第14話 Passion fruit (9)

「やっぱり、淋しいのかな、私」

「……」

「一夜にして寄る辺がなくなったのが、自分が感じている以上に堪えているのかもしれないです。それで、自棄やけになって、それで復讐鬼になって、我慢しようとしていたのかも。お姉さんの言葉で、なんとなく、掘り返されたような気分です」

 明里は、自責を含んだ顔をした。勇菜は頭を起こし、少しきょろきょろとあたりを見渡した後、一地点をグッと目を凝らし見て、微笑した。

「そんな顔しないでください、責めているんじゃないんです。ただ、どうすればよかったのか、何をすれば正解なのか、少しわからなくなってしまって。掘り返された事実によって、偽物の心の柱が壊れてしまったから……」

「……明里ちゃん」

 しばらく、二人の少女を黙って見ていた芽森が、不意に声を出した。

「どうしたの?」

「研究所ってたくさん部屋があったけれど、空き部屋っていくつ?」

「数えきれないほど。所長がビルの建築依頼時に、研究員の見積もりを誤っちゃったみたいで」

 芽森はその言葉に数回頷いた後、勇菜に目を向けた。

「春ノ陽さんはさ、家がなくなってしまった後、どうやって過ごしていたの?」

「ここらにある街を放浪しながら、公園だとかで寝る生活ですね」

「今のところ定住場所が無いんだったらさ、研究所で住まない?僕らみたいに。あそこは曲がりなりにも、P.Tの研究をしているし、もしかしたら、能力とか、悩みとかの解決になるかもしれないよ」

 芽森はしゃがみこんで、先ほどよりも小さくなったように感じられる勇菜に話しかけた。彼女は逆光のため、思わず目を細めた。

「……私少しだけ短気ですから、また暴れまわるかもしれませんよ?」

「今回みたいに止めてみるさ!身体中痛いけれど」

 フッと息を漏らして、勇菜は笑った。そして、器用に体をくねらせて、縛られたまま立ち上がって言った。

「ありがとうございます。では、不束者ではございますが、お邪魔させてもらってもよろしいでしょうか?」

「もちろん!といっても僕には何の権限もないんだけれど」

 そう言って、芽森は眼をそらして後頭部を掻き毟った。彼の横に立っている明里が、勇菜の方に歩み寄って、彼女を抱きしめた。

「私も大歓迎!所長が断るような素振りをみせたら、遠慮なくやっちゃっていいから」

 明里が勇菜の顔を見つめていった。勇菜は、はっきりと見える彼女の顔を間近に見て、なんだか気恥ずかしくなった。

「私の身体、熱いでしょうから離れてください」

 グニャグニャと身体を揺らして、勇菜は、不愛想を気取った言葉を投げかけた。芽森がその光景をまじまじと見ているとき、ふと気づいたように口を開けた。

「あ、ごめん。縄ほどかなきゃ」

 そう言って彼が近づこうとすると、勇菜は、至極興味がないといった様子で芽森を制止した。

「芽森さん、心配ご無用です。お二方、念のため私から離れておいてください」

 そう言われた二人は、彼女の言った通りに後退った。明里の顔周りや胸元が少し汗で濡れているのを、芽森は見た。もともと赤くふっくらとしていた彼女の唇が、勇菜に近づいて汗ばんだことでより、一層赤みを帯びていた。彼女は襟元を掴んで身体を仰扇いでいる。彼はそこから見える明度の高い肌に気を取られた。明里は視線を覚え、彼の方を見ようとしたが、その動作を感じ取った芽森は大慌てで目をそらし、勇菜の方へと視線を移した。

「そいや」

 気の抜けたような声と共に、勇菜は腕に少し力を入れた。少し肩が張ったあと、つややかで真新しい様子のロープが轟音を立てながら、まるで劣化した縫い糸のようにたやすく引き裂かれた。その様子に呆気にとられた二人を見て、彼女は得意顔で明るく話した。

「どうです?すごいでしょう。今度私を捕獲する機会が来るのなら、金属製の縄の用意をお勧めします」

「君も交渉する気だったってコトか……」

「ええ、芽森さんがもし、『問答無用!来い!』みたいな性格だったら、即縄を引き千切って、頭も引き千切っていましたよ。ははは」

「命が軽いよ!怖い空手王者!」

 手をマダムのように振りながら笑って話す勇菜に対して、芽森は頭を抱えた。

「あれ?」

 突然、明里が首を傾げた。

「なんか忘れてるような……」

 その言葉と共に、猫の威嚇する声と、ズリズリと何かが這う音が、三人の耳に入った。その方を見ると、タヌキのように尻尾を太くして、毛を逆立たせている件の三毛猫と、それに怯えながら必死に身体を動かす、あの男の姿があった。

 音もなく、勇菜が、二人の間から飛び出した。遅れて、風が彼らの服をたなびかせた。

「逃がしません!」

 そう言って、勇菜は男を掴んだ。しかし今度は首根っこではなく。少し薄汚れたシャツの首元を握っていた。

「ひぃぃぃ!殺さないでくれぇ!」

 男が情けない声で喚いた。その声に、彼女は恐ろしいほどに奥行きがある微笑と、少し甘さのある声色をもってして返した。

「大丈夫です。私にはもうその気はありません。あとは、司法にお任せすると致しましょう」

 その返答を、少し離れた場で聞いていた芽森は、自身の中にある細く弱弱しい糸が、音を立てて切れたのを感じた。

「よかっ……あれ?」

 意識が澱むような、滞留するような感覚と共に、目の前の景色が渦を巻いて、彼を吸い込んだ。芽森は、音を立てて地面に倒れ込んだ。既に暗くなって、隔絶された彼の意識の世界には、二人の少女が、自身の名を叫ぶ声のみが響いていた。


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