最後の線香花火。

「……おい、佐藤くん、いきなりそんな声がけは失礼だろう。旦那さん、驚かせてすみませんね。お嬢さんと夜のお散歩ですか?」


 警察官の職務質問なのか!? 

 出会いがしらに感じたことを先に言われてしまい、僕は出鼻をくじかれてしまった。

 二人組の男性は制服姿の警察官だった。佐藤と呼ばれた男性は僕とあまり変わらない年齢に見えた。真美に無遠慮なライトを浴びせたのもこの若い警官だった。

 そのぎこちない所作を見ればひと目で新米警官だとわかる。

 問題はもうひとりの中年警官だ、言葉使いや物腰は柔らかいが目つきの鋭さが尋常ではない。


「あ、はい、そんなところです。そこのコンビニで買い物をしようと……」


「そうですか、お買い物? 注意してくださいよ、あのコンビニで先日、強盗事件があったばかりで我々も巡回をしていたところですから……」


「コンビニ強盗ですか!?」


「ほう、旦那さん、ご存知ない? この辺りの方じゃないんですか……」


 しまった!! 世間話に見せかけた誘導尋問にまんまと引っ掛かってしまった。

 あえてコンビニ強盗の話題を出して、僕にカマをかけたのか……。


「みたところ旦那さんの格好はオートバイに乗られているようですね。でもお嬢さんは軽装すぎやしませんか?」


 僕のバイク用ジャケットを見て即座に判断している。そして真美が薄着のワンピース姿なことに疑念を抱いているようだ。

 いままで疑問に思わなかったが、第三者から僕たち二人を見たらどう見えるか?

 かたや成人男性でバイク乗りの出で立ち、そして真美は大人びた容姿とはいえ、あどけなさが残る小学生の女の子。そして僕は真美の父親に見えるほど老けていない。

 明らかに怪しい組み合わせだ、警察官でなくとも不審に思うだろう。

 いまの僕たちは絶好の職質案件だ、これを見逃したら警察の名折れに違いない。

 ここは下手に嘘をつかず正直に話すのが得策だな。車に比べ交通取締りなどで停車をさせられやすいバイクに長年乗っているので、警察官からの職質を早く終わらせるテクニックは心得ている。


「はい、バイクのツーリングで来ました。そして彼女は……!?」


 この街に住む親戚の女の子で、ここまで迎えに来ました、そんなつじつまのあう返答をして何とかこの場を切り抜けようと、僕の傍らにいる真美に確認の目配せを送ろうとした次の瞬間、先ほどまで僕の背中に身を隠していたはずの彼女、その姿がこつ然と消えている!? その現実に理解が出来なくて、僕はまるで鈍器で頭を殴られたような感覚に襲われてしまった。


「……真美っ!?」


 真美が僕の前から消えた……!?


 慌てて周りを見回す。背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 僕の激しく狼狽した様子に驚いたのか、目の前に対峙していた警察官たちも思わず言葉を失ったままだ……。

 僕の脳裏に彼女とこれまでの道中で交わした言葉が次々に蘇ってきた。



『真美がふつうに大人になっていたら、陽一お兄ちゃんや日葵ちゃんと一緒にその話題で笑いあえたのかなぁ……』


『もし真美が本当のことを言ったら、陽一お兄ちゃんは私のことが嫌いになっちゃうかな?』


『もっと大事な何かを隠しているんじゃないのか!! たとえば僕の前からお前がまた消えちまうとか……』


 お前がとか……。


 何気なく彼女に投げかけた言葉が、いま頃になって、まるでブーメランのように跳ね返り、その鋭い刃先によって僕はズタズタにされた。髪の毛の先から足のつま先まで一気に暗い感情で身体全体を覆いつくされてしまう……。


「お、おい、女の子はどこにいったんだ!! さっきまでそこにいたはずなのに……」


「佐藤、うろたえるな!! ここは俺にまかせて、お前はコンビニの駐車場を探せ。早くしろ!!」


 警察官二人の叫ぶ声が、はるか遠くから聞こえたような錯覚におちいる。

 まるで誘蛾灯ゆうがとうのような明るさを放つコンビニエンスストア、その建物の前に設置された街の案内板、そこに貼られていた警察の告知用のポスター。

 まだ検挙されていない指名手配犯の写真が並んだポスターが多い。

 その隣に貼られた不釣り合いなポスター、ひときわ目立つ水色のワンピースの少女。

 行方不明になった当時の真美が、写真の中で色褪せた微笑みを浮かべていた。

 もし真美がここにいて、行方不明者の情報提供を呼びかけるポスターを見つけたら、きっと彼女は僕にむかって絶対に文句をいったはずだ。

 もっと可愛い写真をなぜ選んでくれなかったのか……?


 ――僕は考えるより先に身体が動いていた。


「き、君っ!! どこに行くんだ。この場を離れるんじゃない!!」


「ま、真美を探さなければ僕は、駄目なんです!!」


 無我夢中で走り出す。僕の足の速さは小学時代から衰えていない。

 クラスの男子たちから、さんざんからかわれた曲がった右腕の不格好な走り方。

 そんな見た目はどうでもいい、どんなに不格好でもいまの僕には関係ない!!

 そして警察官二人が真美の消失に動揺していたことも幸いした。

 普段の職務質問なら、訓練を受けた屈強な警察官から逃げ切ることはとても出来なかっただろう……。


 たどり着いた広い駐車場の中央には僕たちの乗ってきたトレーシー、リアキャリアに載せた大量の荷物はそのままの状態で置かれている。


 ただ一つ違うことは、後ろに乗せるはずの真美がいないことだ。


「真美!!」


 思わず叫んでしまう、僕の声は空しく駐車場に響き渡った。


「どこにいるんだ……!?」


 僕の胸中に負の感情が止めどなく湧き上がってくるのが強く感じられた……。


 最悪の事態を考えてしまった。こめかみから脂汗が流れ落ちる。記憶から完全に消し去っていたはずの情景が脳裏に激しくフラッシュバックする!!


 で真美が僕の左腕にしがみつきながら、その緊迫した状況にそぐわない笑顔を僕にむけて浮かべていた。背後には群青が広がり彼女のすべてを呑み込もうと真っ青な口を開けて待ち構えている。

 真美の白い額には大量の汗が浮かんでいる、いや違う!! 汗じゃない、激しい雨が降っているんだ。僕の背中にも雨が降り注いでいる、首すじに突き刺すような夏の日差しか感じられる。


 これは天気雨だ!! 。夢でお祖母ちゃんから聞かされた言葉。



「うあああっ……!!」


 言葉にならない叫びを上げながら僕はトレーシーに飛び乗った。

 後悔しても取り消せない過去の誤ち、そのすべてを僕は鮮明に思い出した……。


 あの革製のキーケースからトレーシーの鍵を取り出すのすらもどかしい!! 

 真美と初デートをしたあの日、別れ際に渡された僕への誕生日プレゼントだ。革製のキーケース、ずっとお守りがわりで、どんなに汚れても処分することが出来なかった。

 僕はその中に思い出を詰め込んでいた。だから再会した彼女にそれを見られるのが恥ずかしかったんだ。その理由はあとでゆっくり話せばいい、そう思っていた。

 だけど真美が消えちまったらその機会も永遠に訪れることはなくなるのに!!


 僕はちぎれんばかりに右手のアクセルをフルオープン全開にする!!

 甲高いエキゾーストの金属音を奏でながらトレーシーの水冷二サイクルエンジンが吠え、発生した駆動力を勢いよく後輪に伝達した。

 冷えたリアタイヤのグリップ力を越えて後輪が左右に横滑スライドりを起こす、そしてタイヤの空転が止むとトレーシーはまるで意思を持った暴れ馬のごとく黒い車体を急発進させた。


「この糞タイヤ、いい加減にしろ、さっさと路面アスファルトに食いつきやがれ!! さもないと僕がドーナツにして食っちまうぞ!!」


 僕を振り落とそうと高々と地面から浮き上がるフロントタイヤを、リアブレーキでコントロールしながらウイリー状態のまま、強引に車体をねじ伏せる。

 海沿いの広い国道に再度、顔を出した巨大な満月、その月明かりが作り出す陰影、全開でつっ走るトレーシーの車体下部に道路に出来た影がいくつも吸い込まれる情景さまを僕はヘルメットのせまい視界の隅で捉えていた。


 途中でヘルメットのシールドが僕の激しい息つかいで白く曇り出してくる。

 ヘルメット前方にあるベンチレーター空気穴を片手で開閉して、内側の曇りを除去することで前方の鮮明な視界を確保する。

 コーナーをクリアするたびに、傾斜バンク角が足りないトレーシーの車体の一部が路面のアスファルトに接地して激しい火花をあげた。

 車体スタンドが横に張り出した金属部分だ、問題はない。

 トレーシーは激しい火花をアスファルトの道路に、まるで巨大な線香花火のように細く長い悲しげな花を咲かせた……。


 限界を越えた走りを繰り返して、つづら折れのコーナーで何度激しく転倒しかけただろうか。そのたびに僕は片足を大きく前方に振り出すオフロードバイク乗りのようなスライドコントロールのテクニックで、かろうじて車体のバランスを取った。

 頭に血がのぼった状態で冷静さを失っていた僕が、ぎりぎりのところで転倒しなかったのは、まさに不幸中の幸いとしか言えなかった……。


 見えてきた!! あの赤い旗が目印だ。僕の記憶が正しければ目指す目的地はもうすぐのはずだ。トレーシーの進行方向から見て右手の視界が一気に広ける!! 

 まるで緑の絨毯を敷き詰めたようなこの場所は、さきほど僕たちが職務質問を受けたコンビニがある市街地を一望しながら、そのむこうに広大な太平洋の海を見下ろせる。

 この場所を教えてくれたのは僕の親父なんだ。バイクの免許を取り立てのころ、一緒にツーリングで訪れた懐かしい思い出の場所だった。

 以前はヘリの発着場に使われていて、丘の中央付近がヘリの離着陸のためだろうか、円形に芝生が刈り取られているのはその名残だろう。


 この見事な夜景を、ぜひ彼女に見せてやりたかったのに……。 

 

 円形の芝生がない中央付近にトレーシーを滑り込ませる。僕はバイクのセンタースタンドを掛けるのも忘れて勢いよく走り出した!!

 トレーシーの黒い車体が僕の後方で鈍い音を立てて倒れ込むが、いまはそんなことに構っているヒマはない。


この場所までどうやってたどり着いたのかは、彼女が消えてしまったあまりの動揺でよく覚えていない。

 学生時代に何度もバイクツーリングで訪れたときの記憶が僕の身体に染み付いていたのかもしれない……。

 これまでの経緯を考えると、彼女は僕の考えが読めるようだ。言っていた言葉のようにではないが、何度も僕が頭で思っただけの口に出していないことまで真美にズバリと言い当てられたことからも推測できる。

 あてもなくむやみにトレーシーで走り回るより、僕が強く思い浮かべたこの場所に急いでトレーシーで移動したのはそんな理由からだった。


「真美!!」


 頼む、この場所にいてくれ……。


「真美どこに隠れちまったんだ!!」


 僕の叫びに誰も答えようとしない。 思わずその場にへたり込んでしまう……。

 彼女と過ごした思い出が頭に浮かんでは消える。なぜか笑顔でなくあの困ったような表情だ……。


 真美はもう僕に二度と笑顔をみせてはくれないか?

 

「真美、僕にもう一度、あの笑顔をみせてくれ!!」


 地面に膝をつき、拳で地面を叩きながら、ぶざまな泣き言を漏らしてしまう。

 僕の拳のバイクグローブに装着された固い樹脂製のプロテクターが、コンクリートの駐車場の地面に白い跡をいくつも作った。


 ヘルメットシールドの内側に点々と、僕が流した涙の滴が落ちる……。


 その時、携帯の着信を知らせる音がヘルメットのインカムスピーカーに、

 激しく鳴り響いた……。



 次回に続く。

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