ただの村人ですが英雄辞典のおかげでダンジョンで追放されてもへっちゃらでした。今では魔物にも無双できるようになり、お金もウハウハ、女の子にももてるようになりました。英雄辞典、最高です!

かなきち

第1話 絶望からの始まり

 アレクセイさんの頭蓋から大斧が引き抜かれ、脳漿と血潮が綺麗な円を描いて舞い散る。


「あ、アレクセイさんっ!」


「よせ、よすのぢゃ、フィル! あやつはもう死んでおる!」


 黒魔法使いのお爺さんがその老体でぼくを引き留める。

 と、次の瞬間、何かがぼくらを突き飛ばした。


「危ないっ!」


 弓使いのシーファお姉さんの必死の形相がまぶたに焼き付く。

 けど、その顔はすぐに苦痛に歪み、お姉さんの体はくの字に曲がって吹っ飛んだ。


「お姉さん!」


 ずぅん、ずぅん、ずぅん、と足音を響かせ、オーガが近づいてくる。

 その手には、お姉さんの血で濡れた棘のついた金棒。

 倒れて動かなくなったお姉さんにゴブリンが群がる。

 助けに行きたかったけど……オーガから目を離せない。

 離した瞬間、その金棒がぼくの頭をかち割るかもしれないからだ。


「ぎゃ!」


 お姉さんの悲鳴。

 視界の隅で、お姉さんの四肢に薄汚れた短剣を笑いながら突き刺すゴブリン共が見える。お姉さんを弄んでいるのか、逃走しないように手足を傷つけているのか……、

 どっちにしろ、ろくな企てでない事は確かだ。お姉さんを助けないと!


「痛い痛い痛い痛いっ! やめてやめてっ! 許して!」


「お前らっ!」


 怒髪天を衝き、ショートソード片手にオーガに斬りかかる。

 オーガは……くそっ! 棍棒で防ごうともしない。

 お姉さんの血で濡れた棘棍棒を上手そうになめ回し、うっとりとしている。

 馬鹿にして! 全力で袈裟懸けに斬りかかり、


 ――ぱきぃん! 


 腕に痺れるような感触を残してショートソードが弾かれた!

 馬鹿な……生身なのに、筋肉と皮膚の厚さだけでぼくの一撃を防ぎやがった!


「無駄ぢゃ、フィル! 今のうちに逃げるぞ!」


「でも、シーファお姉さんが!」


「もう手遅れぢゃ!」


「それでも!」


 お姉さんを振り返る。目が合った。


「フィル君、助けて!」


 血に濡れた手を差し出し、必死に助けを求める。


「今――」


 言いかけた瞬間、オークの大斧が振り下ろされ、差し出されたお姉さんの手が宙に舞った。


「――っ!」


 絶叫にも似たお姉さんの叫び声。

 その声に何かを触発されたのか、オークやゴブリンが一斉にお姉さんに群がり、思い思いの得物を振り上げる。そして、一撃二撃……と振り下ろされる。


「やっ、やめろ!」


 お姉さんの悲痛な叫びが洞窟に木霊する。

 けど、声はすぐに小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。

 あとに、ぐちゃ、べちょ、ぐちょ、と肉を叩く音だけが無機質に響き渡った。


「フィ、フィル……行くぞ!」


 もはや否やはない。

 老体とは思えない速度で走り出す黒魔法使いのおじいさんの背中を追って、ヒカリゴケにぼんやりと照らされた闇の中を駆け抜ける。


「くそっ! アレクセイさん、シーファお姉さん……」


 ひとり洞窟の中で途方に暮れていたぼくをパーティに入れてくれたいい人だったのに!


「気にするなとは言わん! だが、今は自分のことだけを考えるのぢゃ!」


「でも!」


「このダンジョンから脱出せねば……次は、我が――」


 ――ひゅん! 


「なに?!」


 風音を鳴らして何かがぼくの横顔を通り過ぎたような気がして後ろを振り返る。

 同時に、どさっと何かが落ちるような音。


「今何か――」


 言いかけた瞬間、何かに躓き、一転二転と視界が転がった。


「痛たたたたっ!」


 転けた、っぽい。防具のおかげで大したダメージはないけど……何が? と後ろを振り返り、――え? あ? え? ん? んん? ちょっと理解が追いつかない。

 前を走っていたはずの黒魔法使いのおじいさんがぼくの後ろで倒れていたのだ。 


「なに? どうして?」


 四つん這いでおじいさんに近づく。

 おじいさんの背中に一本の棒が突き刺さっていた。……これは矢っ!?

 そうか……おじいさんは後ろから、


「お、おじいさん?」


 返事が、ない。

 抱きかかえてみるとおじいさんは目や鼻、口から赤黒い液体を流しながら、絶望したような顔で事切れていた。


「そ、そんな……」


 さっきまで生きていたのに、こんなあっけなく……。


「――!」


 咄嗟に立ち上がり、ショートソードを、右へ、左へ、振り払う。

 弾かれた二本の矢が洞窟の壁や天井に突き刺さる。

 運が良かった。暗闇に矢尻が一瞬煌めくのが見えたのだ。


 だだだだっ、と慌ただしい足音が近づいてくる。


「ちくしょー!」

 

 右折し、左折し、また右折して、洞窟の中をデタラメに進む。

 もうぼく自身、どこをどう進んでいたなんか覚えちゃいない。

 ただ、終わりはあっけなくやってきた。


「――っ!」


 天然の回廊を抜けると、ぼくの前にはもう道はなかった。

 断崖絶壁。

 果てなき闇を溜めた断崖が、ぼくを待ち構えていたのだ。


「や、やばい!」


 ぼくは来た道を戻ろうとした。遅かった。ゴブリンに、オークに、オーガ……、ぼくが振り切ろうとしてきたものたちが、分厚い壁となってぼくの退路を塞いでいた。


「ち、ちくしょ……」


 死にたくないからショートソードを両手で持って真正面で構える。

 襲ってきたら返り討ちにしてやる! さお来い! さあさあ! 

 ……来ないな。

 ぼくを見てにやにやしている。

 魔物の表情なんてわかないけど、逃げ場を失った哀れな獲物を、どう弄んでやろうかとでも考えているのだろうか? ……あながち違っていないような気がする。


 ――馬鹿にして!


 貧乏な暮らしが嫌だったから大金を求めた。

 村人であることに嫌気が差したから有名を求めた。

 領主に媚びへつらいたくなかったから地位を求めた。


 冒険者になれば、そのすべてが手に入ると夢見ていたのに……。

 結果が、これだ。

 ぼくはなぜここにいる? 大金は? 名声は? 地位は?

 目の前の魔物一匹にも勝たず、こんな断崖絶壁に追い込まれて。

 何のためにぼくはここにきた?

 魔物に殺されるためか? 弄ばれるためか? 奴らの腹を満たすためか?


「くそっ……!」


 冗談ではない! 誰が喰われてなるものか!


「はっ!」


 笑ってやった。

 ぼくの気が触れたとでも思ったのか、魔物共はきょとんとした。


 ある意味、正解だ。ぼくは正気じゃない。もうキレた。

 魔物共に背を向け、走り出す。

 魔物共が泡を食って追いかけてくるのが気配でわかる。


 行き着く先にあるのは、暗黒を溜めた底知れぬ断崖。

 落ちたら、もちろん、ただではすまない。


 でも、もしも、だ。

 断崖の底に、地下水脈があったら? 腐葉土で地面が柔らかかったら?

 例え、助からなかったとしても……。

 魔物に喰われるよりは遙かにマシではなかろうか?

 安直な考えだが、馬鹿をするには十分だった。


「あい、きゃん、ふら~い!」


 姉ちゃんから教えて貰った勇気の出る魔法の言葉を声高に叫ぶ。

 ついにぼくは崖から飛び降りた。


 正直、怖かった。飛び降りてから、いっそう怖くなった。

 姉ちゃんに教えて貰った魔法の言葉を叫んだのも良くなかった。


 思わず姉ちゃんの顔が思い浮かんだ。

 そばかすだらけの顔で、ぼくを心配する姉ちゃんの顔が。

 良い生活をさせてやりたかったのに、また泣かせてしまう。


 泣きたいほどの後悔が襲ってきた。やっぱりやめよう、と思った。

 絶壁に剣を突き立てればワンチャンあるかもしれない、そう思った、そのとき、


「ふぎゃ!」


 永遠に落ちていくと思われた半ばで、唐突に足がついた。


 それなりの高さから飛び降りたせいか、足は衝撃を受け止めきれず、ぼくはごろんと一転し、ごちぃん、と何かに頭を強かにぶつけた。目の奥で星が回る。


「なっ、何事?」


 足がズキズキと痛む。どうやら挫いてしまったようだ。

 痛む頭をさすりながら顔を上げると、目の前に翡翠色の扉があった。


「――は?」


 醜悪な魔物と、底知れぬ闇と、愛嬌の欠片もない洞窟の中にあって、あまりに場違いな美しさに、ぼくは思わずそんな素っ頓狂な声を上げてしまう。


 夢でも見ているのだろうか? と自分の正気を本気で疑ってしまったほどだ。


 けれど、背後から聞こえてきた魔物共の声に、ぼくはこれが現在進行形の現実であることを思い知った。


「ま、まずい!」


 振り返ると魔物共は崖の縁でたむろし、ぼくを指差して、ぎゃっぎゃと叫んでいる。

 何を言っているのかはわからなかったが、少なくともぼくを諦めた様子ではなかった。


 ほどなくしてゴブリンの1匹が崖の縁ギリギリに立った。

 周りの魔物共は、そのゴブリンに濁声で何かをわめき散らしている。


 どこかで覚えのある光景だ。

 例えば、沢で水遊びをしているとき。高い所から沢に飛び込む遊びで、勇気がなくて飛び込むことのできない一人を、仲間内で面白可笑しくはやし立てるみたいな……。


 というか、まさにそれだ!


「やばい!」


 早晩、やつらはこっちに跳び移るつもりだ。

 無我夢中で翡翠色の扉を押し開け、中に転がり込む。


 背中で扉を閉め、あたりを見渡す。

 逃げ道が続いていればよかった。けど、そんな都合良く行かないのは一目でわかった。

 部屋の中は翡翠色の水晶に埋め尽くされ、どこにも続いていなかったからだ。


「行き止まり……?」


 天井から差し込む光が、翡翠色の水晶に乱反射し、部屋の隅々までよく見える。

 部屋の中央には、どでかい水晶。


 これを持って帰れれば、いくらかにはなるんじゃないか、とか下世話なことを思いながら、巨大水晶をまじまじと見て、ぼくはぎょっとした。


「……え?」


 目をよく擦り、ぱちぱちとまぶたの開閉を繰り返す。

 それから、改めて見て、


「……え?」


 やっぱり同じものが見えた。


「人? ……女の子?」


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