エピソード1『比叡、エントリー』
第7話
4月10日午前10時、草加駅ではなく谷塚駅の近辺寄りの若干離れたアミューズメント施設――そこはカラオケなども扱っている複合アミューズメント店でもある。そこに姿を見せたのは190センチという長身のプレイヤーだった。
体格的には明らかに女性なのだが、高い身長が女性とは思わせないという雰囲気なのかもしれない。高い身長の女性と言えばバレーボールなどに代表されるスポーツのアスリートと言う事もあり、とにかく、滅多に見かけるような部類の人間ではないのは事実か。そう言った状況もある為なのか、周囲の視線も彼女の方に向いているような気配がしていた。
「ここでもARゲームが――」
彼女の名は比叡(ひえい)アスカ、これでもリズムゲームのジャンルでは上位ランカーとも言われていた有名プレイヤーである。比叡以外にも上位ランカーは存在するが、主なフィールドは都心だったりする為、ここまで足を運ぶプレイヤーは少ない。一部のゲームでは全国各地の筺体でプレイすると称号がもらえる事もあり、そう言った称号を得る為に遠征するプレイヤーもいるが、そうしたプレイヤーは少数だろう。
彼女はエレベーターを発見するも、満員だったので後ろを振り向いた先にあったエスカレーターを利用し、2階にまでやってきた。ゲーセン内ではARゲームと言っても、広いフィールドを使う様な物はなく、CGフィギュアバトルやガンシューティングの様な物が多い印象である。
この辺りの機種はARゲームではなくVRゲームとも呼ばれるかもしれないが、その境界線は曖昧な物になっているのかもしれない。ネット上ではアプリゲームがアイテム課金形式ばかりが出回ったことで、アイテム課金型以外の作品もあるのにアイテム課金と決めつけるような思い違いも多いのが現状だ。その為、ある事件をきっかけにしてARゲームに対する風当たりは良い物ではなかったという。
比叡の目に入ったクレーンゲームはARゲームではないのだが、一定の客層を得ている印象である。しかし、こちらは家族連れの姿が多く、一部のプライズ狙いでプレイするような人物でない限りは――何度もプレイする機種ではない。本来の意味でのゲームは誰もが楽しくプレイ出来るような物が――と比叡は考えていたが、そうした意見はネットでは少数派になっているのも、事件が起きた原因だった。
「目的の機種は撤去されていないようだし――?」
発見した筺体は混雑している様子もない。2台設置されているのもあって、左側はプレイ中だが右側が空いているという状況だ。特にリズムゲームの方でゲーム内イベントが行われている訳ではないので、待ちがあったとしても1人程度である。他にもパネルタッチ型、ピアノを思わせる筺体、ギター及びドラムセットを思わせる物――様々な大型筺体が置かれていた。
格闘ゲームやシューティング等は一部の筺体で共通の物が使われているが、リズムゲームでは単独筺体と言う物が多い。これには使用するコントローラの違いと言うのもあるからだが、それ以上に大人の事情も絡んでいるようだ。
「ターンテーブルの方は――問題ない様ね」
DJのターンテーブルや機材等を思わせるような筺体、ターンテーブルの方も途中で回らなくなるような不具合はない。スピーカーは筺体内に組み込まれていたり、モニターはLEDを使用しており、時代の移り変わりを感じさせるが――まだまだ現役だった。
この作品はリズムゲームの中では有名であり、ゲームセンターに設置された機種では元祖と言える。筺体のメンテの方は行き届いているようであり、鍵盤を少し触った感じでは誤爆するような状態ではなく、問題はないと感じた。
「この作品も、長く続いているようだけど――」
最初、比叡はプレイする予定が全くなかった。この機種で使用するカードは持参しているが、これが目的の機種ではないからだ。周囲を見回すと、他にも複数のリズムゲームが稼働しており、中には爆音設定の機種も存在する。別の機種の爆音がこちらのプレイに影響を与える可能性もあり、それを踏まえて少し様子を見た。
「ARゲームの方は、空席になるにしても時間がかかりそうね」
少し周囲を見回すと、1機種だけだがARゲームを発見した。他の機種は、置いてあったとしても1階だろうか? 発見したARゲームはロボットバトル系であるのだが、こちらは既に数人の待機しているプレイヤーの姿がある。交代制にはなっているようだが、この調子だと5分位で待機列が減るとは考えにくい。筺体は6台あったのだが――。
「ARゲームばかりが置かれていても――」
ARゲームが草加市でメジャーになったとはいえど、全てのゲーセンからARゲーム以外の機種が消えたわけではないと言う証拠なのだろうか? さすがに地方遠征などのプレイヤーや観光客需要もある為、他ジャンルも残されている可能性は高いが、ネット上で言及されたコメントは見当たらない。
5分位が経過した辺りで比叡は右側の筺体でプレイする準備を始める。100円玉を用意し、それをコイン投入口に入れると――特有の効果音がスピーカーから鳴り響いた。
「さて、始めるとしますか」
両手に手袋はしておらず、指に指輪などをしている訳ではない。リズムゲームでは指輪が邪魔と言う訳ではないのだが、プレイするのに影響はあるのだろう。指輪をなくすほどの動きが激しいプレイを必要とされるわけでなく、筺体に傷を付けない為と言うのが有力か。機種の中には指輪を外してプレイするようにとプレイ前の警告画面が出てくる作品もある。
《空へ、羽ばたいて》
彼女の選曲した楽曲は、決して有名な曲と言う訳ではなく、タイトルを見てもどんな曲か分かる人間がいるとは思えない。仮に似たようなJ-POPの楽曲があったとしても、曲名が同じだけでその曲が収録されている訳ではないのだ。
この機種は基本的にオリジナル楽曲のみを扱ったリズムゲームであり、いわゆるJ-POPやアニソンに代表される曲は収録されていない。そう言った関係上で分かる人間がいるとは――と言う事なのだ。それに加えて、譜面の難易度は1であり、一番簡単なレベルと言うのを意味している。何故、このレベルを選択したのかは不明だが。
10分位たったあたりで比叡のプレイを見学するギャラリーが出始めた。丁度、2曲目の選曲をしている辺りのタイミングである。彼女のプレイに興味があった訳でなく、珍しい女性プレイヤーと言うのもあるのだろう。リズムゲームと言うジャンル自体、機種によっては女性プレイヤーも多いが、そんなにメジャーと言う訳ではない。
女性の格ゲープレイヤーがいるのはネットでも有名だが、リズムゲームでは大会で目立ったという情報がないのも理由の可能性も――。彼女のプレイに注目しているというよりは、珍しいプレイヤーがいるという認識でギャラリーが出来ているような気配もする。
「ギャラリーをいちいち気にしていても、集中力を切らすだけか」
プレイ中に比叡が背後を振り向くような事はしない。そこまで目立ちたがりというアピールをしても、ネットで炎上するだけなのは分かる。
そう言った煽りアピールはARゲームでは禁止されてはいないのだが、悪質な場合は警告を受ける事もあると言う。ネット上にはARゲームのガイドラインが断片的に拡散している傾向が見られるのだが、何故に断片的なのかは分からない。単純に炎上しそうな案件を切り取り、アフィサイトで記事にするというやり方なのか――。
午前10時30分、比叡のプレイを見たユーザーは驚きを隠せずにいた。彼女のプレイは別の意味で神プレイに近い物だったからである。プレイした楽曲の難易度は高い物ではなかったのだが、彼女の手さばきは明らかにランカーのそれと同等――それ以上と言う声もあった。
まるで、その様子は本物のピアノを演奏しているような雰囲気だったと言う。コントローラに鍵盤があるとはいえ、ピアノとは形状はまるで違う物だ。それに対して、ピアノを演奏しているような――と言う例えもおかしな話かもしれない。
「あれだけのプレイヤーが存在するなんて」
「プレイしていたのは低難易度の物ばかりだが――」
「高難易度譜面で、あのプレイが出来ればトータルバランスは崩れるだろうな」
比叡が周囲の声を気にする事はなかったが、聞こえてはいたのかもしれない。彼女の表情はプレイしていた時と変化するようなことはなく、筺体を後にしていく。
午前10時40分、ある動画サイトにて別プレイヤーがプレイした動画がアップされていた。そこに書き込まれたコメントには、想定外とも言えるコメントが存在していたのである。
【お前では、あのプレイヤーには及ばない】
この書き込みがされたのは、比叡のプレイよりも若干後。動画がアップされたのが35分、コメントは38分――3分の間隔が存在している。そして、書き込みを巡ってネットが炎上し始めていたのが40分――どう考えても仕組まれていた気配もするのだが、詳細は分からずじまいだ。
「明らかに誘導されているのか――超有名アイドル無双の時代に」
この書き込みを見て、苛立ちを覚えている人物が外に併設されたベンチに座っている。彼女は谷塚駅近くのコンビニ外で動画を見ていたのだが、気になる書き込みを見てサイト側に通報した直後で、この有様だった。
身長170センチ程、私服のセンスも周囲の一般市民より上、グリーンの髪色にセミロング、Cカップと言う事で周囲が注目するように思えるのだが。彼女の体格、それは少し言葉が悪い表現を使うとすればぽっちゃりと言うべきか。スリムすぎる体格よりはマシと言うべきか、どちらにしても、彼女の機嫌を損ねる可能性は否定できない。
「過去の出来事を繰り返す――それで莫大な利益が得られると分かっているから」
彼女の機嫌を損ねていた物、それはネット炎上だった。過去に超有名アイドル商法を巡る様々な事件を目撃していた事もあり、我慢の限界と言うのもあるだろうが――。ネット炎上であるコンテンツの評判を落とし、そのファンを一挙に超有名アイドル側が奪っていくという――そんなやり方がまかり通っていた過去も存在する。
「あの時代は超有名アイドルと言うだけでタイアップが増えていき――それこそマインドコントロール等を連想させる。その考えは非常に危険な物」
彼女の名はビスマルク、過去にARパルクールのランカーと呼ばれる人間なのだが、それを自慢するようなことはしない。そのビスマルクの目の前を自転車に乗った私服姿の比叡が通過していった。
比叡もビスマルクの事は知らないという訳ではないが――自転車を運転している都合上、彼女の方を振り向く事はなかった。一方でビスマルクは比叡の通り過ぎた方角を振り向く事はしない。ビスマルクの方は比叡の事を知らないからだ。しかし、あるネット上の書き込みを見て、彼女は後悔する事になったのである。
【突如として現れたプレイヤー、比叡と言うらしいな】
この書き込み主は煽りタイプではないようだが、何かの狙いがあっての発言なのは間違いなかった。
「あの人物が――まさか、ね」
ビスマルクは比叡が通り過ぎた辺りで自転車の通り過ぎる方を振り向くが、時すでに遅しである。それからしばらくして、2人が遭遇する機会があるのだが――それは、また別の話。
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