとマシになり、天使は新しいスーツをオーダーしていた。

 ちなみに、そのときの彼の仕立ての様子はこんな感じだった。流れる動作でお経を唱えるようにあれこれと指示していた。

 …生地は光沢のあるのこれと微かに縞(しま)のあるそれと、釦(ぼたん)は今回水牛と真鍮(しんちゅう)ので、裏地は艶(つや)のあるこれと深みのあるそれにして、袖(そで)は必ず本切羽(ほんせっぱ)で釦の数と並びと重ねはこうで、縫いの色はここの一ヶ所だけ違うのにして、ポケットの蓋(ふた)は斜めの角度で、背割れは両端で、裾(すそ)はダブルで襟(えり)の返りはこうで、ステッチはこの間隔で入れて、背中のフィット感はこうで、ここはもっと絞って、全体のシルエットはもっとこう逆三角形にして、あとそれから――以下省略。

 ぼくはぽかんとしていた。ケイコはうっとりしていた。店員さんは絶句していた。


 その頃すでに、世間の人たちにも天使が見えているのだとぼくは知っていた。よくよく考えてみればおかしな話だ。狂った世界に身を置きながらも、ぼくは自身のしょうもない現実を抜け出るためのバンド活動に夢中で、その頃はあまり気にしていなかった。いや、というよりもただ迂闊(うかつ)に過ごして、重要なことを見落としていたのだった。

 天使は突然現れたり姿を消したりできたが、もちろん人前でそんなことはせず、かといって姿を見られても気にするような男ではなかった。ぼくとケイコ以外の人々が天使の起こす不可思議な現象を目撃することはなかったので、周りの人々は傍(はた)から見て、だいぶヤバい人がいるな、程度の反応でしかなかった。それに彼は、なぜか極力翼を使いたがらなかった。飛んでいるところは、実は殆ど見かけたことがない。

 天使は伊達でかっこつけだが、見せたがりの性格ではなく、厭世(えんせい)的でどこか哀愁すら漂っていた。ちなみに、彼の翼はスーツを突き破って生えているのではなく、ホログラムのように服の上から像を結んでいるのだった。

 

 三人の活動に自信が着いてきた頃、プロモーション活動も行った。

 チラシの作成もそうだが、予めケイコはライブハウス界隈ではちょっと名前が売れていた。一人で歌うぶっ飛んだ娘(こ)という印象で。なのでぼくと天使は、そのケイコがバンドを組んだらしいと、出演予定のライブハウスを回って吹聴した。風説の流布だ。近々やばいのがくるぞ、と。

 噂は伝言ゲームでコアな音楽ファンから音楽関係者たちの耳に留まり、やがていくつかのレーベルにも届いた。『ポッピング・シャワー・クロニクル』の仕上がったデモ音源に、ライブの情報だけを記した怪文書をつけて方々(ほうぼう)に送ったりもした。詳細は不明のままに。

 こうして業界の人たちは思い始めていた。「あの羽生えたやつ、一体なんだ?」


 プロモーションを始めたての頃、アーティスト写真を自分たちで撮ろうという話になった。

 ケイコの写真館は客が来ないため、たまに練習のスタジオ代わりにもなっていたが、そのときケイコが思いついた。

 「うちらさ」とケイコが期待した目で言う。「ビジュアルいけてるよね」

 三色カラーの髪で病的にぎょろ目の女の子と、背中に羽の生えたスーツ姿の男と、何の変哲もないぼく。だが、気にしてもしょうがなかった。天使は、写真だけはやけに仕方なさそうに映っていた。

 アーティスト写真の編集はケイコが担当した。写真屋でもあるし、なかなかセンスの良い感じに仕上げてくれる。盛れている。

 そして行ったことのない場所の背景を差し込んでくれる。ここは一体どこなのだろうか。そうしてプロのミュージシャンなのかと見紛(まが)うクオリティーのものがいくつか出来上がった。

 そのうち悪ノリがエスカレートし、どういった世界観なのかわからない写真がいくつか誕生した。三人ともすかして別々の方を向いたり、三人輪になって寝転んで、真上から撮ったりした。しまいにはケイコの妄想が捗(はかど)り、最後には天使がなぜか椅子に浅く腰かけた状態でアコーディオンを持たされていた。


 あるいは、バンド名『PSC』のロゴデザインを広告代理店に依頼し、出来上がったロゴをプリントしたTシャツやパーカーを、予め制作会社に発注しておいたりもした。どこにそんな金があったかというと。

 「……おいこれ、どことどこの請求書だ」と青ざめた上司が言う。

 こうしてぼくは会社に謹慎処分をくらい、そうこうしているうちに、ライブ初日を迎えた。

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