番外編 生前のぴーちゃん
ステージ上の彼女を観た時、自然に流れでる涙を抑えることができなかった。
もう齢50も過ぎてみっともないという感情は湧かなかった。
娘が亡くなった時、一生分の涙がすべて流れ出て枯れ果てたと思っていたが、どうやらそんな非科学的なことはあるわけもなく、私の身体は涙を作り続けてきたらしい。
VRヘッドセットでP2015復帰ライブを観ている私の隣で妻はタブレットで同じ光景を観ていた。
顔を拭うこともなく最後まで観たライブの後、ヘッドセットを外して隣を向くと、妻の顔もずぶ濡れで二人して笑った。
こんな風に笑ったのは何年ぶりだろうか。
別にこれで娘が生き返ったなんて思っていない。
娘とP2015は別の存在だ。
双子と似たようなものかもしれない。
完全にエゴでしかない。
私はただ自分の欲望によって彼女の人生に続きを与えたかった――そう思えることを為したかった――し、そうすることで救われたいと思っていた。
倫理的に肯定されることではない。
それでも。
それでも……今の自分の感情や隣にいる妻の顔を見てやってよかったと思う。
もうこれで私は自分の人生に何の後悔もない。
「こんなことしてたんですね」妻が言った。
「あぁ、大学にバレたらクビだ」
私は冗談が下手だ。
妻は笑わなかった。
「あの子はぴーちゃんと言うんですね」
「P2015、プロジェクト名をそのまま入力していたら本人がそう認識した」
「名前つけるの本当に下手くそですね、昔から。でも、それがよかったのかも」
私は肩を竦める。
娘の名前も結局私が出した案はすべて却下され、妻の案が採用されることになった。
妻に相談していれば、もっとうまくプロジェクト名もアバター名も付けられたかもしれない。
「でも、アイドルの衣装や見た目はあなたにしては悪くないセンスでしたね。あの子が好きそうな……」
「あれは私のセンスじゃない。あの子が描いていたスケッチブックを見て作った」
「あのお絵描き帳……」
今なら妻もあのスケッチブックを見ることができるだろう。
私は立ち上がり、自室の金庫から娘の遺品を幾つか取り出し、リビングへと持ってくる。
「ほら、これだ」
うさぎのイラストが表紙のスケッチブックだ。
【せと ひめこ】
娘の名前が書いてある。
「あの子が自分のことを、ぴーちゃんと言ったときにもう涙をこらえられませんでしたよ」
「別に……意図したわけじゃない」
娘は自分のことを「ぴーちゃん」と言っていた。
周りが「ひーちゃん」と呼んでいたのを聞き間違えて「ぴーちゃん」と呼ばれているのだと思ったようだ。そして、自分のことを「ぴーちゃん」と言うようになった。
プロジェクト名を「P2015」にしたのもたまたまだし、「ぴーちゃん」だと自称しているのもたまたまだ。
だが、その偶然は妻にとっては奇跡のように思えただろう。
私はそっとスケッチブックのページをめくっていく。
スケッチブックには怪獣やロボット、そして……。
「あぁ、これですね」
娘が描いた自分の姿だ。
片腕がロボットアームでタイトでSFチックな衣装、そしてマイクを握って楽しそうに歌っている。
「VRヘッドセット、もう一つ買うから今度は二人で観に行こう」
「はい」
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