必殺トレーシーの納屋へようこそ。

 ――僕の愛車、ヤマハトレーシーを置いてある車庫に向かう。

 田舎によくある納屋兼用のガレージだ。亡くなったお祖父ちゃんが一人で建てたそうだ。造園業を代々営んでいる我が家では納屋を建てるくらいはお手の物だ。跡を継がない僕が異端な存在だった。

 シャッター式の扉はわざと半開きにしておくんだ、この癖も懐かしいな。高校時代に親父や妹の日葵の目を盗んでバイクで夜中に出かける時は、物音がしないように細心の注意を払いながら建付けの悪いシャッターを開けたものだ。


 当時と同じく夜なので近所迷惑にならないよう物音にも気を遣う。東京からの帰路で汚れた車体を労をねぎらうように拭き上げる。荷物を積みながら今日起こったことを振り返る。黒い車体のサイドの膨らみに傷があることに気がついた。

 

「今日はお前もご苦労さん。傷は次の休みに直してやるよ……」


 バイクに話し掛けるなんてお兄ちゃんは変だよって、ここに居た頃も日葵に良く笑われたな。

 擬人化するわけではないが愛着を持って接すると本当にバイクの調子が違うんだ。

 これは僕だけではなく親父も言っていた。親父も相当なバイク好きだ。マニアの御多分に漏れす何台も所有している。この車庫には収まり切れない程で造園会社の敷地内に専用のガレージを持っている。


 僕が乗っているトレーシーも親父の影響で選んだ相棒だ。親父のバイクで一番の相棒はスーパーカブみたいだ。夕食を食べながら日葵が僕に教えてくれた。

 大型免許もリッターバイクも当然、所有しているが親父いわくカブに始まりカブに終わるが最近の口癖みたいだ。日葵は意味が分かんないとぼやいていたな。


 大型バイクの加速や醍醐味も散々味わった親父が一生乗るんだと選んだ一台。僕はまだその領域にはとても達していない若輩者だが、いつか一生添い遂げられる一台に出会えるだろうか? 

 この場所にいるだけでそんなことを夢想してしまう。おっと、こんな考えは駄目だ。浮気をすると相棒のトレーシーちゃんが嫉妬するといけないな。未来的な形状のライトカウルを拭き上げながらバイクに声を掛ける。


「大丈夫、浮気なんかしないって、今はお前に夢中だよ……」


「誰に夢中だって……」


「うわっ!?」


 背後から突然声を掛けられ、僕は声を上げるほど驚いてしまった。

 妹の日葵が半開きのシャッターから顔を覗かせる。そのままパジャマ姿でガレージに入ってきた。


「陽一お兄ちゃん、バイクとおしゃべりする癖は変わってないね」


「お、おう、まあな……」


 これは恥ずかしい。日葵よ、頼むから男のロマン、いや、お戯れは見て見ぬふりしてくれないか。

 僕は真っ赤になりながら何とかごまかそうと話題を変える。


「日葵、お弁当を作ってくれてありがとうな。でもこんなにボリュームがあったら、

 お兄ちゃん、食べきれないかもな」


「何言ってるの、バレバレだよ。陽一お兄ちゃんが嘘を付くときの顔してるもん」


「な、何を根拠にお前は、決めつけるんだ!? 僕は嘘なんか付いていない……」


「ねっ、トレーシーちゃんも分かってるよね!! 陽一お兄ちゃんが嘘付きだって。

 こんなモノを着けられたくないよね」


 こいつ、いつからバイクに詳しくなったんだ? 

 日葵がしゃがんで指さした先にはトレーシーの排気管、その後方のアルミサイレンサーの先端に装着された今回の聖地巡礼への秘策だ。

 タイラップという結束バンドを巻くだけで、二ストロークの泣き所であるオイルの飛散。二人乗りした際に洋服の背中を汚してしまうのを防げる優れ物なんだ。


「どうして、お前がバイクについて知っているんだ!?」


「お父さんに教えて貰ったの、日葵と二人乗りする時もこうしてるから。お兄ちゃんを驚かそうと思って内緒にしてたけど、私もバイクの免許を取ったんだよ!!」


 盲点だった、親父は生粋の二ストロークマニアでもあったんだ……。

 このガレージに置かれた程度の良いサンマのTZRに気が付くべきだった。

 きっと親父はこのバイクを日葵に乗らせているんだ。それにしても日葵がバイクに乗るとは驚いたな、あんなに家計の金食い虫と僕たちを邪険に扱っていたのに。


 日葵がトレーシーのフロントカウルを愛おしそうに撫でた。


「でも二ストロークのトレーシーを何で選んだの。排気管からオイルは飛ぶし、この対策をしても白い服じゃ乗れないよ。

 日葵がタンデムをする女の子なら嫌だな。せっかくのおめかしした服もオイルまみれになっちゃうよ……」


 そうだ、現行車では四ストロークばかりになったが、親父が若い頃はスクーターと言えば二ストロークばかりで当時、乗っていたトレーシーも同じエンジン方式だ。

 このバイクは特に暴力的な程、じゃじゃ馬でスクーターのRZと異名を取っていたんだ。

 僕も子供の頃むりやり親父に二人乗りをさせられて、信号スタートでウィリーして危うく落っこちてしまいそうになり、しばらく僕はバイク恐怖症になったことを思い出した。


 でも、なんで日葵は女の子と二人乗りをする前提で僕と話しているんだ?


「……」


 妹が急に口ごもってしまった。

 僕たち兄妹の間に気まずい沈黙が流れる。しばらく思案した後で日葵はやっと口を開いた。



「陽一お兄ちゃんは真美ちゃんの為に、この場所に帰って来たんだよね……」


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