第16話 新しい魔法

「お姉さん? テトラお姉さん?」


 呼びかけてみたけど返事がない。血の気を失った顔は真っ白で、ぐったりしている。


「た、大変だぁ! テトルお姉さ~ん!」


 テトラお姉さんを抱きかかえ、来た道を全力で戻る。

 シルキーとテトルお姉さんを振り切って、ここに来てしまったのだ。

 まだふたりは途中の道にいるはず! 急げ、急げ、ぼく!


「お? テトルもいるのか? 」 


 ニッケルトンさんがついてくる。重装備のせいか、足音は重いけど、足取りは軽快だ。


「こっちです!」


 石ころを蹴り飛ばし、その音で《音当て》を発動させる。

 ふたりは……どこだ? どこだ? んん?? 目の前!!


「フィル~」


 角を曲がった途端、シルキーが抱きついてきた。なに? なにごと?


「フィル君、聞いて! この子、すっごい方向音痴で――ええ! テトラ?!」


 一方で、お姉さんは激おこの様子が、ぼくの腕の中のテトラお姉さんを見た瞬間、悲鳴のような声を上げた。


「え? え? え? どうして? 何があったの?!」


「回復魔法をお願いします」


 テトラお姉さんを地面にそっと下ろす。

 よし、あとはテトルお姉さんに回復魔法を……お姉さん? どうしたんだろう? 

 見上げるとテトルお姉さんは口に手を当てて固まっていた。

 よほどショックだったのだろう。心安まるまで休ませてあげたいところだけど。


「お姉さん、急いでください!」


「え? あ、うん……任せて!」


 我に返って魔法の詠唱を開始するテトルお姉さん。

 シルキーも~、とそれにシルキーも加わる。


「フィル、俺は周りを警戒してくる」


「お願いします」


 ニッケルトンさんの背中を見送り、さて、ぼくは……ぼくはどうしよ?


「う、うそ……」


 テトルお姉さんの悲壮な声。……どうしたんだろ?


「お腹の中まで血で一杯……どする? これでは魔法が届かないぞ?」


 シルキーの相変わらずの無感情な声が、今は緊張で張り詰めているかのようだ。


「そ、そんな……」


「きっと体の奥にある太い血管が破れてる。手術でそれを塞いでからじゃないと魔法が届かない。できる? うにゃ、やるしかない。白魔法使いならできるはず」


「む、無理よ……応急手当用の医療キットしか持ってきてないもの!」


「むぅ~、せめて血止めを――」


「もう、もう無理よ……」


 テトルお姉さんはぺたん、と力なく腰を落とす。両手で顔を覆い、項垂れる。

 両手の隙間からお姉さんのすすり泣く声が聞こえてくる。


「フィル~」


 困り切った顔でシルキーがやってきた。


「不味いの?」


「絶望的~」


「そ、そんな……」


「血が一杯で魔法が届かない」


「ごめん、意味が、ちょっと……」


『大抵の回復魔法は光にその魔法効果を乗せて届けるからな、傷口が血で塞がれていると魔法効果を乗せた光がなかなか届かんのぢゅよ』


「そういうこと~」


 シルキーに代わって説明してくれたのは、いつの間にか顕現していたハイドロン様だ。


「他の属性の回復魔法でなんとかならないんですか?」


『考えたこともない。回復魔法といえば光属性で完結しているものだからな』


「要は、血をなんとかできる魔法があればいいんですね?」


『そうだが……可能か? わしは手持ちの魔導書しか編纂できぬのだぞ?』


「あっ……」


『「ハイ・ヒール」の魔導書をどう編纂すれば「血をどうこうできる」などという効果を付加できるのか、残念ながら我が輩でも想像もできぬわい』


 ……ぐぬぬぬっ、どうすれば? どうすればいい?


「そうだ、傷口が血で塞がれていても回復できる回復魔法を作れば……」


『あまたの白魔法使いがその難題を攻略できぬ故に、外科手術などと言う博打に頼ったのが今のありさまだなのだがな……まあいい、探求は自由だ。好きにすれば良い』


「水属性なら!」


『水属性の回復魔法は、水が清いほどに効果を発揮する。血と混じった水がいかほどの回復効果をもたらすのか、先人の手帳にはすでに記され尽くしていることだろうよ』


「火属性!」


『傷口に熱をもたらすことは感心せぬ。治るより先に傷口がただれてしまうだろうよ』


「風属性!」


『血を吹き散らし、露見した傷口を癒やす、か……斬新だが、もう一工夫欲しいところ』


「土属性!」


『治るより先に土の毒に犯される。論外』


「雷属性では?」


『雷属性? 却下だ。攻撃と支援にこそ真価を発揮する雷属性でいかにして傷を治すというのか?』


「あのびりびりで!」


『びりびり? ああ、雷の子のことか』


「あのびりびりって体の芯まで渋れるじゃないですか? だから、あのびりびりに回復効果を載せてやればひょっとしたら、傷が血で塞がれていても、と、ね……」


 自信を失い、段々と小さくなるぼくの声。

 思うに、ただの村人が、なんだって英雄様に意見しているのか。

 なんて恐れ多いことを……今さらながらに恥じ入ってしまう。


『悪くないな』


「――はぃ?」


『悪くない、と言ったのだ。我が輩、目から鱗だ。目玉は、もう随分前からないのだがな。雷の子に回復効果を持たせれば、なるほどなるほど、人体であの悪戯者が通れぬ場所はないからな。試してみる価値くらいはありそうだ』


「え? え? え? ということは?」


『「星屑」を』


「は、はいっ!」


 差し出された手羽先の骨みたいな手になけなしの『星屑』を手渡す。

 それから、10分は待ったと思ったけど、実際は1分にも満たないわずかな時間にハイドロン様は魔法を完成させて、英雄辞典の余白に書き記した。


「『スパーク・ヒール』?」


『失念していたが雷の子は心臓や脳、神経にあまり良い影響を与えぬ。故に、多くの雷の子に回復効果を持たせることは怪我人を余計に苦しませる可能性があるからして、最低限の雷の子に、最低限の回復効果を持たせるに止めておいた』


「それで、お姉さんは治せるんですか?」


『試してみれば良い。発展に犠牲はつきものだ。死しても無駄にはなるまい』


「殺させませんよ!」


 急いでテトラお姉さんに駆け寄る。


「フィル君?」


 泣き腫らした顔のテトルお姉さんがぼくを出迎えた。


「テトラの血が止まらないの、どうしよう? どうすればいい?」


 よほど困り果てているのか村人であるぼくに聞いてくる。

 白魔法使いのテトルお姉さんが知らないことを、村人であるぼくが知るはずがない。

 ……ちょっと前ならそうだった。でも、今は違う。


「新しい魔法を作りました。これで試しています」


『「雷光よ、疾く弾け、疾く癒やせ」ぢゃ』


「雷光よ、疾く弾け、疾く癒やせっ! ――《スパーク・ヒール》!」


 テトルお姉さんの傷に触れるか触れないかの距離に手を伸ばし、呪文を唱える。

 すると、バチバチッ、とぼくの指先に雷の子が瞬いた。


『雷の子をこやつの血に流し、まずは壊れている血管を修復させるのだ』


 やってみた。バチバチっ、とぼくの指先で雷の子が元気に弾ける。


「……うぅ」


 テトラお姉さんが苦しげに呻く。……失敗か?

 嫌な汗が出て、ごきゅんと喉が鳴る。

 思わず失敗の言い訳が頭を過り、自分がちょっと嫌になる。

 ……あっ。


「血が……」


 血が止まった。テトラお姉さんのお腹の傷からとろとろと溢れ出ていた血が止まって、傷口になみなみととどまる。……成功、かな?


『次は、雷の子に命じて血を体内に戻すのだ。このままでは失血死するぞ』


「そんなことできるんですか?」


『雷の子に血を運ばせるだけだ。体内を自由に往来できる雷の子なら容易いだろう』


 ……やってみた。

 お? おおお! 見る間に傷口に貯まった血が引いていく。そして、お姉さんのお腹の中身が丸見えに――うぇ、グロい! 内臓なんてオークやゴブリンので見慣れているはずなのに、なんで同じヒトだと感じ方が違うのか、不思議すぎるけど、とにかくグロい!


「フィル君、代わるわ!」


 テトルお姉さんが申し出てくれたけど、


『構わん。《スパーク・ヒール》の回復量ではどっちみち腹の傷を完治させるには何百と唱えねばならんからな。血管が繋がったら、本家に任せた方が効率的だ』


 ハイドロン様がそう言うのでお姉さんに任せることにした。

 ふぅ~、危ない危ない。危なく傷口に吐くところだった。


「フィル~、魔法教えて」


 シルキーがぼくの背中に抱きつき、甘えた声でそう言った。


「え? シルキーに? もっと凄いの知ってるじゃん?」


「あの魔法は画期的。人に自慢してもいいレベル」


「フィル君、わたしにもあとで写させてね。もちろん、お礼はするから」


 テトルお姉さんとシルキーにそう言われるけど、


「そんな大したもんじゃないですね?」


『かもしれん。お前の閃きひとつで停滞していた白魔法の歴史がまた動き出したのだが、これを偉業と言わずしてなんというのか、少なくとも我が輩の辞書にはない言葉だがね』


「は、はぁ……」


 もしかして……褒められてる?

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