59. 雄大なるクジラ

 やがて向こうの方に巨大な構造物が見えてくる。


 極めて大きな長細い流線型のものが、ゆったりと揺れながら徐々に回頭してこっちの方へ進路を変えているようだ。かなりの速度で近づいてくる。


「ちょっと、何あれ?」


 玲司はミリエルに聞いたが、


「金星はあたしらにとっても伝説上の存在。金星に何があるかだなんて聞いたこともないのだ」


 と、ミリエルは渋い顔で首を振る。


「あの動き、生き物だゾ」


 シアンが手をうねうねさせながら言う。


「生き物? 宇宙に生き物なんているのか?」


「いないよ? でもここは金星だゾ。きゃははは!」


 玲司はもう一度目を凝らしてそれを見た。すると確かに円錐状の先頭部分には口らしき筋が入っているように見えないこともない。そして、横とシッポについた巨大な太陽光パネル状のものはヒレにも見える。となると、あれはクジラ型宇宙船、と言うことだろうか。


 ミリエルたちにとっても神の世界である金星。そこに展開される不思議な光景。玲司は想定外の展開にただ茫然として、天の川を背景に悠然と泳ぐクジラの泳ぎに見入っていた。


「幅二十キロ、長さ百キロってとこかな?」


 シアンが両手の親指と人差し指で四角を作り、カメラマンみたいにクジラを捉えながら言う。


「百キロメートルのクジラ!?」


 玲司はその非常識なサイズに絶句する。


 そして、そんな巨体がみるみる近づいているということは、その速度はとんでもない速さに違いない。


「逃げらんないの?」


 玲司はミリエルに聞いたが、ミリエルは肩をすくめ、


「人間にとって管理者が神様なように、管理者にとって金星人は神様。ここは神の世界なのだ。あたしたちは何の能力も出せないのだ」


 と言って、ため息をついた。


「あ、そうだ! シアン! あの槍は金星の物なんでしょ?」


「そうだけど? これであのクジラ真っ二つにするの? きゃははは!」


 シアンは槍をクルクルと回すと、炎状の穂先をゴォォォと大きく燃え盛らせた。


「あ、いや。何かに使えないかなって」


「うーん、魔王城を少し動かすくらいなら……。でも逃げらんないゾ」


「デスヨネー」


 玲司はうなだれる。


 そうこうしている間にもクジラはこちらに一直線に接近してくる。直径二十キロだとすると、ヒレの長さは40キロはあるだろうか? 満天の星をバックに接近してくるクジラは、表面がメタリックで、下腹部は鮮やかな金星のキラキラとしたきらめきを反射し、背中は星空を映している。


「二十キロって大きすぎてサイズ感がわかんないなー」


 玲司がボヤくと、


「東京23区がそのまま飛んでくる感じだゾ」


 と、シアンは楽しそうに言った。


「23区全部がってこと?」


「そう、全部が来るゾ!」


 うはー。


 絶句する玲司。


 音の全くない静けさに沈んだ宇宙で、徐々に大きくなって見える23区サイズのクジラ。その得体の知れなさに玲司はゾッと冷たいものが背筋を流れ、冷汗をポトリと落とした。



         ◇



 クジラの圧倒的な存在感に飲まれ、城内はシーンと静まり返る。


 東京23区サイズのメタリックの巨体はきらびやかな金星の輝きを反射して、満天の星空の中で不気味に輝いている。


 ミリエルもミゥも渋い顔で押し黙り、ただ近づいてくる神判しんぱん者の裁きを静かに待っていた。


 眼前に迫り、星空を覆わんとするように迫ったクジラは、さすがに体当たりをするわけではないようで、衛星軌道上にたたずむ魔王城の右側をかすめるように超高速で通過していく。


 クジラのゆったりとした曲面の造形には幾何学模様を描く継ぎ目が無数に走り、鏡のような綺麗な光沢を放っている。そして、継ぎ目からは金色の蛍光がほのかに放たれていた。


 玲司は眼前を超高速で過ぎ去っていく巨大構造物の中に巨大な目を見つける。それは直径一キロはあろうかというサイズで、まるで一眼レフのカメラレンズのように漆黒の闇を内部にたたえ、こちらを凝視しているようにも見えて、玲司はぶるっと震えた。


 しかし、これでは終わらない。胸辺りについた全長四十キロはあろうかという巨大なヒレが、ゆっくりと打ち下ろされてきながら魔王城に迫っていたのだ。

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