第13話 秘匿する破滅

 踏み均された土の道。ガラガラと音を立てながら進む車は、引く馬が一頭だけだというのに他を圧倒するほどの速さで進む。黒いたてがみが風に靡く、マリアはまるで重さを感じさせないような走りを見せていた。


 「しかし凄いねぇ、全然揺れないよ!」

 冬花の言葉通り、体に響く揺れはごく僅か。すごい勢いで過ぎる窓の外の景色は馬車の速度を表している。長々と説明された馬車の構造も今はほとんど忘れてしまったが、質のいい部品を使っているということは頭の隅に残っている。


 中は五人が座っても有り余るほどの広さを有しており、椅子や机だけでなく食器や小物までもが高価そうな見た目をしている。

 「いや、持つのも躊躇するぜこれ…」

 「割ったら弁償だね。」

 さくらの淹れた紅茶を味わうカップには金の細工が施されており、瞬の持つ手が震えている。



 「それで、僕たちは何処に向かってるの?」

 談笑のさなか冬花が切り出した。御者のいないこの馬車が何処を目指して進んでいるのか、それを知るのはマリアと話した天だけだ。


 「ああ、とりあえず…」

 思い立った天がカップを置く、話し出したその瞬間大きな揺れが馬車を襲い急停車した。

 「なんだなんだ…っ!」

 慌てて飛び出した瞬に皆続く、その場で足踏みを落とすマリアは少し怒っている様子で天を見た。


 前方に見える馬車を止めたのは二人の人間、遠くて顔までは見えないが一人は背の高い男、もう一人は小さな女の子の様だ。

 ゆっくりと歩いてくる二人、近づくにつれてはっきりするのは異様な姿。男の方は灰色のマントに灰色の仮面をつけた、白髪の男。赤く光る眼だけがこちらを覗き、手に持った杖を地面に突かず握っている。


 「どうも、すみません。」

 優しく低い声を響かせて頭を下げる老紳士。表情を隠す仮面が不気味さを演出しているが、今それを気にしている者は誰もいなかった。

 老紳士の背を追って歩く幼女は大きな何かを引きずり歩いている。後ろに跡が続居くほどに重い何かは長い棒のようなもので、先の方に括り付けられているあれは旗だろうか。


 「マク早い…りりむつかれたよぉ!」

 「ごめんよ、ほらしっかりと持って…」

 眼の前の二人は穏やかに会話する。一体何者か、奇妙な仮面男に旗を引きずる幼女、不思議な二人に五人は面食らって動けない。


 「えっと…何者?」

 やっと声を上げた忠成が丸眼鏡を上げて耳打ちする。俺に聞くなと顔に書いた天が老紳士を指した。


 「おっと失礼しました。私はマクベル、しがない旅人です。」

 「りりむはリリムぅ!しがあるたびびとですっ!」

 美しい所作でお辞儀する、彼の方が歳も上であるというのに丁寧すぎる態度の老紳士マクベルに対して、元気よく両手を掲げた幼女リリムは花が咲いたような笑顔を見せた。ドサッと旗が地面に落ちる、すかさずマクベルが拾い上げリリムの手に握らせた。


 「で?マクベルさんとリリムちゃんはこんなところで何を?」

 広大な草原が広がる大地の途中、街からは大分離れたこの場所に老人と幼女の旅人。ちなみに孫です、と頭を撫でたマクベルが冬花の言葉に答える。


 「ここからいくつかの街を越えた先にある、帝国ガンガルダに所要がありましてね、急ぎでは無いのでゆったりと…」

 「なるほど、馬車を待ちながら道の真ん中を歩いていたと。」

 仮面の裏で笑っているのが分かる。隠されている顔でも図星を付かれたのだろうことは分かった。

 

 天と忠成と珍しく冬花が真面目に話をしている最中に、そんなことよりと瞬とさくらの目と耳は違うところを向いていた。

 「なんなんだあの可愛い生き物は…」

 「はあぁぁ…かわぁ…」

 二人から深い感嘆が漏れる、目の先には皆の周りをグルグルと歩き回るリリムが。よいしょと声を上げながら重そうに旗を引きずる彼女の歩きはテクテクと音が聞こえるようで、可愛さが溢れていた。


 「おーっ。」

 リリムは天達に配慮するかのように少し声を抑えながらもたまに声を上げる。何週かして気が済んだのだろう、マクベルの隣で額を拭い満足げにほほ笑んだ。


 「さてしかし…止めた馬車がまさか王族に縁ある方々だお乗りだとは、私もついてない。引き留めてしまい申し訳ない、どうぞお行きください。」

 なるほど彼の腰がやけに低い理由が理解できた。車に刻まれたユートリア王国の紋章がありありと表す気高さに対しての態度であったのだ。


 顔を見合わせた五人は同時に頷いてマクベルを見た。悪い人間には見えない、それに老人と幼女を歩かせ見過ごすのは気が引ける。

 「二人とも乗ってください、私たちも借りているだけですので。それに中もかなり広いので快適ですよっ。」

 代表してさくらが招待する。旅人ならば色々と面白い話が聞けるかもしれない。この世界の常識に地理、老人は物知りだと誰かが言っていた気がしないでもない。


 「なんとお礼を申せば、有り難く招かれるとしましょうか…さぁリリム旗を持って。」

 「はーいっ。ありがとーございますっ!」

 行儀よく頭を下げたリリムが勢いよく銀の髪を揺らす。上げた顔に浮かべる笑顔に皆の顔が思わず綻んだ。旅は道連れとは言ったもの、仮面の老紳士と旗持ちの銀髪幼女を加えた七人は馬車へと乗り込み走り出した。




 「で、ガンガルダってどんなところなの?」

 仮面をつけているからか、さくらの淹れた紅茶に手を付けずに座るマクベルは、静かな車内に向けられた冬花言葉に目を開けた。


 「この世界でも少ない完全独裁国家を貫いている場所、強大な軍事力を誇る帝国ガンガルダは隣国であるここ、ユートリア王国と友好関係を築いています。」

 簡単に話すマクベル、ユートリアが長らく平和を続けられているのはガンガルダの影響も大きいという。


 「実は俺らが向かってるのもそこなんだ。」

 驚く一同。先ほど中断されてしまった話、馬車の行先は図らずもマクベルと同じ場所だったのは幸運である。


 「目的地まで乗せて頂くのは気が引けますが…」

 「そんな事気にしなくてもいいっすよ、ほらこれも食いなっ。」

 顎に手をやりうなるマクベル、手に焼き菓子を持ってリリムに餌付けしながら、瞬は軽く返した。しかしそれでもただ乗りするのは納得いかないのか、静かに熟考した彼はある提案をした。


 「ではこうしましょう。私とリリムがこの馬車を護衛致します、あなた方は私たちを雇うということで。」

 仮面の下で笑顔を見せたマクベルがポンッと手を叩き、手元に立てかけた銀の杖の持ちてを撫でた。


 「老いているとは言え、私も戦いに身を置いていた人間。馬車を襲う野党や獣ぐらいなら…」

 「ちょ、ちょっと待っていただきたいマクベルさん!あなたはまだしも彼女は…」

 声高に机に乗り出した忠成はリリムに視線を向けた。リスのように焼き菓子を頬張る彼女はとても戦いができる人間とは思えない。


 瞬も続いて声を上げようとしたそんな時だ、またもや話を遮るように馬車の速度が緩まり始まる。同時に嫌な空気を感じ取った天が警戒するように窓の外を見渡した。

 「おや、丁度いい。ならばお見せいたしましょう、リリム。」

 「おーっ!」

 床に置いた旗を手に取り立ち上がった幼女は口に含んだものを急いで嚥下した。元気に声を上げた彼女は扉を開けて外に出る。


 「襲撃だ、皆外に出るぞ。」

 馬車を取り囲む僅かな敵意に多くの視線。潜めた言葉で馬車から皆を連れ出す。幸か不幸か、やけに自信ありげなマクベルの言葉の検証をする機会がやって来た。



 全員が馬車を下りると、草むらに潜んでいた男達がぞろぞろと姿を現した。二十を超える彼等は皆汚れた服に身を包み、手には様々な得物をちらつかせている。

 「なんだ、ガキに老人だけじゃあねえかあっ!へへっ楽勝だなお前ら!」

 おそらくはリーダーであろう眼帯の男の声に汚い笑いが上がる。既に後ろにも回り込まれているようで、品の無い仕草に言葉が飛び交っている。


 「この紋章を目にしても引かないとは、恐れ知らずの様ですね。」

 「王族のもんだろうが護衛もつけねぇ馬鹿どもを見逃すほど肥えてないんでな!」

 下卑た視線が冬花とさくらに向けられる。なるほど護衛というのは抑止力にもなるのだろう、しかしこの五人に護衛が必要ないのを知るのも五人だけだ。


 「瞬、ここは傍観だ。マクベルさん!」

 「はい、お任せを!」

 今にも突っ込みそうな瞬を制し、マクベルに声を掛けた。天に手を上げ答えると一歩下がって杖を突く。


 「リリム。半分は頼みましたよ。」

 そう言ってリリムの首を撫でる手は、まるでナイフで切りつけるかのような動き。笑顔の彼女は突然に俯き、言葉を発しなくなってしまう。そんな彼女から眼を離し、マクベルは男達に正対する。

 

 ゆっくりと仮面をずらす、中は闇。見た者を飲み込む一切の光が無い、全てを隠す暗い世界。


 「闇よ、救え…」

 コツンッ

 地面を軽く突く、瞬間周りで倒れ始めた男達。今まで笑って騒いでいたというのにその顔は呆然と、目からは光が失われている。


 「な、お、おい…どうしたっ!」

 半数の人間が一瞬にして戦闘不能になったことに眼帯が駆け寄った。倒れた者は息はしているがいくら揺すってもびくともしない、まるで死人。

 「お前何を…っ!」

 憤慨し元凶の老人を見ると、杖を突いたまま動く気配が無い。何が起こっているのか、しかしあいつを殺せば…と残った男たちがマクベルに詰め寄る。


 ゾクゾクッと感じたことの無い寒気が全身を凍らせた。殺気、敵意のどちらでもない。ただ肌を刺すのは純粋な恐怖。


 「ひぃっ!!」

 見下ろした元凶の顔を見て、思わず情けない声を漏らした。しかし無理もない、全てが黒塗りに闇が広がる眼球がただひたすらに虚空を見詰めている。

 綺麗な銀の髪はいつの間にか真っ黒に染まり、引きずっていた長い棒が身体の横に立てられている。風に靡く黒旗には白い花の紋章が描かれており、揺らめく美しさに魂が看取られてしまうようだ。


 ヒュッと風を切り裂く軽い音。重そうに引きずられていた黒旗は、何もかもが変わってしまったリリムによって振り抜かれた。

 「あえ…?」

 呆けたような声の後、ゴトリと鈍い音を立てて地面に落ちたのは眼帯のついた頭。マクベルを除く、意識のある全員が戦慄に言葉が出ない。


 血の吹き出した死体の横をゆらゆらと通り過ぎたリリムだった幼女。見ると彼女が持っていた黒旗は漆黒の大鎌に姿を変えている。ヒタヒタと血だまりを踏みつけながら進む彼女は、まさに死神。


 「く、くく来るなぁ…っ!」

 ヒュッと鳴るのは息の音か、二つ目の首が宙に舞う。大鎌を振り回しながら不規則な動き、それは死の踊り。ピチャピチャと血の音を背景音楽に、腰が抜け逃げ遅れた者たちを、一振りで魂の無い人形へと変えていく。


 ちらりと見えた彼女の顔は口角が上がり切り、楽しさ以外を殺した表情に染まっていた。笑っている、舞台の主役は静かに踊る。

 時間にすればごく僅かな演目だった。それは心に恐れを焼きつけたが、幕引きのスタンディングオベーションなど上がるはずもない。


 「…リリム、戻りなさい。」

 マクベルの優しく低い声が彼女に語り掛けた。全てを終えたからだろうか、振り返った彼女の顔笑顔はなく、虚無を纏いマクベルの方に近づく。

 割れ物を掴むように、リリムの首に優しく触れたマクベルは、決して力は入れずに首を絞めた。


 徐々に銀色を取り戻していく髪に光が戻ってくる瞳。立てた大鎌も黒旗に姿を戻し、その首を地面に着ける。


 「りりむがんばったぁー!」

 元気よく上がった声、誰一人それを受け止められる者はいなかった。怪訝そうに首を傾げた幼女だけが元気に両手を掲げていた。

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