群青。 あの夏の日に消えた私を見つけてと君は言った、そして離れないように僕の手を握りしめる……。

kazuchi

【プロローグ】あの夏の日に消えた私を見つけて。


『――約束だよ、お兄ちゃん。真美まみが大人になったら必ず迎えに来てね』


  遠い夏の日に神社の境内で幼なじみの少女と交わした約束。思い出すたびに僕は激しく後悔してしまう。彼女を迎えに行くなんて永遠に出来るはずがないのだから……。



 *******



「懐かしいな。この広場はぜんぜん変わっていない……」

 

 僕、大滝陽一おおたきよういちは懐かしい故郷に足を踏み入れた。子供のころによく遊んだ広場の風景を眺めていると、これまでの沈んでいた気持ちがほんの少しだけ軽くなった気がした。だけど売れないフリーのカメラマンなんて決して誇れる肩書きじゃないな。


 故郷に錦を飾るような目覚ましい実績を僕は数年間の都会暮らしで作ることが出来なかった。夏の暑い田舎道をまるで人目を避けるようにのろのろと歩き始める……。


 いつかあんたの目の前に大金ビッグマネーを叩きつけてやる!!

 

 親父にむかって古い歌のサビのような捨て台詞だけを残して故郷を飛び出した十代最後の夏。そんな青臭い理由はあくまでも表向きだったのかもしれない……。


 至るところにとの思い出が色濃く残るこの場所から僕は一刻も早く逃げ出したかった。


 あれから五年も経ってしまったのか……。


「あの柿の木は昔よりずいぶん低く見えるな」


 大人になった現在いまの自分と子供の僕では何が違っていたんだろう。小学生の僕は今と正反対の性格だったな。ひとつ年下の妹、日葵ひまり、そして幼馴染の二宮真美にのみやまみ、この柿の木のある村の広場で僕たちは日が暮れるまで三人で遊ぶことが多かった。


 僕はみんなのリーダー的な存在だった。放課後は決まってこの広場で集合を掛ける。村一番の柿の木は、川の向こう岸の風景をすべて見渡せるほどの高い枝ぶりだった。柿の木の頂上てっぺんまで誰よりも早く登れることに優越感を抱いていたことを懐かしく思い出す。


 そうだ、小学生の頃の優劣は勉強が出来るとか家が裕福だとかでは決まらない。大人になって思い返すと取るに足らない物が何よりも大切だった。小学五年生の僕には怖い物なんて何もなかったから。


 大人になってこの柿の木を見上げているとよく分かる。きっと僕はお山の大将だったのかもしれない……。



 *******



 ――あの夏の日もそうだった。


 僕は放課後、いつものように柿の木の前でみんなに集合をかけていたんだ。


 妹の日葵は家の用事があり、その日は不在だった。早めに到着した僕は柿の木を身軽に頂上までよじ登る。そこから見渡せる景色はとても格別だった。当時通かよっていた川向いに建つ小学校の校舎がとても近くに感じられた。頬をなでる風が心地いい。


「――陽一お兄ちゃん!!」


 次の瞬間、僕を呼ぶ叫び声が耳に届いた。見下ろした先には真美がたたずんでいた……。憂いを含んだ大きな瞳。肩まである艷やかな黒髪。陶器のような白い肌を彼女が当時お気に入りで着ていた水色のワンピースに包んでいる。


 なぜ僕は大人になるまで彼女に関する記憶のほとんどを黒塗りにしてしまったのだろうか? こんなにも可憐な真美の姿を自らの記憶から消しさってしまうなんて……。


 僕を呼ぶ真美の声をあえて無視するのは照れかくしだった。そうだ、思春期の僕は彼女の存在を強烈に意識し始めていた。もし妹の日葵が広場に居合わせたらこんな素振そぶりは出来っこない。真美を大好きだという気持ちを一瞬で見透かされてしまうから……。


 真美にはいつも困ったような表情を浮かべる可愛い癖があった。思わず守ってあげたくなるような、そのはにかんだ笑顔。小学生男子である僕の理想を具現化したような存在の少女だった……。


 それなのに彼女の前では無愛想な態度を取ってしまう。大好きの裏返しで邪険じゃけんに接するしか出来なかった。


「お兄ちゃん!! 大事な話があるから下まで降りてきて……」


 彼女のお願いに僕は不満そうな態度で柿の木からゆっくりと降りていく


「なんだよ真美、せっかく木の上まで登ったのに面倒くせえな!!」


 広場の地面に降り立った僕は彼女に向かって、いつものぶっきらぼうな返事をする。


「陽一お兄ちゃん、あのね……」


 真美が何かを言いかけたが、その先の言葉がなかなか出てこない。


「お前、柿でも欲しいのかよ?」


 木に登ったついでに収穫した柿を僕はポケットから彼女に差し出した。


「ううん、柿が欲しいんじゃない、もっと大事なお願いがあるの……」


 彼女が勢いよく顔をあげ真剣な面持ちで僕を見据えた。よく整えられた前髪がはらり、と揺れて真っ白なおでこを覗かせる。真美の柔らかそうな唇が淡い桃色に見えるのは当時、小学校の女子のあいだ流行はやっていたリップクリームを塗っているせいだ。


 真美の真剣なまなざしに見つめられ、思わず頬が熱くなるのが自分でも感じられる。彼女は妹の日葵と同じクラスの小学四年生だ。真美の住む県営住宅が近所だった関係で自然と僕たちは遊ぶようになりこの広場に良く集まっていた。


「お団子取だんごとりの夜、陽一お兄ちゃんに相談したい大切な話があるんだ……」


 彼女が意を決したように僕に話を切り出した。


「僕に相談したい大切な話って!?」


 慌てる僕の問いかけに彼女は微笑みを浮かべた。


「それはまだ内緒にしておこうかな……」


 悪戯いたずらっぽい表情で彼女がつぶやいた。その頬に片側だけ可愛いえくぼが浮かぶ様子さまを僕は思わず凝視ぎょうししてしまった。


「陽一お兄ちゃんにだけ相談したい話なの……」


 真美は踊るようなしぐさで両手を広げ、その場で身体をひるがえした。水色のワンピースのすそが動きに合わせてふわりと広がり、彼女の形の良い足が一瞬あらわになった。そのふくらはぎの白さが僕の目に瞬時に焼きついてしまった……。


 胸は早鐘はやがねの様にドクン、ドクンと激しく脈を打ち、さらに頬が熱くなるのが自分でも分かった。年下の癖に彼女は僕をからかって楽しんでいるような気がしてならない。胸に湧きあかるこの感情が恋だとは気がつかないほど幼かった自分。大人になった今ならはっきりと分かる。僕は真美のことが大好きだった……。


 真美の何気ない仕草しぐさ。困ったように笑う癖。その頬に片方だけ浮かぶえくぼ。彼女のすべてが愛おしかった。だけど気持ちとは裏腹に僕はぶっきらぼうな態度を取ってしまう……。


「何だよ、もったいつけないでここで言えよ!!」


 お前なんかと話すのは時間の無駄で、さも面倒くさいというていを装った。


「お団子取りが終わったら抜け出してきて、真美と二人っきりになれないかな?」


「ええっ、二人っきりって!? いったい何をするの……!!」


 先ほどの偉そうな態度から、うって変わって僕は情けない声を漏らしてしまう。


「なあ真美、気になるから先に教えてくれよ……」


「やっぱり恥ずかしいから内緒……」


「……ええっ!?」


 僕は何も言えなくなってしまった……。


 女の子と夜に二人っきりで出歩くなんて妹の日葵以外とは初めての経験になる。誰にも内緒で待ち合わせするなんて!!


 最高潮に動揺している僕にお構いなく、彼女はその頬に満面の笑みを浮かべる。リップクリームのせいで淡い桃色に彩られた唇。その口唇からわずかにこぼれる可愛い八重歯が僕の目にまぶしい白を見せつけた……。


「真美、頑張っておめかしをしていくね!!」


「えっ、おめかし、何で……!?」


 僕はまた間抜けな質問をしてしまう。


「もちろん陽一お兄ちゃんに見て欲しいからだよ……」


「ぼ、僕に見て欲しいって……!?」


「お団子取りが終わったらお狐様きつねさままつってある神社の鳥居前で待ち合わせね!! 絶対に誰にも内緒だよ……」


 またいつもの困ったような笑顔に戻った真美は、急に照れたのかその場を立ちさってしまう。彼女の水色のワンピースの裾が軽やかに揺れる。僕は呆然ぼうぜんとその可憐な背中を見送ることしか出来なかった……。



 次回に続く。

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