64 初夢・その三

「ねえねえ、初夢見た!?」


 ベッドから起き上がるなり、妻が夫に勢いよくそう聞いた。


「なんだって?」

「だからあ、初夢見た?」

「初夢?」

「もう、まだ寝ぼけてるの? 今日は元旦よ、初日の出はもう出てしまったわよ。初夢、何か見た?」


 まだパジャマのままの妻が、キラッキラとした目で結婚をして初めて一緒に正月を迎えた夫に聞いた。


「初夢って、初夢は確か今夜見る夢だよ」

「え、うっそー! だってお正月初めて寝て見る夢が初夢でしょ?」

「うん、でもなんだっけかなあ、昔は大晦日の夜は寝なかったから、1日の夜に寝て2日の朝に起きた時に見た夢が初夢なんだよ」

「ええー! だって、うちじゃいっつも元旦の朝、初夢見た? って話をしながらお雑煮食べてたもの」

「それがもう間違い」

「どこが?」

「元旦ってのは元日の朝のこと。だから元旦の朝って言うと元日の朝の朝ってなるでしょ」

「ええーっ、知らなかった! でもまあ、それとは違うのよ、初夢は大晦日の夜に寝て元旦の朝、じゃなくて元日の朝に目を覚ました時に見る夢でしょ?」

「いや、だから元日の夜から2日の朝にかけて見るのが初夢だってば」

「いい~っ」


 妻はどうにも納得ができないようだ。


「じゃあ調べてみようか」

「そうしましょうそうしましょう」


 若夫婦が起き出して、パソコンの電源を入れて検索をかける。


 夫が検索したページには、


「初夢とは元日の夜に見る夢」


 とある。


「え、でもほら、こっち見て」


 妻が検索したページには、


「新しい年になって初めて寝た時に見た夢」


 とある。


「除夜の鐘を聞いて、それから寝て起きたのが1月1日の朝だから、やっぱりこっちだよ」

「いやいや、それは夜更かししてるだけ。それにこっち見て、こうともある」


 夫がまた違うページを示すと、そこにはこうあった。


「昔は大晦日の夜から朝まで起きていることが多かったので1日の夜に見る夢が初夢」


 江戸時代、新年の挨拶まわりなどを大晦日の夜通し行っていた、または大晦日の「掛取かけとり」、つまり借金取りから逃げ回るために起きていた者が多かったので、その夜には夢を見るという設定がなかったようだ。


「知らなかったね、こんな風習」

「あいさつ回りはともかく、借金取りから逃げ回るって何」


 妻がそう言ってプッと吹き出した。


「落語か何かで聞いたんだけど、昔は大晦日に借金取りにつかまらなかったら、その借金はまた翌年の大晦日まで持ち越せたらしいよ」

「え、何その面白い風習」

「だから夜通し逃げ回る人も多かったんだろうね」

「おもしろ~い」


 妻がケラケラと笑った。


「だから、大晦日の夜には寝ない、初夢は見られないってことなんだろうね」

「あ、こっち見て、こっちにはこう書いてある」


 それは、


「1月2日の夜に見る夢が初夢」


 という説だった。


「1日の夜ならまだしも、なんで2日?」

「本当だね」


 説明を読んでいくと、江戸時代の後期、1月2日の午後になって「宝船」の絵を売る人が現れて、その絵を枕の下に入れて寝ると縁起のいい初夢が見られるということから、その夜に見る夢を初夢とするようになったのだとか。


「商売人も1日には商売しなかったからだろうね」

「そういや元旦じゃなくて元日には何も仕事をしてはいけないって話もあるよね。歳神様がいらっしゃるからって。お風呂も入ってはいけないの」

「へえ、なんかユダヤ教の休息の日みたいだね」


 ユダヤ教では「安息日」にはエレベーターのボタンを押すことすら「仕事」と認識されて禁止される。


「そうね~それで2日が仕事初めだから、その日の夢が初夢か。ちょっとだけ納得できるかも」

「そうだね」


 そうして夫婦でわいわいと初夢がいつかで盛り上がる。


「でも結局のところの結論は、どれでもいいみたいね」

「そうだね」

「夢を見ないこともあるから、その年に最初に見る夢でいいんじゃないかってなってる」

「確かに見ないことも多いよね。僕は夢を見ることが少ないからなあ」

「私はよく見るわよ」

「そういや夢の話をよくしてるよね。それで?」

「それで、とは?」

「うん、だから昨夜は夢を見たの?」

「うん、見たのよ」

「へえ、どんな夢?」

「それがね……」


 妻がちょっとしょんぼりとした顔になる。


「その夢の話をしようと思ったのに、それは初夢じゃないって話をしてる間に忘れちゃった」

「なんだそれ」

 

 夫が軽く吹き出して、妻がちょっと不機嫌になる。


「夢なんてそうやってすぐ消えるから、だからとっとと話したかったのに」

「ごめんごめん」


 謝りながらも夫がまだ少し笑っているので妻がますますふくれた。


「じゃあさ、こうしよう。大晦日に見た夢は初夢じゃないってことで」

「今年はそしてあげてもいいわ。じゃあ今夜が初夢」

「そうだね、それでもしも見なかったら明日の夜。そのために、明日は宝船の絵でも買いに行きますか」

「いいわね、宝船の絵が初売り、うん、縁起がいい」

「でも、それでも見なかったら?」

「そしたら、初めて見た夢を初夢にしましょうか」

「結局初夢ってなんだかよく分からなくなっちゃったな」

「本当ね」


 まあまあ、結局のところ、いい夢見たらそれを初夢とすればいいのではないでしょうかね。

 こうして幸せな二人の初夢はいつまでも続くのでしょう。

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