怪人28号

朝活四時

第1話 覚醒

 昔、世の中がまだ昭和という時代だったころ、大村英光は正義のヒーローだった。

 自我を持った怪人が自我を失い怪人になってしまった人と戦う、テレビドラマ『怪人28号』で主演である寺島明を演じた大村は子供たちから憧れと羨望のまなざしで見つめられるようになり、それが代表作となった彼も悪い気分ではなかった。

 そんな子供たちが今や大人になり、子を持ち、その子が更に親になっていてもおかしくはないほど時が経った。

 彼は年老いた。ここ数十年、何度もテレビ局から再出演のオファーがあったが、すべて断ってきたのもそのせいだ。

 年老いて弱くなった自身が演じることで、寺島明という存在を穢したくはなかったからだ。

 大村はもう今年で七十八歳。いつ死んでもおかしくはなくなった。

 元気だったころの彼を覚えている人でも今の彼を見てそれが大村英光だとは気がつかないだろう。それほどまでに老け、弱く脆くなってしまった自分が大村は情けなかった。

 自宅のリビングには、怪人28号の撮影五十周年記念に渡された複製品の撮影用スーツが飾られているが、それも見るたびに現実を突きつけられるようで辛かった。

 終活を始めることにした大村は自宅の品々を整理しながら手放そうか、と思案した。

「それは最後まで手放さない方がいいんじゃないか? 父さん」

 息子の秀明がそう言ってガラスケースから撮影用のスーツを取り出そうとした私の手を止めた。

「だがもう私が着ることはないだろう? お前か孫の英二にあげてしまおうと思うんだが、それじゃダメか?」

「本当にもう着るつもりはないの? 最後にもう一度『覚醒』したいとは思わない?」

 その言葉を聞いて、大村は先ほど考えていたことを声に出す。

「私ももう若くはない。スーツを着るにはあまりにも年を取りすぎた。昔のファンを失望させたくない」

「……着られるかどうかは問題じゃないよ、父さん。肝心なのは自分が着たいかどうかだ」

 自分、か……

 そう言われて初めて、彼は息子に正直な思いを口にした。

「……もう一度スーツを着たいかと言われたら、そうだな。着たくないといえば嘘になる。

 もう一度あのスーツを着て、怪人達と戦いたいし、必殺技も決めたい……でもそれは叶わない。時は戻らないからな」

 彼は溜め息を吐いた。

「もし、本当に力が必要なら……」

 そう言いながら息子はテーブルに小瓶を置いた。

「これを飲んで。きっと父さんの役に立つはずだから」

 息子は真剣な眼差しでこちらを見つめていた。

「これはなんだ?」

「飲めばわかるよ。それじゃ、一度家に帰るよ。また明日会おう」

 そう言うと息子は自分の車に乗って帰っていった。

 残された彼は目の前に置かれた小瓶を手に取り眺めた。

 一見すると何の変哲もない茶色の小瓶だ。蓋を開けるとほのかに甘い香りが漂った。

「秀明の用意してくれたものだ、怪しいものではなさそうだが……」

 だが、息子が変な団体に騙されているのではという疑念も捨てきれず、再び小瓶を机の上に戻した。


リビングに置いてあった私物の断捨離を終え、休憩するためにソファーに座ってテレビをつけた。

 すると、どの局もまったく同じ場所の臨時ニュースを伝えていた。

内容は、正体不明の怪物が駅前に現れて人を殺している、というものだった。

 場所はここからそう遠くない場所だった。

怪物が出たなど、にわかには信じがたい情報だったが、規制線の外側からライブ中継されている怪物の映像から、大村はこの光景が現実なのだと悟った。

「そんな、ありえない……」

 大村がそう言って数歩よろめいた拍子に、机の脚にぶつかって小瓶が音を立てて揺れる。

(これを飲んでみるべきか……?いや、ただの偶然だ。そんな都合のいい話があるわけがない)

大村が迷っていると、中継映像の中で怪物に人が襲われ、スタジオの映像に変わった。そこでハッと気がつく。

(秀明は電車で家へ帰るはずだ。もし、息子が襲われていたら……!!)

大村に迷っている時間はなかった。

「頼む、私に勇気と力を与えてくれ……」

意を決して、大村は小瓶の中身を飲み干した。

 口の中に甘みが広がり喉を通っていく。まるで液体ではなく固形物を食べているような感覚。

 それからすぐに身体に変化が現れた。全身が熱くなり筋肉が肥大していくのを感じる。

 そして同時に視界がぼやけて意識が遠のき始めた。

(なんだ、この感じは……)

 大村はめまいに襲われ、そのまま床へ倒れ込んだ。

 目が覚めると、体のダルさが消えていることに気がついた。

 起き上がって鏡を見るとそこには若かりし日の彼、寺島明を演じていたころの大村英光が映っていた。

 懐かしさとみなぎる力を感じつつ、駅へ向かわねばならないことを思い出す。 

「今なら、この体があれば……」

 彼はガラスケースに仕舞いっぱなしになっていたスーツに、目を向けた。


 石ノ森駅前。

 全身が黒く染まった怪人は警官を襲い、血肉を食らい、確実に息の根を止めていった。

 怪人が暴れる様子を、人々は建物の中や屋上から携帯で撮影はするものの、誰も助けには入らない。

 見た目は黒いマントを羽織り、頭に角が生えた怪人の顔つきは人間のそれとは大きくかけ離れ、口が大きく裂けていて牙が生え、目は赤く光っている。

 逃げ遅れた人間や助けに駆け付けた警官は容赦なく殺されていく。

 人々が一目散に逃げる中、一人の男が怪人に向かって足早に歩を進める。

「おい、なんだあれ?」

「あれって……怪人28号のコスプレか?」

 男は、黒一色のコートを銀と赤銅色のスーツの上に羽織っており、頭はヘルメット上のフルフェイスマスクで覆われていて素顔は見えない。

 両手には銀色のグローブがはめられていた。

 怪人が男の存在に気が付き、襲い掛かる。

 男のマスクの目が発光したかと思うと、距離を詰め力強いパンチを繰り出した。

 怪人の体が一瞬宙に浮き、地面に叩きつけられて転がる。

 それを見た周囲の人間が驚きの声を上げる。

「マジかよ……」

 そして、二人の格闘戦が始まった。

 怪人は口から糸を吐き出し、両手の爪を伸ばして切りかかる。

 だが、その攻撃は男に簡単に避けられ、逆に強烈なキックが腹部に直撃する。

 よろめく怪人に、さらに回し蹴りで追撃を加える。

 頭部に蹴りが当たった怪人が苦しむ声を上げながら倒れた。

 それを見ていた周りの人間たちは、ヒーローショーか何かのように歓声を上げた。

 マスクをかぶった男、大村は人々の声のする方を向くと、軽く手を振った。

 現場に応援を乗せたパトカーが到着し、拳銃を構えた警官が彼を取り囲む。

「両手を上にあげろ! 両手を上にあげて地面に伏せるんだ!」

 大村は指示に従って同行した結果、検査などに回され、『治療』されることを恐れ、その場に倒れている人の中に息子がいないことを確認すると、その場から逃げることを決意した。

 彼の走るスピードは尋常ではなく、あっという間にその姿は見えなくなった。

 警察が慌てて彼を目で追いかけるも、すでに大村の姿はどこにもなかった。

 大村は走りながら向かうべき場所を考えた。

 自宅へは戻れない。出入りするところを見られたら危険だ。

 どこかに身を隠して『覚醒』を解く必要がある。

 人目につかない場所で、落ち着いてスーツを着脱することができるところ。

 彼はある場所にたどり着いた。

 そこは、彼がかつて通っていた学校の校舎だ。

 十数年前に廃校となり、現在は使われていない。

 その敷地内に入ると、彼は急いで校庭にある体育倉庫へ向かった。

 扉を開けて中へ入ると急いで閉める。

 大村はそこでグローブを外し、マスクを取った。

大村は興奮していた。心臓の高鳴りが聞こえるほど大きく、現実で、本当に怪人を倒したという実感と、みんなが自分を見ていたという久しく忘れていた快感を噛み締めた。

 彼は興奮冷めやらぬまま自宅へ帰ろうとして、手が止まる。

 今の若い姿を、周囲の人にどう伝える? 

 自分でも十分に理解できていない事象を、他の人に説明するのは難しかった。

 大村は悩んだ末、息子の秀明に連絡を取った。

 しかし、息子は電話に出ない。

 嫌な予感のした大村は息子の無事を祈る一心で廃校を飛び出した。

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