あの夏に消えた永遠の水色……。


「――嘘だっ!! お兄ちゃんが鍵を持ってるなんて絶対にありえない。これはお父さんと私だけの大切な思い出なんだ!! 誰にも邪魔なんかさせない……」


 まるで幼子おさなごのように、激しくかぶりを振りながら取り乱す彼女。

 いままで見たことのない真美の姿に僕は動揺の色が隠せなかった……。


「真美っ!! お前の抱えてきた痛みの理由わけ。そのすべてを僕は分かるなんて綺麗きれいごとは口が裂けても言えない……。だけどこれだけは聞いてほしい。これまで僕はつらい現実からずっと目をそむけて生きてきた。情けないけどこんな歳になるまでだ!!」 


「よ、陽一お兄ちゃん、いったい何を言っているの……!?」


「あの夏の日、川の上流を目指して逃避行にむりやりお前を誘ってしまった。結局僕たちは数日であきらめて逃げるように戻ってきて、村にある稲荷神社に身を隠していたんだ。そこで奴らの集会に出くわしてしまった。お祖母ちゃんの言いつけを守らずに狐の嫁入りだったのに出歩いたが当たったんだと僕は心の底から後悔をしたんだ……」


「……奴らって何のこと!?」


 彼女の虚ろな瞳が、まだ正常な判断が出来ていないことを物語っていた。

 しかし僕の言葉に反応してくれたことが、かすかな希望の光だった。


「……僕は救いの手を差し伸べなければならないのに、天気雨きつねのよめいりに濡れて身体に変調をきたした真美にむかって取り返しのつかない行動をしてしまったんだ!!」


 僕はあの日、あの稲荷神社の境内で彼女に投げかけた言葉の暴力を思い返した。


【……気持ち悪いんだよ、お前】


 投げかけた刃物のような鋭い言葉の理由わけは、大好きな女の子が目の前で違うに変貌していく一部始終を目撃した拒絶反応からかもしれない。

 だけど、そんな理由はなんの言い訳にもならない……。


「ま、真美はまったくおぼえていないよ。陽一お兄ちゃんがいま話していることも、そしてあの神社で私の身体に何がおこったのか!?」


「僕があの忌まわしい過去を記憶の奥底に封印していた。それとまったく同じことなんだ。真美、どんなにつらくても思い出さなきゃ駄目だ!! 僕と出会う前からお前のなかに存在するの真美の正体を……」


「もうひとりのまみ……!?」


「やめて陽一お兄ちゃん!! そのことを言っちゃだめ!!」


 女神像が高くそびえ立つ、この展望台の回廊かいろうに新たな影が長く伸びた。

 僕の言葉は突然の乱入者の叫び声にさえぎられてしまった……。


「……日葵!? お前は、なぜ僕の邪魔をするんだ!!」


 一気に女神像までの長い階段を駆け上がってきたんだろう。

 妹の日葵は赤いライディングジャケットに身を包み、肩で大きく息をしていた

 特徴的な後方排気のエンジンレイアウトを持つサンマのTZR、その独特な排気音も激しい海風でかき消されてしまい、離れた駐車場に日葵が到着した音も僕たちのいる展望台までは届かなかったのだろう……。


『ほ、本当にひまわりちゃんなの!?』


 日葵は真美の問いかけに答えず、僕と彼女のあいだに割って入り、こちらを鋭い眼光で睨みつける。フェンスに取り付けられた無数の南京錠、名も知れぬ恋人たちの誓いのあかしが、激しい海風で金網ごと揺すられてガチャガチャと耳障りな金属音を立てた。


「……陽一お兄ちゃんは真美ちゃんのことを何も分かっていないよ!! うわっつらだけ見て分かった振りをしているだけなんだ!!」


「真美のことを何も分かっていないだと……!? 僕はすべての記憶が戻ったんだ!! 彼女を救い出せるのはこの世にたった一人しかいないんだ。それなのに日葵、お前は……」


「陽一お兄ちゃんが、今からやろうとしていることは自己満足にしか過ぎないの。

 一人だけ救われたいからだけなんだよ!! 勝手に幼い真美ちゃんの幻影まぼろしを心の中で作り出して自分の過去を正当化しているだけなの!! 何でそれにはやく気がつかないの……」


 僕が幼い真美の幻影を作り出しているって!?

 日葵はインカムの通話で真美と会話したことで、彼女の存在を信用したんじゃないのか……!!


「ひ、日葵、お前は確かにひまわりちゃんって、で真美から呼ばれたはずだ!! 最初は僕の話を全然信用していなかったけど……。だから自分の目で確かめたいと言って、この場所までサンマのTZRを飛ばして来たんじゃないのか!!」


 思わず動揺でこめかみから脂汗が流れ出した。

 一番考えたくない最悪の答えを、日葵から突きつけられた気がした。

 いや、これが図星ビンゴなのか!?


 最初からなんかどこにも存在しなかった。


 あの夏の日に行方不明になったまま、僕の前から永遠に消えちまったんだ……。


 違うな、正確に言えば僕の心が作り出した真美だけは存在していた。

 夏の魔物のせいにして、自分が救われたいから幻の少女を心のなかに作り出していたんだ。


『陽一お兄ちゃん!! それにひまわりちゃんも私のためにけんかをしないで……』


 目の前にいる可憐な水色のワンピースの少女、その特徴的な困り顔も、僕たち兄妹を心配する優しい言葉も、すべて僕の作り出したまぼろしなのか……。


「陽一お兄ちゃんが位置情報と一緒に送ってくれた写真を見て気がついたんだ。とてもこくなようだけど、この写真を自分の目で確認してほしいの……」


 あわれな僕の傷口に、日葵はこれ以上塩を塗り込めるつもりなのか……!?

 写真を見る必要なんかない、どうせ真美はそこには写っていないんだろう!! ただの空虚な風景写真でしかないんだ!!

 なにが再会して初めての記念写真だ、とんだお笑いぐさじゃないか……。


 言いようのない激しい怒りで、小刻みに震えだした身体の抑えが効かなくなる。


 ガチャリ……。


 軽い音をたてて僕の足元に、あの南京錠のキーが滑り落ちた。

 もう何も意味を持たないモノをなんて、意気込んていた自分が滑稽に思える。

 悔し涙とともに乾いた笑いが、僕の口の端からこぼれ落ちた……。



 短い聖地巡礼の旅が終わりを告げる……。



 けれども僕の耳にはまだ、あの懐かしい声が聞こえていた。



『陽一お兄ちゃん、真美はここにいるよ!!』



 次回に続く。

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