恐妻

あべせい

恐妻



 町内会の温泉旅行の宿泊先。

 ホテルの大広間にある舞台に、長身の美女と、チビの男が登場する。夫婦漫才を始めるのだが、どうやら台本はなく、実生活をそのままに演じていくようだ。

夫「私は恐妻家と呼ばれている夫です。恐妻家は愛妻家と紙一重という人もいますが、私は間違いなく恐妻家です。紙一重のこの紙は、とてつもなく厚い。こんなに(指で厚みを示して)。こちらの(傍らの妻を目で示し)女性は……」

妻「(夫の言葉を遮るように)わたしは、恐妻家を夫に持つ妻です」

夫「ただし、強い、ツヨーイ妻です」

妻「いいえ、それほど強くはありません。少しです。ほんの少しだけ……」

夫「こんな、にわか夫婦が、これから家庭内のお恥ずかしい内幕をお話しします。どうぞ、ご家庭へのお土産にお持ち帰りください」

夫「(改まって)紗耶さん、お変わりないですか?」

妻「あなたとの関係以外はねッ!」

夫「ぼくとの関係以外は、って。ぼくとの関係がおかしくなったとおっしゃるのですか?」

妻「あなた、見たでしょ」

夫「紗耶さんのメールなンか、見ていません……」

 言ってから、シマッタ!

妻「やっぱり、見たのね。わたしのメール……」

夫「すいません。あなたのスマホがとってもすてきだったから。つい手にとったら、自然にメールが表れました」

妻「あなたは、その程度の言い訳で、わたしが納得すると思っているのね」

夫「紗耶さんなら、許してくださると思って……」

妻「夫婦でも、通信の秘密は守られるべきなのよ。わかっている?」

夫「充分承知しているつもりです」

妻「あなたの見たメールには、何と書いてあった?」

夫「『前回通り、例の部屋に、明日、午後7時に来て欲しい』って」

妻「あなた、それを読んでどう思ったの?」

夫「ぼく以外の男性とデートするのじゃないかと思って、哀しくなりました」

妻「当たらずといえども、遠からずね」

夫「本当なンですか! 紗耶さん、それって、夫に対する裏切り行為じゃないですか。不倫、昔風に言えば、不貞ッ」

妻「会っただけよ。何もしていないわ」

夫「会っただけって、どなたにですか?」

妻「(哀しい表情で)わたしの父……」

夫「紗耶さん、気は確かですか。あなたのお父さまは、昨年お亡くなりになったじゃないですか。ぼくたちがつきあっている頃ですが……」

妻「だから、会いに行ったンじゃない。父に会いたくて……」

夫「(まるでわからない)? 例の部屋に行けば、お父さまに会えるというのですか?」

妻「そォ、映像だけでね」

夫「なンだ。映像って、ビデオとかDVDの映像なンでしょう。それだけ?」

妻「それだけ、って何よ。あなた、わたしの父を侮辱するの。許さないわよ」

夫「いいえ、侮辱だなンて。ぼくは紗耶さんのお父さまを、とっても尊敬しています」

妻「そうよね。いつもこっそりお小遣いをもらっていたものね」

夫「ご存知だったのですか?」

妻「当たり前でしょ。父が、わたしに内緒でそんなふしだらなことをするわけがないでしょ」

夫「ぼくにお小遣いを与えることが、ふしだらですか」

妻「そうでしょ。夫をますますダメにするから」

夫「まァ、いいです。そのお言葉は甘んじて受けます。それで、お父さまにお会いになった目的は何ですか?」

妻「決まっているじゃない。新しい夫を見つけてもらうためよ」

夫「ぼくたち結婚して、まだ3ヵ月ですよ。もう、次の夫を探しているのですか?」

妻「なんでも、スペアは必要よ」

夫「スペア!?」

妻「予備ね。あなたが亡くなったら、あなたの代わりになる予備の夫が、必要になるでしょ」

夫「お父さまは、そのスペアを探してくださったのですか? 待ってください。話がややこしい……」

妻「鈍いあなたには難しいかもね」

夫「例の部屋って、ビデオ映像が保管されているのですか?」

妻「たくさんのビデオ映像を個人の家庭で保管するのがたいへんな場合、預けておけるの。そして好きなときに見ることができる」

夫「図書館みたいですね」

妻「あなた程度の頭脳には、そう説明したほうがわかりいいかもね」

夫「紗耶さん、いいですか。ビデオ映像に残っているお父さまに会うというのはわかります。しかし、ビデオ映像のお父さまに、夫のスペアを探してもらうというのは、理解できません」

妻「どうしてよ。その部屋にある映像管理会社では、私が預けたたくさんの父のビデオ映像を再生して、父の性格、趣味、行動パターンなどを徹底的に解析してくださったの。そして父の思考方法を再現して、父がさまざまな場面で、どんな判断をするか、即座に答えが出せる仕組みを作ってくださった。簡単に言うと、父の頭脳がコンピュータで蘇ったの。だから、生前の父と同じように、映像だけど、父の顔を見て、父と会話できるというわけ。わかったかしら?」

夫「なんとか。あなたのことだから、再現されたお父さまの頭脳は、間違いなく生前のお父さまの頭脳であることは、確かめられたのでしょうね?」

妻「勿論よ。その父に、たくさんの女性の写真を見せて、好きな女性を選んでもらったら、即座に母を選んだわ」

夫「へーえ。そうですか。まァ、いいでしょう。男としてはまだまだ言いたいことがありますが、ここは一歩引き下がります。それで、ぼくのスペアは見つかったのですか?」

妻「そのような形で父に会うのは、これで2回目だけれど、わたしにふさわしい男性が、3人見つかったって、父は言ったわ。次回は、その3人の中から1人に絞り込むことになりそう」

夫「でも、それは現実の話じゃない。コンピュータが作り出した、お父さまの頭脳が考えた結果でしょう?」

妻「そうよ」

夫「それだったら、そこに登場する男性も、実際には存在しない……」

妻「でもね。その例の部屋は、本来は結婚相談所なの。結婚相談に必要だから、亡くなったひとの頭脳を再現して、お客の相談に乗っているの。だから、結婚を希望する実際の男性のデータが、たくさん入力してある。わかったでしょ。男性は幻ではないの。幻は父だけということ。父が、コンピュータに入力されている男性の中から、わたしにふさわしい男性を、父の頭脳で探してくれた、っていうこと。理解できたかしら?」

夫「まだ、よく理解できていません。どうして、ぼくのスペアが必要なンですか?」

妻「あなたのことが信用できなくなったからよ」

夫「メールを見たからですか?」

妻「メールだけじゃない。わたしの日記や、わたしの机の引き出しの中、わたしのバッグの中、箪笥の小物入れの中、あなたはわたしのいろいろなところを覗き見しているでしょ」

夫「でも、夫が妻のことを知りたいと思うのは当然のことです」

妻「わたしはあなたのことを、いま以上に知りたいとは思わないわ」

夫「どうして、ですか?」

妻「知ったら、がっかりすることばかりでしょ。妻のメールをこっそり覗くことだって。失望を通り越して、絶望の極地よ」

夫「ぼくたち結婚して、3ヵ月です」

妻「それは前にも言ったわ。あなた、同じことを言っていたら、ご町内のみなさんに、バカにされるわよ」

夫「新婚3ヵ月なンだから、妻のことを知りたいと思うのは当たり前でしょ」

妻「あなたはわたしの何が知りたいの?」

夫「すべてです」

妻「すべてを知ったら、失神するわ」

夫「紗耶さんは、そんな女性じゃない。ぼくの知っている紗耶さんは、明るくて、しとやかで(妻は気持ちよく聞いている)、知的で、理性的で、意志が強くて、思いやりが深くて、くじけることを知らない……」

妻「(さすがに面倒になり)言いたいだけ、言っていれば。あなた、世間では、わたしたち夫婦のことを何と言っているか、知っている?」

夫「凸凹夫婦ですか」

妻「身長差夫婦ね。まだあるわ」

夫「年の差夫婦でしょ」

妻「わたしが25才で……」

夫「(こっそり)少し、サバを読んでいます」

妻「あなたは50才……」

夫「こちらも、サバを読んでいます」

妻「年齢が、倍の開きがあるのよ。うまくいくわけがないでしょ」

夫「いまは、25才と50才だから、2倍の開きがありますが、25年たてば、紗耶さんは50才、わたしは75才。2倍の開きが、1倍半の開きに縮まります」

妻「そんな算数、聞いたことがない」

夫「ですから、この調子で2人が年を重ねていけば、やがて紗耶さんは、ぼくと同い年に……」

妻「バッカみたい。あなた、わたしとどうして結婚したの?」

夫「紗耶さんが、背が高かったからです」

妻「! 背が高いと何がいいの?」

夫「生まれてくるこどもが喜びます」

妻「それは、わたしの長身が遺伝すればの話でしょ。わたしの性格が遺伝すれば、どうするの」

夫「それは、困ります」

妻「ゲェッ!」

夫「冗談です」

妻「あなた、背が低くても便利なことがあるわよ」

夫「床掃除がしやすい、と言うンでしょ」

妻「それもあるわ」

夫「わかった。地震が起きたとき、テーブルの下に、素早く逃げ込むことができる」

妻「わたしをおっぽりだして、自分だけ助かるつもり?」

夫「いけませんか?」

妻「だから、あなたは信頼できないのよ。あなたがわたしと結婚したのは、わたしの背が高いだけ?」

夫「まだまだありますが、ここでは言えないことばかりです」

妻「いいわ。徐々にしぼりだしてあげる」

夫「では、紗耶さんは、ぼくとどうして結婚したのですか?」

妻「つなぎよ。もっといい男が見つかるまでの、つ、な、ぎ、」

夫「! それって、妥協じゃないですか?」

妻「そうとも言うわね」

夫「結婚は妥協じゃ、いけないと思います」

妻「あなたが長身のわたしを選んだのも妥協じゃないの?」

夫「どうしてですか?」

妻「この程度の身長がいいだろう、って妥協したンじゃないの?」

夫「そりゃァ……でも、本当は……」

妻「本当は? 本当は何なの?」

夫「言えません」

妻「(強く)言いなさいッ!」

夫「ハイッ。結婚する前、ぼくは紗耶さんくらいの身長で、バツイチの女性を求めていました」

妻「あなた、わたしがバツイチだから、求婚したっていうの」

夫「いけませんか?」

妻「バツイチのどこが、いいのよ」

夫「ぼくは初婚だから。結婚生活について詳しい女性のほうが、うまくいくと思ったからです」

妻「あなた、バッカじゃないの」

夫「きょう、あなたにバッカと言われるのはこれが2度目です」

妻「結婚は、お互い手探りで、いろいろ学び合いながら、工夫して結婚生活を送る。それが楽しいンじゃないの。たくさん失敗して、人間は成長するンでしょ」

夫「それは、バツイチの紗耶さんだから、言えることです。初婚のぼくには、とてもそこまでは考えが及びません」

妻「うまく逃げたわね。ほかに、バツイチ女性のいいところ、ってあるの?」

夫「バツイチは離婚経験者だけではないでしょ。死別の場合も、籍を抜けば、戸籍にバッテンが付きます」

妻「あなた、わたしが未亡人だったから……」

夫「そ、そうです。ぼく、ずーッと、未亡人にあこがれていました」

妻「だったら、わたしがどうして未亡人になったのかも、知っているンでしょうね」

夫「エッ!?」

妻「知りたくない?」

夫「(ぎこちなく)知り、たい、です」

妻「夫のあなたにだけ、教えてあげる」

夫「はい……」

妻「前の夫は、事故で亡くなったの」

夫「(がっかりして)その程度なら、ぼくにでも想像は、つきます」

妻「どんな事故だったか、知りたくない?」

夫「交通事故ですか?」

妻「そんな事故じゃない」

夫「教えてください。事故はどんな状況で起きたのですか?」

妻「落ちたの」

夫「高いビルからですか?」

妻「いいえ、高さは2メートルくらいかしら」

夫「2メートルくらいの所から落ちたのなら、足をくじく程度ですむでしょう」

妻「落ちたところに、たまたま電車が走ってきたの」

夫「それって、ホームからの転落でしょ」

妻「そうとも言うわ。前の夫は運が悪かったのね。混み合っているホームから、転落したら、その直後に、電車がホームに入ってきた」

夫「紗耶さんはそのとき、家におられたのですか?」

妻「あなたいままで、何を聞いていたの。夫の最期を見届けないで、妻の役目が果たせると思っているの!」

夫「その日が、ご主人の最期になるって、ご存知だったのですか?」

妻「そ、そんなこと、知るわけないじゃない。でも、わたしは、いつ夫が亡くなってもいいように、ふだんから覚悟をしているの。あのときも、電車がホームに入線してくるというアナウンスが聞こえて、いま夫がホームから落ちたら、たいへんなことになる、って考えたのね」

夫「そんなことを考えるものですか」

妻「夫の体を考えるのは、よき妻として当然のことでしょ」

夫「前のご主人は、どうしてホームから転落されたのですか?」

妻「言いたくないけれど、言うわ」

夫「言いたくない、ってことは、ご自分の意志で転落した?」

妻「あなた、はっきり言うわね。けれど、外れ。自殺じゃないわ」

夫「では、ホームが混み合っていたから、何かの拍子に押されたはずみで……」

妻「あなた、見ていたの?」

夫「いいえ、ぼくは、その頃はまだ紗耶さんの存在すら知りませんでした」

妻「当然よね。夫はだれかに押されたのでしょうけれど……」

夫「でも、そのとき、紗耶さんはご主人のそばでなくても、近くにはおられたのでしょう? 夫の最期をみとる妻の役目を果たさなければいけないのですから……」

妻「わたしは、あのひとのすぐ後ろにいたわ。それ以外のことは覚えていない。何も思い出せない……」

夫「事故のショックで、記憶が飛んでしまったンでしょう。都合よく、ね」

妻「都合よくとは、なによ! 刑事のようなことを言うわね」

夫「いけませんか」

妻「でも、いま、思い出したわ」

夫「前のご主人がホームから転落したときのようすですか?」

妻「いいえ、きょうここに出て来た、本当の目的よ」

夫「本当の目的って、何ですか?」

妻「わたしは結婚したら、夫婦で生命保険に入ることに決めているの」

夫「お互いに、相手を受取人にして、生命保険に入る、っていうンでしょ。それは、ぼくも賛成です」

妻「なら、話は早いわ。書類を持って来たから、あとでサインして。それでポストに投函すれば手続きは完了するわ」

夫「では、前のご主人とも、互いに生命保険に入っていた?」

妻「当然よ」

夫「前のご主人が亡くなって、生命保険が役に立ったのですね」

妻「あなた、わたしが保険金目当てに、前の夫をどうかした、みたいな言い方をするわね」

夫「そう聞こえますか。でも、わたしが紗耶さんに求婚したのは、背の高いこと、未亡人であることに加え、これが最も大きな理由ですが、紗耶さんが夫を亡くして、高額の保険金を手に入れられたからです」

妻「言いたいことを言うわね。それって、あなたが、お金目当てにわたしと結婚した、って言っているようなものじゃない」

夫「いけませんか」

妻「あなた、わたしをもう一度、未亡人にするつもり!」

夫「脅かしてもムダです。ぼくは、電車のホームには絶対近付きません」

妻「いいわ。そのうち、いい方法を見つけるから」

夫「紗耶さん、わたしが先に死んだら、保険金はあなたが受け取れますが、紗耶さんが先に亡くなったら……」

妻「(つぶやく)そんなことは、ありえない……」

夫「そのときは、当然ぼくが保険金を受け取ります」

妻「しつこいわね。そんなことがあって、たまるものですか!」

夫「でも、もし、2人が同時に亡くなったら、保険金はどうなるンですか?」

妻「飛行機事故だったら、そういうこともありうるわね。でも、心配しないで。わたしたちの保険金は、わたしのこどもが受け取るから……」

夫「紗耶さん、こどもって。聞いて、いません! どこに、どこに、どこに、こどもがいるンですか。それとも、(うれしそうに、妻のおなかを見て)ぼくたちのこどもですか?」

妻「バカね。前の夫のこどもよ」

夫「紗耶さんと結婚するとき、こどもがいるなンて、聞いていませんよ」

妻「あなたが聞かなかったからよ」

夫「聞かなかった、ってッ! そういうことは、聞かれなくても言うもンでしょ」

妻「そんな余計なことを言ってどうするの。結婚の障害になるから、言わなかったの」

夫「そのお子さんは、どこにおられるンですか?」

妻「実家にいるわ。3人で仲良く、学校に行っているわ」

夫「3人も!? 紗耶さんは、3人の子持ちですか?」

妻「あなた、結婚するとき、こどもはたくさん欲しい、って言ったじゃない」

夫「もちろん、そうは言いましたが……この結婚は失敗です。ぼくは、もう一度、紗耶さんを未亡人にしたくなった」

妻「混み合っている駅のホームに行けばいいのよ」

夫「こんども、止めないンですか?」

妻「そんなムダなことはしないわ。わたしには父が探してくれたスペアがあるもの」

                (了)

              

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恐妻 あべせい @abesei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る