集合住宅団地怪音事件

赤魂緋鯉

前編

「どうなの陽菜ひな? なんか来てる?」

「んや……」

「ひなっち眠いー?」

「おう……」

「枕とか毛布とか耳栓どーぞー」

「んー……」

「あ。膝枕ねー」

「いや、あんたが寝たら来たか分かんないじゃないの!」

「引き続き頑張って……、スコープ覗けー……。……」

「ちょっと! 撃沈早すぎない!?」

「ひなっちは10時に寝るから仕方ないよハサミー」

、ね。いい加減あなたも覚えて貰えない?」

「えー」


 深夜。とあるそれなりの築年数が経った団地に、『怪取局』の覆面パトカーで水卜とユウリと流音るねが張り込み捜査をしていた。


 だが、基本的に早寝の水卜みうらは、日付をまたいだ瞬間きっかりに後部座席で眠りについてしまった。


「まあそれは置いておくとして。あなたでもなんか見えるんでしょ」

「まーねー。ひなっちよりははっきり見えないんだけどねー」

「あ、そう。それでもいいから手伝って貰える?」

「ちょっとはー」

「おまかせーじゃないの?」

「ひなっちに言われないと、おまかせにはならないかなー」

「思い出したみたいに使役霊型要素を出してくるわね……」

「そーおー?」


 怪異探知スコープを覗いたままの流音と、あめ玉を転がしているかの様な甘い声で首をかしげるユウリは、そんな気の抜けた会話をしつつ建物の高層階を見張る。





 この日の午前、前日にスカイフィッシュの異常発生を片づけてやや疲弊気味な水卜班へ下った出動命令は、とある団地での異音騒動の捜査だった。


「変な音ぐらいでなんで俺らなんだよ課長。だいたい課が違うだろ」


 パンツスーツを着崩した格好の水卜は、椅子にどっかりと座って心底面倒くさそうに書類を持ってきた上司へ言う。


 パーカーにショートパンツのユウリがその後ろに立っていて、彼女の頭を手で支えてヘッドレストの代わりをしていた。


「他の人員が手一杯なのだよ。すまないが頼まれてくれまいか」

「了解しました」


 非常に難色を示す水卜に代わり、流音が書類を受け取って課長へ敬礼をした。


「なんでだよ」

「なんで、じゃないわよ。仕事なんだからちゃんと受けなさい」

「気が乗らねえなぁ」

「乗るとかそういう問題じゃないの! ほら、あなたからも何か言って」


 渋りまくる水卜を唯一動かせそうなユウリへ、そう言った流音だったが、


「え。ひなっちー」

「おう」

「何かー」

「おう」

「いや、そうじゃなくて」

「えー?」


 彼女は全く話を聞いていなかったため、何の効果も得られなかった。


「水卜捜査官、君はそう言うが、過去にもこの手の異音騒動があってだね。大した事はないと判断した直後に建物が丸々怪異に飲み込まれ、大量の死者を出した事がある」

「ふんふん」

「他にも類似案件があるのだが、それ以降、この手のはっきりしない案件は局員の所属は関係なく、ひとまず行ける人間が行く事になっているのだ」

「ほー、そりゃ熱心なことで」

「ちなみに理由なく断ると、当然減給されるから気を付けたまえ」

「よし、さっさと片を付けて帰るぞユウリ」

「えーい。おーおー」

「分かりやすーい……」


 減給、と聞いた水卜は先程からの嫌そうな顔を引っ込め、すっくと立ち上がると急にやる気を出し、ユウリを引き連れてそそくさと部屋を出て行った。


 外壁によどんだ様な色が染みついた6階建てのそこに着くと、ある夫婦が住んでいる、異音がする3LDKの部屋へと3人は向かった。


「本当に困ってるんですよ!」

「はあ」

「毎晩毎晩コンコンコンコンコンコン窓をノックされて、開けると何もいないし、たまに変なうめき声が聞こえるのにウチ以外では誰も聞こえないから、隣近所からは頭がおかしい人間扱い――」


 除霊の専門家という肩書きで部屋に上がり調査を開始するも、流音は住人の2人から怒濤どとうの愚痴を延々聞かされる羽目になっていた。


「わー大変そうだね」

「だな」


 一方水卜とユウリは面倒くさそうな予感を察し、さっさとベランダへと出ていて、ダイニングテーブルで耐久レース染みた目に遭う流音を他人事のように覗き見る。


「で、なんか変なとことかあっか?」

「んー、別にー」


 回れ右して辺りを見回すも、いわく付きの何かなどは見当たらない、ごく普通の無骨な鉄筋コンクリートの構造物しか存在しなかった。


「だよなあ。地縛霊とかその手のもんじゃねえとなると、浮遊系の怪異が訪問してきてるとかか……?」

「そーゆー流れとかは来てないよー」

「通路になってる説はないか……」

「人間のイタズラじゃなーいー?」

「人間はこんなところまで手は伸びねえの」

「なんかこう、鍛えると飛べたりするんじゃないのー?」

「出来るわけねえだろ」

「え。そーなのー? タタミーすっごくジャンプできるからそーゆーものかと」

「アイツは怪異混じりだからだ。普通は無理なんだよ」

「ちょっと! なに知らん顔してるわけ?」

「うわでた」

「ガザミーだ」

「宇佐美!」


 ボソボソしゃべりながら事態の考察を真面目にしていると、掃き出し窓がガラッと開いて、会話が聞こえていた流音は眉間にしわを寄せながら半ギレでそう言う。


 夫婦は愚痴るだけ愚痴ると、後は任せる、と言って2人揃って外出してしまっていた。


「出たじゃないわよ! 押しつけてくれちゃって! あとアンタは名前ぐらい覚えて!」

「えー」

「で、連中は?」

「解決するまでホテル暮らしして帰ってこないそうよ」

「じゃあどうするのサザビー」

「まずは部屋にいて待ち構える作戦しかないでしょ。誰が公国のモビルスーツよ」

「うえー、張り込みかよ。流音だけでやるとか出来ねえもんか?」

「3人1組だから無理でしょ。我慢しなさい」

「ちっ」

「ナナミーは厳しいねー」

「宇佐美……」


 ふざけているというより、関心が無いといった様子のユウリに、流音はかぶりをふって呆れる。


 そんなやりとりをした後、流音が課長に部屋での張り込みの許可を仰ぐとすぐに下りた。


「下りたからにはやるわよ」

「うへー……」


 水卜は許可が下りない事を願っていたが、あえなく下りたためがっくりと肩を落とした。


「快適グッズいろいろあるから頑張ろー?」


 そんな彼女に後ろから包むように抱きついたユウリは、その頭に頬ずりしながら少し小さな声で励ます。


「おう……。ビーチベッドみたいなのあるか?」

「キャンプ用のやつならあるよー」

「まあそれでいいか。出せ」

「おまかせー」


 ユウリは身体の黒いもやの中から、ハイバックでフットレストがあるキャンプチェアを出し、座面に抱き上げてわざわざ水卜を乗せた。


「もう1個ない?」

「足乗せなくていーならあるよー」

「それ出してもらっていい?」

「はいどーぞー」


 ハイバックだが座面の高さが低いタイプのものを、ユウリはすかさず取りだして水卜の隣に置いた。


 そこから一晩中、順番に起きて怪現象がくるまで延々待ったが、朝になってもついに発生することはなかった。

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