40 知らぬが仏

「僕とお付き合いしてください!」


 俺はそう言って思い切り頭を下げた。


 相手は秘書課の花、えりなちゃん。

 美しく麗しく上品でキュートでビビッドで、と、いくつ並べても足りないぐらいきれいなきれいなえりなちゃんだ。


 言ってはなんだが、えりなちゃんが秘書課の花なら俺は営業部の星だ。おまけに見た目もかなりいい。お似合いの二人だと思う。


 それにこれはさすがに内緒にしているが、俺がこの会社に入ったのは、父親がここの社長と親友で、ぜひとも君の息子を預からせてくれと懇願されたからだ。本来なら父親の会社に入って跡継ぎとして勉強をしているところだが、そこまで言われては仕方がないからな。

 会社の人間は俺が普通に就職活動をして普通に就職したのだと思った上で、優秀と評価している。

 そういうのは見る人間が見ると分かるものだ。


 えりなちゃんだってきっと二つ返事で「イエス」と言ってくれるだろう。

 俺は頭を上げて、最高級の笑顔をえりなちゃんに向けた。


 だが、


「ごめんなさい、ご期待には添えません」


 えりなちゃんは気の毒そうにそう言うと、ペコリと頭を下げて部屋から出ていってしまった。


 あ、言うのを忘れてたが、ここは会議室の一つだ。

 仕事のことでと嘘をついたのは悪かったが、誰にも見られない場所で二人きりになるにはそうするしかなかったのだ。


 信じられなかった。

 まさか、俺のような有望株を断るなんて信じられない。

 

 なぜなのかと考えて思い当たった。


 えりなちゃんは自分には俺がもったいない、そう思ってるに違いない。

 えりなちゃんは知らないとはいえ、実は大きな会社の跡継ぎで、ゆくゆくは社長になる人生が決まっているのだ。知らず知らずのうちにオーラを発しているのは仕方がない。


 だがえりなちゃんは俺の対等のパートナーになれる素材を持っている女性だ。

 俺の横に並び立つに彼女ほどふさわしい女性はいない。

 よし、そのことを分からせてあげよう。

 というか、今度はもうはっきりと結婚してほしいと言えば本気だと分かってくれるはずだ。


 俺はなんとかもう一度二人きりになれる機会を伺ったが、えりなちゃんは恥ずかしがっているのかなかなか思った通りにならない。


「えりなちゃん!」


 ついに俺は帰り道のえりなちゃんを道路で待ち伏せた。


「心配いらないから!」

「え?」

「えりなちゃんが気後きおくれする必要なんかないから」

「は?」

「俺にふさわしくないなんて、全然そんなことないから」

「はあ……」


 えりなちゃんは俺の言った意味が分かったのか、ニッコリと笑ってくれた。


「えりなちゃん!」


 そうだ、思い切って俺の腕に飛び込んでくるんだ!


「申し訳ありませんが、私はどうしてもあなたとお付き合いする気にはなれません」


 今、なんて言った?


「はっきり言います。私はあなたが好きではありません」


 え?


「ですから、どう言われてもお付き合いはできません、ごめんなさい」


 えりなちゃんはそう言うとペコリと頭を下げた。


「君は、君はきっと後悔するぞ……」


 俺はどう言っていいか分からずそうしか言えなかった。


「それはないと思います。では失礼いたします」


 えりなちゃんは俺の横をスタスタと通り過ぎて行ってしまった。


 俺はそれからずっと鬱々うつうつと考え続けている。

 親父の七光りではなく、俺を、実の俺の魅力を見てほしい。

 そう思って社長の息子であることは隠していた。普通の、一般人としてここで働いていた。

 でも、俺が次期社長であること、俺と結婚したら一生苦労させないことを伝えるべきだったのかな。


「ああ、えりなちゃん……」


 今でもどうすればよかったのか答えは出ない。

 だが一つだけ言えることがある。

 後で真実を知ってえりなちゃんが後悔したとしても、もう遅い。


「知らぬが仏、だ……」



 



「噂になってるんだけど、えりな、田所君を振ったって本当?」

「やだ、そんなこと噂になってるの?」

「うん」

「なんで知られてるのよ」

「田所君自身が言ってるわよ」

「あのアホぼんが」


 えりなはそう言うと舌打ちして怒りの表情を浮かべた。


「なんでもえりなは俺の本当の姿を見てない、俺の本当の姿さえ見てくれればって取り巻きたちに」

「取り巻きって、あいつが本当は社長の息子って知っててご機嫌取ってるしょうもないやつら?」

「そうそう」

「あいつ、隠してるつもりでも何かあると俺は社長の息子におわせてくるよのよね、そこも嫌い」

「ねえ、営業部でも知り合いの社長のアホぼん押し付けられて迷惑してるってのに」

「自分では仕事できるつもりだけど、あれ、父親がわざわざ仕事回してるんでしょ?」

「うん。だから営業部でも無碍むげにできずに当たらず触らずで置いてるって」

「本当にどうしようもない、社長の息子ってだけで」

「それがね、父親の会社、このところの急な円安で危ないかもって」

「え、そうなの」

「うん」

「でもきっと本人はそんなこと知りもしないんでしょうね」

「ねえ、世界情勢とか興味もなさそうだし」

「周囲もそんなこと教えてやらなさそうなのばっかりだしね」

「本当にね」

「でもまあ、いいじゃない、今のうちよ、そうして思ってられるのも。言うじゃない、知らぬが仏、ってね」


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「OL進化論」という4コマ漫画で読んだエピソードを膨らませてみました。

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