第18話 あなたなら、きっと

 夜闇を裂いて小型竜ドラゴネットの編隊が飛ぶ。初めての出動時と同じように、俺はシルヴィアと同じ鞍上あんじょうの後ろに乗り、彼女の腰にしっかりと手を回していた。

 華奢な体の柔らかい感触と、花を思わせる甘い香りに意識を持っていかれそうになるが、今はそれどころじゃない。


「ごめん、シルヴィー。早く君に伝えればよかった」

「なにをですか?」


 風切り音の中、シルヴィアの聞き返してくる声が耳に届く。


「パルフィが言ってたんだ。自分の力じゃ姫様を守れないって」


 訓練場での騎士娘の様子を思い返して俺が言うと、小竜の手綱を握る銀髪の姫は、切なく息を吐いて。


「バカな子。そんなの無くたって、あの子はわたくしの――」


 彼女がそこで言葉を止めたとき、びゅうっと凄まじい風音が後方から近づいてきた。

 咄嗟に目を向けた先には、緑色の魔法陣を背負って、見る見る内に編隊に追いついてくる一体のドラゴネットの姿。すぐさま俺達を追い越し、空中でブレーキでも掛けるかのように減速した小竜の鞍上から、臙脂えんじ色のローブを纏ったローリエが小さな体を乗り出してくる。


「こんな夜中に今度はシルヴィー姫と逢引あいびきかい? 人気者は忙しいね」


 そのまま俺達とぴったり並んで飛びながら、魔学博士はすぐに真面目な顔に転じて言った。


「状況は王宮の者から聞いたよ。パルフィちゃんの失踪との巨獣兵器の出現、偶然とは思えないね」

「……ごめん、せっかく忠告してくれたのに」


 我ながら今夜は謝ってばかりだなと思ったら、そんな俺の気持ちを奮い立たせるように、続けざまの一言。


「まだ最悪の事態と決まったわけじゃない。この世界には君という救世主がいるんだから」

「そう、そうですっ、ヒナリ様なら!」


 少しコワイと言っていたはずのローリエに同調して、シルヴィアも黄色い声を上げた。

 そこへ、先頭を飛ぶドラゴネットから兵士の声。


「敵が見えました!」


 先行する数騎に続いて、俺達のドラゴネットも一気に高度を下げる。銀色に輝くシルヴィアの髪が風をはらんで舞い上がった。

 視界の先には、夜闇に沈む黒々とした森。その中で、半月に照らされて、二つの巨大なシルエットが距離を取って対峙しているのが見える。

 一つは、森の木々を薙ぎ倒して獰猛な咆哮を上げる、猫科の猛獣を思わせる四足歩行の巨体。眼にあたる部分は虎のような縞に覆い隠されているが、そのかわり、額に突き出た短いつの状の器官が、敵を探るようにぼうっと淡い光を放っている。

 そして、それと向き合い、戦う構えを取っているのは、すらりとした手足が目を引くの巨影だった。


「あれは……ヒナリ様と同じ、巨人……!?」


 小竜を旋回させながら、シルヴィアが緊迫に満ちた声を発する。空中の兵士達も皆、眼下の光景に目を釘付けにされているようだった。

 闇夜に浮かび上がる、白い甲冑を思わせる華奢な立ち姿。同じく騎士の兜を彷彿とさせる卵型の頭部からは、馬の尾に似た頭髪らしきものが風になびいている。

 あの巨人も味方なのか――と、兵士の誰かが戸惑いがちに口にするのが聴こえた。地上に展開する兵士や騎士達も、攻撃に転じることもできず、遠巻きに二つの巨影を見上げている。


「どうする、姫。ひとまず静観かい」


 ローリエに問われ、自分に指揮権があることを今思い出したような顔で、シルヴィアは声を震わせた。


「ええ……お姉様が到着されるまでは」


 その時、敵の巨獣が一声鳴いて、白い巨人目掛けて飛びかかった。巨人は即座に横に飛び出して敵の爪を避け、ざっと一転して、右腕を前に突き出して構える。獣とは違う、明らかに人間の理性を感じさせる動きだった。

 構えた巨人の腕から、細身のレイピアを思わせる光の剣が音もなく伸びる。再び跳躍して襲いかかってくる巨獣目掛けて、巨人も鋭く地面を蹴り、すれ違いざまに敵の胴体に斬撃を叩き込んだ。

 血を噴き出して唸りを上げる巨獣に向き直り、巨人は二度三度とその巨体に剣閃を浴びせていく。手加減を知らないその太刀筋は、まるで――。


「……ヒナリ様っ」


 片手で手綱を握ったまま、シルヴィアが震える片手を俺の手に添えてくる。すがるように振り向いてくるその目は戸惑いに揺れていた。彼女も俺と同じことに感付いているのは間違いない。


「君なのか? パルフィ……!」


 瞼の裏に浮かぶ騎士娘の真剣な眼差しに問いかけるように、俺は呟いていた。

 自分の力でシルヴィア達を救えないことを気にしていた彼女。だから力を求めてしまったのか。研究所で見たあの結晶体を、巨獣兵器の撃破地点で見つけ出し、それを体内に取り込んで……?


「仮に、あれがパルフィちゃんの変身体だとして――」


 虎型の巨獣と戦い続ける巨人の様子を、俺達と並んで見守りながら、ローリエが言う。


「探索魔法の専門家でもない彼女が、夜の山中で、あんな小さな物体を独力で探し出したというのはせない。誰かが裏で手を引いているのかも……」

「誰かって!?」

「異界人か、敵国の工作員か。だが、それを考えるより、今は彼女を救い出すことだ」


 彼女の言葉に俺が頷いたとき、手負いの巨獣が額の角をカッと光らせ、白い巨人めがけて突進してきた。

 巨人は機敏に敵の突撃を避け、滞空する俺達を背にして、ざっと土煙を巻き上げ着地する。たまらずといった様子でシルヴィアが叫んだ。


「パルフィ! あなたなの!?」


 姫君の呼びかけに、巨人が僅かに振り向く。仮面の上に騎士の兜を被せたような顔面は一切の表情を感じさせないが、スリットの奥に隠された目は、確かにシルヴィアの姿を捉えたように思えた。

 瞬間、俺も理屈を超えて直感した。にあの子が――パルフィが居ることを。

 俺達に見せつけるかのように、巨人は光の剣を振り上げ、迫ってくる敵の首元めがけて一閃する。斬り飛ばされた巨獣の頭部が宙空で爆発四散し、残った胴体がずしんと地響きを立てて倒れ込んだ。


「倒した……!?」


 周囲の兵士達も揃って息を呑む。だが、頭部を失った巨獣兵器の体は、数秒と置かず起き上がり、力を溜めるように四肢で大地を踏みしめていた。

 轟々と渦巻く風が土や木々を巻き上げる中、見る見る内に獣の頭部が再生していく。


「取り込んだエレメントを体内で増幅している!? あんなことが……!」


 ローリエが驚愕に目を見張る。再生を終えた敵の頭部は、猫科の獣ではなく、鹿を思わせる巨大な角を備えた姿に成り代わっていた。


「バカなっ、全然違う生物に……!」


 白い巨人はそれでも怯む様子を見せず、ヒュンと光の剣を構えて巨獣に向かっていく。しかし、次の瞬間、敵は突如として宙に舞い上がり、前足のひづめの一撃を巨人の胸に叩き込んでいた。

 四足動物に不似合いな翼を背に広げ、ぐわっと風を纏って夜空を飛翔する巨獣。僅かにたじろぐ様子を見せた白い巨人に、空から巨体の突撃が舞い降りる。

 敵の巨体を受け止めようとした光の剣が砕け散り、巨人の背中が敢えなく地面を削った。


「ヒナリ様っ、このままでは!」

「ああ、わかってる!」


 シルヴィアに急き立てられ、俺は右手のブレスレットを構える。周囲の目なんて今さら気にしてられるかとばかりに、俺はドラゴネットの背から飛び出し、右手を天に突き上げた。


龍陣りゅうじん!」


 真紅の閃光が夜空を染め上げ、龍の力が解き放たれる。炎のオーラに全身を包まれ、龍の巨人と化した俺は、そのまま飛び蹴りの構えで敵の巨体に突っ込んだ。

 炎を纏ったキックを受け、巨獣の体躯が押し戻される。体を起こそうとしていた白い巨人の前に、背を向ける形で降り立ち、俺はさらに敵の巨獣めがけて右手の宝玉から炎の飛礫つぶてを放った。

 巨大な角で火球を受け止め、巨獣が苦しみの咆哮を上げる。


(よし……!)


 攻撃の手応えを感じつつ、俺が背後の巨人にチラリと振り返ったとき。

 白い巨人は、俺の姿を認識するやいなや、再び腕に光の剣を出現させて襲いかかってきた。


(なにっ!?)


 咄嗟に光のバリアを広げ、剣閃を受け止める。表情の見えない巨人はそれにも怯まず、俺に肉薄しながら続けざまに剣の突きを打ち込んできた。

 ドラゴネットの鞍上から、シルヴィアが必死に叫ぶ。


「パルフィ!? どうしたの! ヒナリ様よ!?」


 その静止も耳に入らないのか、巨人は何かに取り憑かれたように剣を振るい続けてくる。防戦一方になるしかない俺の背中に、巨獣の突進も同時に迫っていた。


(く……っ!)


 炎の翼で飛び上がって挟撃をかわし、俺は両者から距離を取って着地した。だが、白い巨人は手を緩める様子もなく、再び光の剣を振りかざして俺に迫ってくる。

 宝玉から炎の爪を出現させて剣を受け止めたとき、彼方の空から新たなドラゴネットの編隊が駆けつけてくるのが見えた。アウラの部隊だ。

 シルヴィア達の前に小竜を寄せ、金髪の第一王女が険しい声を発する。


「何をしてるの!? 早くあの敵を――」


 鞍上から白い巨人にビシリと杖を向けるアウラに、シルヴィアが「お姉様っ」と訴えた。


「あの巨人はパルフィなんです!」

「何ですって……!?」


 張り詰めたアウラの顔がたちまち凍りつく。ローリエが苦々しい声で口を挟んだ。


「迂闊だった。あの結晶体に組み込まれていたのは、単に変異の術式だけじゃない。精神汚染による暴走化こそが本質だったんだ」


 巨人の剣と俺の爪が激しく競り合う中、魔学博士が静かに声を震わせる。


「このままでは、彼女は人間に戻れなくなる……!」

「そんなっ!」


 悲鳴にも似たシルヴィアの声。

 その時、巨人と俺の睨み合った隙を突くように、鹿の巨獣は大きく翼を広げ、俺達に背を向けて飛翔していた。白い巨人がすかさずそれを振り仰ぎ、跳躍してその巨体に組み付く。

 巨人を振り落とそうと体を振って吼える敵と、喰らいつくような勢いでその背にしがみつく巨人。もつれ合った二体の影が、見る見る内に遠ざかっていく。

 俺の力なら、両者をまとめて撃ち落とすのは簡単だろう。だけど……!


「ヒナリ様っ! どうか、あの子を助けてください!」


 涙を散らして俺に呼びかけるシルヴィア。言われるまでもない――と思ったところへ、アウラも妹の傍らに並び、鞍上から俺を見上げてきた。


「いざとなれば彼女もろとも倒すしかない――と、少し前の私なら言ったでしょう」


 その台詞にシルヴィアの肩がびくっと震える。アウラはまっすぐ俺を見つめて続けた。


「だけど今は、あなたに託せる。あなたならきっと、不可能と思えることも成し遂げてしまうはずだから」


 透き通った真紅の瞳が、龍の巨人と化した俺の双眸そうぼうを映している。


「私からもお願いするわ。パルフィ=キャロスを……妹の大事な友人を、取り戻してあげて」


 ――もちろん。龍王巨人ヒリュウジンの名にかけて。

 姫君達にしっかりと頷きを返し、俺は重力を振り切って夜空に舞った。

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