アナザーサイド~黒魔法使いのお姉さん~
「猛る炎よ、爆ぜて、弾けよ、――《フレイム・ランチャー》!」
爆炎を吹き荒れ、魔物の群を一息に呑み込みます。
わたしのなけなしのMPを吸い上げた、最後の一撃でした。
「グルワーズさん――」
マジックポーションで回復を図るため、グルワーズさんに少し魔物を引きつけて欲しかったのです。ですが、グルワーズさんにそんな余裕はありませんでした。
彼は、オーク二匹から逃げ回るのに必死のご様子。
わたしを狙っているゴブリン数匹などには目もくれません。
斥候であるため、ニッケルトンさんのような重騎士の役目は荷が勝つのはわかっていましたが、それでもその素早さ頼みで魔物の注意を引くことくらいはできるはずです。
彼はそれすらせずに、ただ逃げ回って――、
いいえ、こんなところで愚痴っていてもしょうがありません。
ガリウスさんに無理を言ったのはわたしです。
そんなわたしを気にかけ、グルワーズさんは好意で同行してくださったのです。
テトルお姉ちゃん救出のためにも、多少のことでへこたれている場合ではありません。
マジックポーションを呑むくらい、なんてことは、
「ぎゃばっ!」
「――きゃ!」
ゴブリンに驚かされ、不覚にもマジックポーションを落としてしまいました。
からん、からん、とマジックポーションが地面を転がります。
予備を取り出すため、肩掛け鞄に手を入れると、わたしを取り巻くゴブリンは今にも飛び掛かってきそうな気勢を滲ませ、醜悪な面を剣呑に尖らせます。
ゴブリンは、体躯は子供並みで、頭脳は幼児並み、なんて誰が言ったのでしょうか。
少なくともこのゴブリンたちはMPの切れた魔法使いの対処法を心得ている様子。呑むどころか、取り出す隙さえ与えてくれません。
……いえ、そうではありませんね。
このゴブリンが特別なのではありません。
MP切れの魔法使いが、MPを回復させる最大の隙を突こうとした魔物は、このゴブリンに限ったことではありません。このダンジョン内でも幾度もそういうことがありました。
そのたびに、そう、あのときは――、
「お、おい! どうして魔法を撃たない! 俺ばかりに働かせるな!」
グルワーズトンさんが苛立った声を上げます。
誰のせいですか、と反論したくなりますが、ぐっと我慢します。
「MPを回復したいのです。少し魔物を引きつけてください」
「バカがっ、さっさと呑んじまえ!」
それができれば苦労はありません。
上手くマジックポーションを取り出せても、口に運んで瓶を少し傾ける間に、躍りかかってきたゴブリンに八つ裂きにされるのは、近接戦の素人のわたしにだってわかることです。
……すみません、また愚痴っぽくなりました。
ならば、一か八かです!
マジックポーションを取り出し、コルクの栓を指で弾き飛ばします。
同時に、わたしは後ろに飛び去り、瓶を口に運んで、一息に――
「ぬぉっ!」「――あっ!」
何かにぶつかりような衝撃を受け、指からマジックポーションがすっぽ抜けます。
何か……いえ、グルワーズさんです。
なぜ、グルワーずさんが魔法使いの後ろに?
いえ、悠長に考えている場合ではありません。
わたしの指から逃れたマジックポーションが、からん、と地面を転がります。
栓がないので中身をとぷとぷと垂れ流しながら。
わたしは咄嗟にマジックポーションを追いかけようとしました。
けれど、手を伸ばした瞬間です。
わたしの目の前で浅黒い足がマジックポーションを踏み潰しました。
恐る恐る顔を上げると、巨大な魔物がわたしを見下ろして、にやついていました。
オークです。いいえ、オークではありません。
顔形はオークそっくりですが、オークよりも巨大な体躯に、ぶよぶよの脂肪で妊婦のようにお腹に膨らませ、オスなのにメスのように胸を垂らした魔物です。
肥満体のオークだったらどんなに良かったことでしょう。
それは「オーク・ブッチャー」でした。
通称「ブッチャー」と呼ばれるオークの上位進化種です。
「愚図がっ! 何してやがる!」
「あ、あなたが――」
再度、肩掛け鞄からマジックポーションを取り出そうとして、グルワーズさんへの反論の言葉すら失いました。マジックポーションはさっきので最後だったのです。
「どうした?」
「マジックポーションがなくなりました……」
「な、なんだと~?!」
グルワーズさんは素っ頓狂な声を上げ、すぐさまその眼は鋭いものへと変わりました。
「くそがっ!」
グルワーずさんの足が魔物を、……いえ、違います。わたしを蹴ったのです。
わたしは堪らずに尻餅をつきました。
「グルワーズさん、何を――」
「ガイウスのクソについていくより、魔法使いのお前についていった方が生き残れると思ったのによ、まさかMPを切らすなんて……くそっ! 役立たずめ!」
「……なっ、なんて言い草! そもそもあなたがちゃんと守ってくれていたら、こんなことにならなかったのです。回復の隙もないような戦い方をして、あの子だったら――」
……そう、あの子だったら、ちゃんと守ってくれた。立派な盾や鎧がなくたって、あり合わせの道具を総動員して、知恵と勇気で、わたしを、わたしたちを守ってくれた。
「あの子だぁ? もしかしたらフィルのことを言っているのか? 今頃、クソになっているような奴をこんなときに当てにするなんて、手めぇの頭の中はご立派なお花畑だよ!」
「なっ、なんて言い草!」
下卑た言葉遣いの意味こそわかりませんが、馬鹿にされていることくらいはわかります。
「これだから貴族のメスガキは始末に負えねぇ! 俺はガイウスのところに戻る。最後くらい、せいぜい役に立ってくれよな!」
「ま、待ってください!」
グルワーズさんの最後の良心を期待し、手を伸ばします。
「やなこった!」
返ってきたのは手酷い仕打ちでした。あろうことか婦女子の顔面を蹴りつけたのです。
頭の中に星が飛び、熱を持った痛みの中で、どろりとした感触が鼻を伝います。
拭ってみると、手の甲が赤く染まりました。鼻血です。
呆然と顔を上げると、グルワーズさんの背中が遠ざかっていくのが見えました。痛みと血の臭いにくらくらしながら、わたしはその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
ですが、いつまでもそうしているわけにはいきません。
すぐさま立ち上がると、片手に『爆炎の魔導書』を開き、もう片方の手で杖を構えます。
愚鈍なブッチャーが動くより先に魔法を叩き込めば!
……そのつもりでした。
実際は呪文の1節さえ唱えることはできませんでした。
足より長いブッチャーの手が一瞬にしてわたしの手から魔導書を叩き落としたのです。
咄嗟に、魔導書を拾わなければ、という考えが頭を過りました。
けれど、すぐ目の前まで来ていたブッチャーの頭部を見た瞬間でした。
気づいたら杖を両手に持ってブッチャーに殴りかかっていました。
わたしの半分を構成する炎の妖精の血が猛ってしまったのでしょう。
好機のような気がしたのです。
ブッチャーのまるまると太った腕が杖ごとわたしの手を掴み取ります。
振り払おうとしても振り払えません。指が杖にめり込んだかと思うほどの力です。
為す術もなくわたしは釣り上げられます。
「……くっ!」
私の足下でゴブリン共が狂喜乱舞します。
ろくでもないことで喜んでいるのは明白です。
唯一自由になる足で蹴りを入れますが、ブッチャーの脂肪がぷるぷる揺れただけでした。
不意に、ブッチャーが自分の人差し指をわたしに見せつけてきました。
刃こぼれの酷いナイフのような爪を生やした団子のような指です。
んぐっ、と喉が鳴ります。
ブッチャーは人差し指の爪をわたしのローブの首元に引っかけました。
「やめっ、やめて……」
旅立ちの日に母上にいただいた上物のローブです。
ブッチャーがいくら馬鹿力だろうとそう簡単に引き裂けるわけがない。
……心のどこかでそのように高をくくっているわたしがいました。
「い、いや……」
悲しい幻想です。
実際はブッチャーが掻くように指を動かすだけでローブはたやすく引き裂かれ、恥ずかしくもまだ成長途中にある胸をかろうじて隠して白い肌があらわになります。
体の芯は恐怖に凍えながら、羞恥にかーっと耳まで熱くなりました。
ブッチャーの指はさらにわたしのお腹をくすぐるように爪先で円を描きます。
鼻息がだんだんに荒くなっていくのがわかります。恐ろしさとおぞましさで顔を背け、
――ずぶっ!
「……え?」
衝撃に貫かれ、体がびくぅんと動きます。
――な、なにが?
背けた顔を戻し、視線を下ろすと……し、信じられません。ブッチャーの指が、まるで柔らかい紙に穴を開けるように、わたしのお腹に、その指の半分までを埋めていたのです。
「う、うそ……」
焼けた鉄の棒で押しつけられたかのような激痛に気絶することさえ許されません。
ブッチャーは不思議そうに首を傾げます。
大方、わたしが悲鳴を上げないことを訝しんでいるのでしょう。
生憎と冒険者である以上、痛みに慣れているのです。それに、それ以上に死の恐怖が勝っていたため、わたしはブッチャーが望むような悲鳴を上げることが出来なかったのです。
「……うぐっ!」
ブッチャーの指が動き、ぶちっ、ぶちっ、とわたしの体の中の何かを引き千切りながら、落ちていきます。まるでファスナーを下ろすかのような手軽さです。
痛みに泡を吹き、太ももとを生ぬるい液体が伝います。
血ではありません。……別の液体です
わたしの足下にゴブリン共が群がり、爪先からしたたり落ちるその液体に飛びつきます。
……最悪、です。
やがてブッチャーの指がわたしの下腹部にさしかかったとき、痛みよりも恐怖よりも別の感情が沸き立ちました。吐き気を催すほどの嫌悪感です。
ブッチャーの薄汚れた指などが入ってはいけない神聖なお部屋がそこにはあるのです。
「や、やめろ……」
ブッチャーがにやりとします。
ようやく見せたわたしの反応に良からぬ感情が刺激されたのでしょう。
失策です。ブッチャーを喜ばせるだけでした。
ぶちっ、ぶちっ、とわたしのお腹を裂く音に勢いがつきます。
「やめっ――」
死よりも女性としての機能を奪われることが堪らなく嫌で、でも何も出来ないことが悔しくて、悔しくて、堪らなく腹立たしくて、わたしは絶望する暇もありません。
「誰か、誰か……」
神様……いらっしゃらないのなら、他のどなたか……わたしを、わたしを――
「――??」
そのときでした。
鮮血が舞い、ブッチャーの万力のような拘束が唐突に解かれたのです。
何故か万歳しているブッチャーが急速に遠ざかります。
あと、わたしを待ち受けているのは固い地面か、ゴブリンでしょうか。
ぎゅっと目を閉じ、そのときを待ちます。
……?
おかしいです。地面もゴブリンもやってきません。
思ったよりもずっと軽い衝撃があっただけで……何事でしょうか?
恐る恐る目を開けると……。
「……フィル君?」
そこに、あったのは……。
亡くしたはずのあの子の横顔でした。
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