制服シンデレラ

鳩芽すい

本編

 心がそわそわする。これからの日々を想ってざわめいている。

 気づけば早足になっていて、立ち止まった。

 俯き加減の、顔を上に向かせると。

 そこには思っていたような暖かい春の色は待っていなくて、おざなりに緑の葉が生い茂っているだけだった。中学校に入るときも、こんな呆気なさを味わったように思う。あれからたった3年。

 きみたち生き急ぎすぎだろうと、そう思った。


 心の騒ぎは少しはましになったようで、やっぱり全然だめだ。紅潮しようとする頬を必死に押しとどめながら、敷居をくぐる。

 見慣れない同じ制服の人たちがぽつぽつといる。自分も同じものを着ていた。

 書類上は4月1日から、ここにいる人たちは高校生らしい。


 受付でもらった紙が示すクラスへと、階段を越える。

 窓からのぞいて、雰囲気に戸惑った。誰もが言葉を発さず、唾をのんで前を向いていた。中学校の休み時間の喧噪とはかけ離れた世界があった。

 教室の床を踏む足の動かし方にも細心の注意を払いながら、静寂を崩さないように教室に入る。隣の人に適当な会釈をして、机にひっついた椅子を引いた。

 一番後ろの席になったので、教室を見渡すことができる。


 頭が何個もあって、それぞれがそわそわしているのだろう。

 俯瞰することで、一歩引いた見方をすることができる。自分なんていなくて、教室で起こる事象だけを観察する。それはなかなかに楽しい。そうすれば、自分がいないことにして、静まらない心臓の鼓動もいくらか抑えられるというものだ。

 きっと友達はなかなかできないだろうから、せっかくだし外から見ていよう、と。そう考えていた。

 きっと今は様子をうかがっていて、勇気ある誰かが話し始めたら少しずつその輪が広がって、

 そうしてきっと自分は取り残されてしまう。それでいいのだと思う。別に友達なんていらないし、休み時間は本でも読んでいればいい。


 ずっと、僕は一歩引いていた。


 ――目が合った。隣の席の人。静寂を跳ね返すように飄々としている。教室の、その人の席だけが別世界だった。

 心が、惹きつけられた。僕を見つめるその目に。

 僕も、そいつに観察されているのだな、と思う。

 だから、観察し返しておくことにする。

 そのままじっと、無心で見つめ合った。


「ねえ」

 そいつから先に目線を外して、紙が渡される。

(お、な、じ、だ、ね)

 おなじだね。そう書いていた。

 

 心が、すっと軽くなった。

 笑ってしまう。なんだ自分も単純だなと、こんな一言で胸がはずむなんて。

 自分よりもおかしな人がいたものだと、まだまだその域にはたどりつけないなと。

 こんな人と一緒にされちゃかなわない。

 

(ちがうところも、ある)

 そう書いて、返す。

 どう反応されるか内心ひやっとしたけど、ちょっと眉をしかめたあと案外マスクの下で微笑んでいた気がする。

 何を思ったか赤ペンで花丸をつけてこちらの手にのせると、そいつは立ち上がった。

「ごめんね、ボクだけはお飾りの制服なんだよ」

 喉に詰まったような言いかたに、僕の心臓がきゅっとしたのがわかる。僕の言葉で傷つけてしまったのではないか、と。

 手を軽く、自分のほうに上げると教室を出て行ってしまった。

 軽く、どこかへ飛んでいってしまいそうな足取りで。

 僕は何ができるわけでもなくぼんやりと、それを見つめていた。

 教室の人々は一人出て行くあいつを一目見ただけで流し、何事もなかったかのように隣人との会話に興じていた。


 そうして、あいつは二度と帰ってこなかった。

 次の日、隣の席に来たのは全く別の人で。その人に聞いてみようかと思ったけど、あのときの神秘を壊してしまうのはもったいなくて、やめておいた。


 なんだ、あいつと自分は本当に全然違うじゃないか、と今になって思うけど。

 あのとき同じように教室を俯瞰していて、たぶん同じようなことを思っていたのは確かだった。そして、僕があの「同じだね」に救われたことも、それは絶対の真実で。


 いまでも、大事にとってある。

「おなじ」と「ちがう」と、その二つの言葉にまたがる大きな花丸。

 この小さな紙は、高校生活最初の邂逅記念だ。


 あいつはいま、なにをしているんだろう。

 ちょっとだけ僕に接して、それだけで僕を大きく変えたあいつは、どこにいるんだろう。

 もう一度会えたならもっと話して、もっと知りたいなと思った。

 けれど、そんな夢はきっと叶わない。

 

 何かできたんじゃないか、と思うのは僕の傲慢だろうか。

 何が同じで、何が違って、そんなことをもっと知りたいと思ったのは僕の観察趣味の延長だろうか。


 あのとき僕に何ができたんだろう、と思う。それは叶わないけれど。

 これから僕に何ができるんだろうと、思う。それはきっと叶うこともある。


 制服を着て夢の入学式に紛れてしまったシンデレラを突然救うなんて、僕はそんな王子様みたいなことはできないけれど。 

 もっと誰かを知っていけたらなんて夢を描いてしまったのは、初めての「おなじだね」のおかげだった。



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制服シンデレラ 鳩芽すい @wavemikam

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