宝くじに当たるような確率の不幸について

青海啓輔

第1話

 宝くじの一等が当たる確率を知っているだろうか。

 ジャンボ宝くじなんて、二千万分の一だ。例え十枚買っても、二百万分の一。

 札幌市の人を無作為に一人選ぶのと、ほぼ一緒の確率だ。

 

「そう考えると貴方はとても幸運と言えるかもしれませんね。」

「これが宝くじならね。でも少なくともこれは幸運ではないのだろう?」

「まあ、貴方にとってはそうかもしれませんが、貴方以外の人、例えば貴方の家族にとっては不幸ではなく、むしろ幸運じゃないですかね。

 確かに貴方がいなくなって初めは寂しいと思うかもしれない。

 だけどじきに慣れます。

 そんなものです。

 立つ鳥は跡を濁さず、虎は死んだら毛皮を残し、武士は名を残す。

 そして貴方は地球の平和とご家族には大金を残す。

 素晴らしいじゃないですか。」

「僕の存在と引き換えに端金をね。」

「一億円は端金ではないでしょう。貴方の存在価値から考えると随分、奮発したと思いますけどね。

 貴方が定年まで働いても、そんなお金は残せないし、普通の人にとって一生見ることができない大金だと思いますよ。

 もっとも口止め料を含んでいますけどね。」

 

 僕には同い年の妻と高校生と中学生の二人の娘がいる。

 子供が小さい頃は休日は家族で出かけたものだが、最近は絶賛思春期中の娘達とまともに話した記憶がない。

 妻とも必要最小限しか話さないし、妻から僕に言うことは小言くらいのものだ。

 衣服を脱ぎっぱなしにするなとか、洗面台をきれいに使えとか。

 だから僕がいなくなって替わりに一億円が入ったら、少しは悲しむかもしれないが、すぐに涙を拭いて今よりも便利な駅近のマンションでも購入するだろう。大体想像がつく。

 

「人の命は地球よりも重いって言葉を知っているか?」

 彼は鼻で笑った。

「政治家が良く言う文句ですね。貴方だって、その言葉が方便に過ぎないのはよく分かっているでしょう。戦国時代の言葉で命は軽く、名は重いっていうのもある。」

「いずれにせよ、僕は選ばれて、自分の意思とは関係なくに任務を果たさなければならないということだね。」

「物わかりが良くて助かります。貴方くらい物わかりがいい人は少ない。そういう意味では貴方が選ばれて我々にとっても幸運だった。

 まあ、我々はその人の意思に関係なく任務を確実に実行するだけなので、物わかりの善し悪しは大して重要な問題ではないですけどね。

 貴方のように喚いたりせず、自分の運命を淡々と受け入れることができる人は少ない。

 そういう意味では貴方はすごい人だ。」

 褒められたのかも知れないが、全く嬉しくない。

 

 僕はある日の会社帰り、22時頃、自宅への道を歩いていたら、突然目の前が暗くなり、気がついたら四畳半位の殺風景な部屋の椅子に座らされていた。

 灰色の壁の部屋にはテーブルが一つあり、僕は前に座らされていた。

 そしてそのテーブル越しの向かいには白衣を着た二十代くらいの一人の科学者風の男が座っており、パソコンを前にしてキーボードで何かを打ち込んでいた。

 眼鏡とマスクをしており、風貌はよく分からないが、背格好体型は僕に似ているように見える。

 首にはIDカードをぶら下げていた。

 

 彼は僕の置かれた状況を簡潔かつ淡々と説明してくれた。彼が言うには僕はある小惑星に向かうロケットに乗せられることになったとのことで、僕は体の自由を奪われる薬を飲まされているそうだ。

 体中痺れるが、口だけは動かせる薬らしい。

 あと1時間もすれば、薬はとけ、自由に動き回れるそうだ。

 もっとも1時間後は僕はロケットと共に宇宙空間にいるようだが。

 

 どうやらその小惑星は直径が2㎞くらいあり、そのままにしておくと、何百分の一くらいの確率で地球にぶつかり甚大な被害をもたらすらしい。

 確かに宝くじにあたる可能性と比べると、遙かに高い確率だ。

 しかしパチンコで一回転目に大当たりを引く確率よりも少し大きい程度だ。

 パチンコで負けてばかりの僕としては途方もない確率に思える。

 一回転目大当たりをひいたのなんで、しばらく記憶に無い。

 

 任務は惑星に向かうロケットの中で誰にでもできるちょっとした操作を行うだけのようだ。

「別に僕じゃなくてコンピュータで、やればいいんじゃないですか。科学はそれくらい発達しているでしょう。」

「時間がないんです。そういうプログラムを開発するには、ある程度の時間がかかる。

 しかし小惑星がぶつかるのはあと数日後なんです。

 プログラムを今から作っていたらとても合わないんです。」

「もっと早く分からなかったんですか。」

「小惑星の存在はかなり昔から知られていました。しかし突然何らの物体、例えば他の小惑星とかに当たって、軌道が変わってしまったのです。」

「でも数百分の一なら、ほとんど外れるじゃないですか。」

「仮に外れても、地球の近くを掠めることでどんな事象を引き起こすかわかりません。

 考えうるリスクは取り除くのが賢い人間がすることです。」

 全く鼻持ちならない。

 自分たちは賢い人間ということか。

 

「何で札幌市民から選んだんですか、別に東京からでも大阪からでもいいんじゃないですか。」

「ある札幌選出の国会議員からの提案です。

 この話は内閣内のトップシークレットなので、知っている人が限られています。重要閣僚の彼がうちの選挙区から選んでいい、と申し出てくれました。」

 その議員は地元では大物であり、僕も選挙の時は彼に投票した。

「有権者のために、自分自身が犠牲になればいいじゃないか。」

「彼が言うには、本当は自分が犠牲になりたいが、自分には日本を良くするという天命がある。

 市民一人の命を犠牲にするのは痛恨の極みだが、誇りある札幌市民はそれを喜んで受け入れるだろう。と申してました。

 貴方を偲ぶ記念碑が札幌市役所の裏庭に作られるそうですよ。」

「別に日本人から選ばなくてもいいんじゃないですか。」

「貴方は酷いことを言いますね。じゃあ何人なら良いのですか?命は平等ですよ。」

「どの口が言うんだ。僕の意思とは関係なくこんなところに連れてきたくせに。」

「それとこれとは別ですよ。貴方が選ばれたのは運命なんです。

 選ばれた以上、貴方にできることは淡々と運命を受け入れることだけです。」

「どうやって僕が選ばれたんだ。」

「簡単です。私たちが車に乗って、最初に目についた人に決めることにしていました。

 そうすると、貴方がちょうど目の前を通りかかったのです。」

 僕は自分の不運を呪った。あの日、あの時にあの場所を歩かなければこんなことにはならなかった。


 「貴方一人の犠牲で世界は救われる。

 このことは公にはなりませんが、世界の要人の中では日本人が世界を救ったという事実を知るでしょう。

 貴方の名は永遠に世界の要人達の記憶に残る、かもしれない。

 おっと、そろそろ時間です。

 この部屋は実はロケットの中です。

 まもなく私はこの部屋を出ます。

 ロケットが発射し、小惑星に近づいたら、このスピーカーから指示をします。

 そうしたら、この紙に書いているように装置のボタンを押して下さい。

 そして、このカバーを開けて、画面上のカーソルを、方向キーを操作して、小惑星の方向に合わせて下さい。

 そうすると自動で照準が合い、ロケットの軌道が変わり、小惑星に突撃します。

 ほんの少し軌道を変えれば、地球にぶつかる恐れはなくなります。

 よろしいですね。成功を祈ります。

 ちなみに成功したら、貴方のご家族に一億円が支払われ、地球は滅亡から救われます。」

「もし僕が何もしなかったらどうなるんだ。」

「一億円は支払われません。このロケットには食料は積んでいないので、貴方は飢え死にし、貴方の死体を乗せたロケットは永遠と宇宙空間を彷徨うでしょう。」

「君はどうするんだ。」

「僕は間もなく部屋を出ます。

 貴方と一緒に飢え死にするのはごめんですからね。

 そうだ、退屈しないように、外の様子をモニターで見られるようにしておきました。

 束の間ですが、貴方は宇宙旅行を楽しむことが出来ます。」

「片道切符のね。」

 彼は鼻で笑った。

「これまで人類が経験していない、体験ができます。

 それではそろそろ時間になります。早く出ないと私も貴方と一緒に片道の宇宙旅行をすることになる。」

 そう言って彼は立ち上がった。

 

 その瞬間、僕は立ち上がり彼の顔面にパンチを打ち付けた。

 彼はもんどり打って、倒れた。

 僕は彼に馬乗りになり、更に殴った。

 そして彼の白衣を脱がせ、マスクと眼鏡と携帯電話、首に掛かったIDカードを奪い、素早く着込んだ。


「ど、どうして…。薬が効いてなかったのか。」

 彼は倒れたまま、呟いた。

「僕は特異体質みたいでね。少しだけ痺れは感じるけど、体は自由に動かせるようなんだ。」

「汚い。薬が効いている振りをしていたのか。だからこんな役割は嫌だったんだ。研究室で一番の若手だからこんなことをやらされたんだ。」

 彼は苦々しそうに独りごちた。


 「じゃあな。幸運を祈る。」

 僕は素早く入り口にIDカードをかざし、部屋を出た。

 IDカードがないと部屋は開けられないらしい。

 部屋の中から大きな喚き声が聞こえた。知ったことか。

 僕は狭い通路をたどり、ロケットから出た。

 ロケットの周りには白衣を着た研究者が大勢いた。

 スーツを着た男も何人かいた。政治家だろうか。

 テレビで見た事がある顔もあった。

 そして札幌市民からの選出を提案した件の政治家もいた。


 白衣を着た一人の男が近づいてきた。

「うまくいったのか。」

 僕は黙って頷いた。

 風貌、姿形が似ているから、僕をロケットに残された彼と勘違いしているのだろう。

 やがて僕らはロケットを離れ、少し離れた場所でロケットの発射を見守もることになった。

 もっとも僕はみんながロケットの打ち上げを見ている間、こっそり集団から離れた。

 敷地はかなり広く、迷いながらも何とか出ることが出来た。

 僕は大きな通りに出て、タクシーを捕まえた。

 白衣には財布が入っており、うまいことに十万円以上現金があった。

「近くの駅まで」と僕は言った。

 今自分がどこにいるかはしらないが、駅に行けば何とかなるだろう。

 運転手は怪訝そうな顔をして言った。

 「空港の事ですか?」

 空港?ここはどこかの島か。

「そうです。空港まで。」

 十数分でタクシーは空港に向かった。

 平屋建ての小さな空港だった。

 空港名はこれまで聞いたことがない空港名だったが、沖縄県の離島なのだろう。

 僕は現金で東京までの航空券を買い求めた。

 札幌までにしなかったのは、折角の機会だから東京見物をして帰ろうと思ったのだ。


 羽田空港につき、僕は有楽町まで出て、パチンコ屋に入った。

 何となく予感がしていた。

 一回転目で当たるってね。

 僕は最初に目についたパチンコ台に現金を入れ、ハンドルをひねり、玉を打ち出した。

 だがそううまくはいかなかった。

 一万円、二万円と使っても、スーパーリーチすらかからなかった。

 僕は結局閉店まで粘ったが、財布の中の約半分の金を失い、外にでた。

 外は既に闇に包まれてたが、ネオンサイン等が眩しく光り、空を見上げても星は見えなかった。


 翌日、札幌に帰った。

 どうやら丸二日間行方不明になっていたみたいで、妻には急な出張と説明し、会社には無断欠勤を謝罪した上で、急病で連絡出来なかったと説明した。


 三日後、会社からの帰り道、一筋の赤い流れ星のようなものが空に流れるのを見た。

 それはこれまで見たことの無いような大きさになり、空の向こうに落ちようとしていた。

 僕は悟った。

 彼は任務を遂行しなかった。

 ロケットの中で飢え死にする事を選んだのか。

 そして地球はパチンコ台よりも少し大きな確率を引き当てた。

 激しい衝撃音と途轍もない大きな揺れの中で僕は最後にそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宝くじに当たるような確率の不幸について 青海啓輔 @aomik-suke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る