NoX

白江桔梗

Hello Mr.

【001】目覚めの日

 けたたましく鳴り響く目覚ましの音で起き上がる。眠気まなこをこすりながら、ぎこちない足取りで洗面所に向かう。

 鏡に映る自分は酷い顔だ。目の下に浮かび上がったくまが全てを物語っている。

 顔を洗っても、水に溶かした墨のように、顔中に汚れが広がる錯覚に陥る。依然として顔は晴れない。

 先程焼いておいたパンを口にほおりこんで、一口かじる。聞き慣れた音が部屋に響く。静寂せいじゃくで包まれた空間ではそれさえも大きく聞こえる。

 そんなことを考えながら、スニーカーを履き、玄関のドアに手をかける。

「行ってきます」

 宛先のないその言葉は、ただただ空虚に飲み込まれるだけだった。


 学校までの道を足早に進む。支度に時間がかかってしまったようで、ふと横目で見た公園の時計の針はいつもより進んでいた。

 少々疲れるが、このペースならきっと間に合うだろう、そう思った時だった。同じ高校の制服を着た少女がキョロキョロと辺りを見渡しているのが見えた。

 確かにこの辺りは複雑ではあるが、大抵一年もあれば道は覚えられる。

 と、なると彼女は今日入学する新入生である可能性が高い。

「君、新入生? 良かったら案内しようか?」

 正直自分もそんな余裕はないのだが、後でああだこうだ悔やむよりはマシだと思ったので声をかけた。

 それに気づき、彼女は振り返る。

「その制服、もしかして詩藍しらん高校の方ですか? ああ、助かります! この辺はあまり慣れてなく……て……」

 彼女は自分の顔をじっと見ている。やはり酷い隈だよな、と情けない姿を晒している自身の身を案じていると彼女が口を開く。

「先輩……? もしかして葉凪先輩ですか? 私です! "タチバナ"です!」

 彼女の顔が途端に明るくなる。

 見知らぬ土地に知己ちこがいることで不安が晴れたのか、はたまた別の理由か真偽は不確かだが、こちらの返答を心待ちにしていた。

「あ、ああ。久しぶりだね」


 それから嬉々として今までの経緯等を話してくる彼女に軽く相槌あいづちを打ちつつ、学校までの道を案内した。

「いやー、最近ここら辺物騒って聞いてたんで不安でしたが、まさか同じ高校に通うことになるだなんて思いませんでしたよ! それに……元気そうで良かったです」

 彼女は安堵あんどの表情を見せる。

 そうこうしていると、学校に到着した。もののついでだと思い、新入生の集合場所まで案内した。

「では、また!」

 彼女は手を振り、駆け出して行った。

「元気そう……か……」

 彼女の言葉を反芻はんすうしてみる。実は今の自分には、彼女の口から紡がれた思い出どころか彼女の名前も、顔すらも覚えていない。

 そう、記憶の中にがあるのだ。人違いではないのかと思ったほどだが、自分の名前も出身もピタリと当ててくる程であったため、恐らく本当に"知人"であるのだろう。

 やるせなさか、悔しさか、ポケットの中に手を握りしめると、くしゃっと乾いた音がした。

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