第29話 サイクロプスジェネラル

 緩やかな風が頬を撫でる。

 出口は近い。

 けれど、浮かれて気分にはなれない。


 ここ1時間ほど、魔物の襲撃がいっさいなくなった。

 本来ならこれは喜ばしいことだ。


 少なくともソフィ様の忠告を聞く前だったら。

 きっと無邪気にこの坂道を駆け上がっていたことだろう。


 ソフィ様に忠告された今となっては不穏しか感じない。

 出口に近づくたびに足取りは重くなっていく。

 もちろん、引き返すという選択肢がない以上は、進むしかないのだが。


「……ん?」


 坂道は忽然と終わり、視界が一気に開けた。

 広々とした空間だ。

 天井は見上げるほど高く、奥行きは果てしない。

 天然自然の陽光に充ち満ち、黄金に輝いてさえ見える出口が、その果ての果てに見えた。


 距離にして歩いて10分ほど。まさに目と鼻の先。

 だが、しかし。

 出口を前にして誰も歓声を上げることはなかった。

 後ろから息を呑む気配が伝わる。


「フィ、フィル君……?」


 震える声色でテトルお姉さんが問いかけてくる。


「ひ、引き返すか?」


 ニッケルトンさんの声も震えていた。

 杞憂は、現実となった。


 ぼくらを待ち受けるように、……いや、このダンジョンから抜け出そうとする不届き者をひとりも逃がさないように、空けた空間のど真ん中にそいつはいたのだ。


 ごきゅん、と喉が鳴った。誰の? ぼくのだ。


 大兄ちゃんの付き合いで巨人族とはなんどか戦ったことがあるけど……、

 あんなに大きな巨人族は初めてだ。


 一般的な巨人族が15メートル前後なのに、あいつは20メートルを超えている。

 おまけに人間みたいに鎧を着て、体長と同じくらいの段平まで引っ提げて。


『サイクロプスジェネラル……サイクロプスの軍勢を率いる猛将だね』


「あっ、ソフィ様」


 いつの間にか碧い炎がソフィ様を象り、顕現していたけど、ヴァルガン様のときのようには驚かない。横目でちらっと碧い炎が誰かを象っているのに気づいていたからだ。


『残念だ、彼の記載はもうぼくの図鑑にある。もう調べ尽くしたと言っても過言ではない』


「あ、あの……弱点とかは?」


『目だね』


「見ればわかります。他は?」


『そうだね、サイクロプスと同じと見ない方がいい。特に、知性は別格だ。あの装備も決してこけおどしではないよ。油断しないでね、フィル君』


 ソフィ様は言うだけ言ってかき消えた。


「……他の出口ってあると思う?」


 シルキーになんともなしに聞いてみた。


「多分、ない。ダンジョンの出口は、ダンジョンの空気穴。ダンジョンが窒息するから閉じるわけにはいかないけど、そこかしこにあるものでもない」


「……ダンジョンが呼吸しているみたいに聞こえるんだけど」


「実際、呼吸している。ダンジョンだって生き物だもの」


「そりゃ、そうか……」


 未だに想像がつかないけど、まあいいや。


「どうしましょ?」


「どうしようもこうしようも……あんなんとどうやって戦えと?」


 ごもっともなニッケルトンさんの意見。


「逃げの1択だ。俺が引きつけるからお前らは隙を見て出口に向かえ」


「無茶ですよ。ニッケルトンさん、まともに走れないじゃないですか!」


「なおさらだろうが! 足手まといはごめんだ!」


「それをいったらあたしやテトラちゃんだって……」とテトルお姉さん。


「ぼくがやります」


「子供に任せられる、――うぎゃ!」


 イラッとしたので、ニッケルトンさんのすねを思い切り蹴飛ばしてやった。

 骨は繋がっているとは言え、完治したわけではない。さぞ痛かろう。……ごめんよ。


「一番動けるぼくが囮になります」


「フィル、てめぇ!」


 ニッケルトンさんにぎっと睨み付けられる。

 怖い、今にも殴りかかってきそう。

 怖いのでニッケルトンさんから逃げるように視線を逸らして、


「ぼくなら大丈夫です。大兄ちゃんにポーション代わりに連れていかれて、巨人族との戦いはそれなりに心得ていますから。みんなは隙ができたら出口に向かってください」


 サイクロプスジェネラルに向けて一歩踏み出す。

 怖い……けど、アレをやっつけるわけじゃないんだ。囮くらい簡単、簡単。

 大きな音を立てて、適当に逃げ回っていればいいんだ。

 大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫、――ん? 

 何気なく後ろを振りかった。

 後ろから音がついてきているような気がしたからだ。


「なにか?」


 シルキーとお供3匹が、当然のようにぼくについてきてた。


「みんな、って君たちのこともなんだけど?」


「笑えない冗談。シルキーの魔法なしでどう戦うと?」


「そ、それは、……確かに」


 ぐうの音も出ない。シルキーの魔法にはさんざん助けられておいて、今さら必要ないとは口が裂けても言えない。流石のぼくもそこまで厚顔無恥ではないのだ。


「で?」


 3匹のお供を見る。

 ……あっ。


 ざおーの背中にはガンバルムンクやグルグニールなどのぼくの予備武器。

 さび丸の背中には冒険で役立つ様々な道具の入ったリュックサック。

 ちゅるるの首元にはポーションなどの薬を詰めたポーチ。


 そうだった。さっきの部屋での失敗から魔法の何でもバックに放り込んだアイテムのうち、必要性の高いものは、お供3匹に分担して持ってもらうことにしたんだった。


「でも、ただの囮だし、別に……」


「ばぁう! ばぁう! ばぁう!」

「うっほ、うっほ、うっほ!」

「とるるるる~! とるるん!」


「わかったわかった!」


 くそっ! 猛反発された!

 確かに……ぼくの戦い方は道具に依存するところがあるけど。


「ついてきてもいいけど、死ぬなよ?」


「ばぁう!」

「うほっ!」

「とるる!」


「よし!」


 覚悟を決め、開けた空間へと進む。

 シルキーがぼくの背に負ぶさり、ちゅるるが頭にとまる。


「怖くない?」


「大丈夫。フィルは?」


「超怖い」


 目が合った。


 巨大な――巨大過ぎる単眼が、地を這う虫けらにも等しいぼくらを真ん中に捉える。


 ――ど、でかいっ!


 ぼくがひとりで戦って良いような相手じゃない。

 一国の軍隊が攻城兵器総動員で戦うような相手ではなかろうか?


 案の定、ジェネラル――サイクロプスジェネラルって長いのでこう呼ぶことにした――はぼくらに何の脅威も感じていないのか、くちゃくちゃと口を忙しく動かしながら、無感情に見下してくる。――何をしに来た? と態度で語りかけてくるかのようだ。


「舐められている間に、アキレス腱でもぶった切ってしまおう」


 ざおーからガンバルムンクを受け取る。


 すると、ジェネラルは、ぺっ、と口の中のものを吐き出した。

 流石、ジェネラル。噛みタバコを噛んだままでは相対した相手に無礼だと、


 ……いや、違うな。


 べちょっ、と地面に叩き付けられたそれは真っ赤だ。真っ赤に濁ったスライムみたいな物体、……ううん、そんなものじゃない。あれは、肉の塊だ。散々に噛み砕かれ、噛み千切られ、完膚なきまでに原形を失った、誰かの、何かの――成れの果てだ。


「……ぐぅ!」


 怖い、怖い、怖い、超怖い! 自分もああなるんじゃないか、とはっきりと想像してしまった。嫌だ、嫌だ、逃げたい。でも、逃げられない! ――どっ、どどど、どうしよ!


「くる」


「――ふぇ?」


 何が、と問う間もない。またその必要もない。

 ジェネラルの巨体が宙を飛び、その巨影がぼくらを夜のように包み込む。


『いいか、フィル?』


 走馬灯という奴か、大兄ちゃんの声が脳裏に蘇る。


『巨人族と戦うとき、もっとも注意すべきことは二つだ――』


 ジェネラルの汚い足の裏がはっきりと見えた。ぼくらを踏み潰す気だ。

 必死に着地点から逃れる。が、それだけではダメだ。


 ジェネラルが着地、と同時に、ぼくは大ジャンプ。


 直後。


 ずぅん! と世界が沈み込むかのように揺れ動く。

 激震に、ぼくは空中にあっても平衡感覚を失い、上手く着地できずに転けそうになる。


『――ひとつは、跳び上がりと、続く着地だ』


 巨人族の最大の脅威はその巨体もだが、それだけではない。その巨体からなる体重だ。


 一歩踏み込むだけで容易く地面を揺らし、二歩踏み込めば地にあるものをことごとく転がすことができるその体重は、地面を住処とするぼくらにとっては脅威以外の何者でもない。


 転がされれば、赤子も、名うての冒険者も関係ないのだから。


「回避、成功~」


「まだだよ」


 蹈鞴を踏み、無様に転がるのを防ぐ。

 このまま遮二無二逃げ出したい衝動に駆られながらも、大兄ちゃんに鍛えられた習慣というものか、ジェネラルの一挙手一投足から目を離さない。


 着地を終えたジェネラルはすぐさまぼくらに向き直ると、サイクロプスサイズの段平を下から掬い上げるように奮い、中途で地面を強かに打ち据えた。


「来るよ」


 打ち据えられた地面から、岩石が、砂利が、土塊が、砲弾となって吹き荒ぶ。


『――もうひとつは、魔法にも匹敵するその剛腕だ』


 ぼくと、大兄ちゃんの幻影が重なる。

 鼻から息を吸い込み、肺をいっぱいに膨らませ、全身の細胞を一気にたたき起こす。


 まずは、ひとつ――、

 ガンバルムンクで、ぼくと同じくらいの背丈の岩石を真一文字に切り捨て、返す大剣でぼくの頭と同じくらいの土塊を叩き落とす。


 だが、ぼくにできるのはここまでだ。

 細かすぎる土砂や砂利はどうしようもないので、素直に回避行動を取る。


 大兄ちゃんならここで大剣を団扇のように使って突風を巻き起こし、細やかな攻撃のいっさいを吹き飛ばすのだが、生憎と大兄ちゃんの真似っこはできても、基本的なステータスが段違いのため、ぼくにはそんな芸当はできないのだ。むぅ~、ちょっと悔しい。


「シルキー!」


「あいよ」


 シルキーに早く動けるようになる魔法をかけてもらい、ジェネラルから距離を取ろうとした、そのときだ。特大段平を最上段に構えたジェネラルが躍りかかってきた。


「あっ――」


 一瞬、未来が見えたような気がした。段平を回避する未来――でも、段平を受けた地面が吹っ飛び、爆発するかのように吐き出された土塊が回避したぼくらを呑み込む未来を。


 ――回避は不味いっ!


 両足を踏ん張る。

 これが……最後の一回だ!


「ぬりゃああああっ!!」


 解き放たれた《鉄槌》が、ジェネラルの段平をかち合い、その巨体を一瞬だけ押し返す。


「……ぐぅ!」


 一瞬だけ気を失い、すぐに目を覚ますと、状況は少し巻き戻っただけだった――ジェネラルがぼくに躍りかかってくる直前に。


 よもや自分が押し返されるとは夢にも思っていなかったのか、ジェネラルは攻撃の手を止め、キョトンとしている。その巨大過ぎる単眼からは動揺がありありと見て取れる。


 もっとも、それはこっちも同じだ。多くの魔物を跡形もなく消し飛ばしてきた《鉄槌》で体勢を崩すしかできないなんて、どんだけ頑丈なんだよ、って話だ。


 とりあえず今の隙にジェネラルから距離を取る。だいたい、50メートルくらい。


「足下にいた方が安全では?」


「地面を揺らされただけでぼくらは簡単に行動不能になるんだ。足下なんかにいたらすぐに踏み潰されちゃうよ」


「なる~」


 ……とはいえだ。

 距離を取ろうと、ぼくらの不利は変わらない。


 ぼくらの攻撃は届かないけど、ジェネラルにはあの馬鹿力がある。大岩でも何でも投げつけられれば、それだけでちょとした大魔法を放たれるのと大差ないからだ。


 距離を取ったのには、そんなリスクを踏まえて、ぼくには勝算があったからだ。


「シルキー、何か動きを阻害できるような魔法を使える?」


「状態異常系?」


「いや、物理的にだよ。手足が動かなくなるとか、そんな感じの」


「むしろ、そっちの方が得意」


「よかった」


 ……本当に。もしなかったら《瞬間建築》で無理矢理代用しなければだったから。


「もしまた跳び上がってきたら、あいつの足を地面に固定させて」


「わかった」


 さて、次にあいつはどう動くかな?

 走ってきたら《瞬間建築》で足下に障害物を作ってすっころばしてやる!


 歩いて近づいてきたら、また距離を取るだけだ。

 順当に、ここは「物を投げる」か、もしくは、――ああっ、やばい!


 今になってソフィ様の助言がよく理解できた。

 あいつ、サイクロプスサイズの段平をぶん投げてきたっ!


 そこら辺の岩石を投げつけられるよりも遙かにたちが悪い。

 そこら辺の岩石よりも重いし、固いからだ。


「や、やばい!」


 しかも横投げなので左にも右にも回避できない。上か下だけ。

 さらに悪いことにジェネラルの巨体が深く沈むのが見えた。跳び上がる気だ!


「く、っそ! ――全員、伏せろ!」


 地面に転げるように伏せる。

 頭上を、ずぅうぉん! と恐ろしい風音を鳴らして、段平が通り抜けていった。


「フィル」


「い、……まっ」


「因業の鎖、袂を結び、また大地に戻れ、――《グラビティ・チェーン》」


 同時に、シルキーの魔法が発動。

 地面から紫色に輝くぶっとい鎖が何十本と生え、空中にあったジェネラルを絡め取る。


「長くは保たない」


「体勢を崩すだけで十分!」


 長大な鎖が蔓草のようにジェネラルに絡みつく。特に、手足を重点的に。

 当然、空中で手足を絡め取られれば、態勢は大きく崩れる。

 あとは落ちるだけ――直後、ずどぅん! と胴体から強かに地面に落下して。


「なるほど」


 ぼくの目の前に、頭ごとその大きすぎる単眼が落ちてきた。

 まるで咎人が刑具に首を捧げるみたいに。


 どんなにご立派な肉体を誇ろうと、その単眼を、その奥にある脳味噌がダメになってしまえば、ただの肉の塊に過ぎない。あと一手、あと一手でぼくはそれを為し得るのだ。


「もらった!」


 獲物を前に舌舐めずりなんてしない。一息にトドメを、――あっ。

 ジェネラルの単眼から衝撃波を伴い、閃光が溢れ出す。


 ――目から魔法っ?!


 こんな攻撃方法は知らない。少なくとも今まで戦ってきた巨人族にはなかった。


「や、やばいっ!」


 ぱちぃん、と咄嗟に指を鳴らす。

 同時に――ぼくが《瞬間建築》で作り出した土台がジェネラルの頭部を持ち上げるのと同時に、ジェネラルの単眼から膨大な熱量を放つ光線は吐き出される。 


 あ、あぶなかった、と安堵する暇なんてない。

 ばぎぃん、と破滅的な音を鳴らしてジェネラルの頭部をさせる土台に亀裂が走る。

 咄嗟に作ったため、強度不足でジェネラルの頭部の重みに堪えられなかったのだ。


 ぱちぃん、とまた指を鳴らして土台を補強する。光線が遠ざかる。またばぎぃん、と破滅的な音を鳴らして土台に亀裂が走る。またぱちぃんと指を鳴らして土台を――。


「ちょ、ま、まずい……」


 何度か同じことを繰り返すうちに、頭の中がくらくらしてくる。

 MP切れだ。土台を何度も何度も補強したせいだ。


 ――くっ、せめてもうちょっと保ってくれれば死角に逃げ込めるのに!


「や、やばいっ……MPが、このままでは……」


「任せて。縁を結び、我が血肉を与えん――」


「あっ、ダメ! シルキー!」


「――《サプライ・マジック》」


 シルキーの魔法により、切れかけだったぼくのMPが上限をぶっ千切って回復する。

 苦い苦いコーヒーを飲んだかのような心地で、ぱちぃん、と指を鳴らす。


 今度のはMPを惜しみなく注ぎ込んだ盤石の土台だ。

 ジェネラルの頭部を乗せても平然と堪えるが……。

 その代わり、ジェネラルの両手両足を拘束していた鎖は跡形もなく消えていた。


 ……無理もない。

 どんな魔法使いであろうと、ひとつの口からは、ひとつの魔法しか唱えることができないのだから。ましてジェネラルの剛腕を縛り付ける鎖が、片手間に作り出せるはずがない。


「あぅ……」


 失策を悟ったのか、シルキーが素っ頓狂な声を上げた。

 思わず笑い出しそうになったけど、そんな心地はすぐに吹き飛んだ。


 ジェネラルが両腕を地面につき、立ち上がったのだ。

 それも、目から光線を吐き散らしたままだ。


 ジェネラルのデタラメな指向に合わせ、光線がデタラメに地面を走る。

 そこにぼくらがいようといまいと関係ない。


「……見えていない?」


 多分、そうだ。そうでなければ、ぼくらはとっくに消し炭だ。


「ごめんよ、フィル」


「大丈夫だよ。さあ今のうちにジェネラルの死角に――」


 と言う間に、光線が近づいてくる。軌道を読み、回避、成功! さっそく――


「――ふぇ?」


 光線が駆け抜けた地面が煌々と輝く。やばいっ、と思った次の瞬間。


「ぬあぁ!」


「きゃぅ!」

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