絶望の理性。感情の未来。

「やはりそうですか……しかし、月苗さん。それがそのまま神田さんの犯行の証明には成らないことも検討されているのでしょう?」

 検討というか、言い訳を並べたようなものだけど、確かにある程度は形になっているものがある。

 まず言ってしまえば、わかっているのは「アリバイがない事だけ」という点だ。近くで事件があったからと言って、それが和夫さんの犯行と言うことにはならない。

 ましてや小森さんの事件なんて……いくらでも反論は出来るのだ。

 和夫さんが捜査線上に浮かび上がらなければ――

「……それにホテルから抜け出していたとして、恐らく犯行現場との距離はかなりあるんでしょう。俺も検討はしていませんが、午後一杯使っても果たして――」

「そ、それじゃ、タクシーとかレンタカー……」

 それを調べるとなったら、やっぱり和夫さんのことを警察に言わなければならないのだろう。私個人がどうにかして、ただ気休めのためだけにそんな移動手段について調べるなんて……それに本当に和夫さんがなら?

 この殺人事件の犯人は捕まってはいない。

 それなのに私のわがままだけで、黙っていて良いものなのだろうか?

「……その……私はちょっとだけ変わった、子供時代を過ごしてきました」

 私の口は突然、私の抱いている危機感を無視して言葉を紡ぎ始めた。

「その辺りの事情は青田さんも知っておられるとおりです。けれどそれは後から、そういう言葉にしただけのことで、その頃の私が感じていたのは、すごく嫌われたんだ――そういう感情だったんです。拒否された……今ならそんな言葉でまとめることもできるけれど、言葉を持っていなかった頃の私は……」

 ただ、よくわからない怖いものが自分の周りを取り巻いている感触で。

「それは――上杉家が?」

「はい。上杉家にしてみれば長男を奪っていった悪者ですからね。そして私は罪の証拠ですよ。もちろん母がそんな間違いをすぐに訂正してくれたし、怒ってもくれましたから、そんな馬鹿げた考えに支配されることはありませんでした」

 青田さんは何故、付き合ってくれるのだろう。

 こんな泣き言に。事件とはまったく関係無いのに。

 本当に私をただ慰めるため、落ち着かせるためだけに相談に乗ってくれていたのだろうか。

「でも、私は知ってしまったんです。世の中には怖い人がいるって事を。悪い感情を向けられる事があるって事を。そしてそれは父を奪い、そして母――いえ、万能だと思っていた両親でも、どうしても太刀打ち出来ないものもあるってことを」

 私は何をしているのか?

 そんな当たり前の疑問はずっと頭の中で繰り返されている。

「だから私は、立ち止まるクセが付いてしまった。何事についても。それは今だって。子供の頃はもっと酷かった。立ち止まって、結局それ以上は何もしなかった。出来なかった。でもそれじゃあどうしようも無くなって、立ち止まって悪いところばかりを見てしまうのは止めて」

 こんな訴えが何になるというのか?

「良いところを探すようにしようって。それは母や清司郎達に祖父母――そういう家族に支えられて、それは……」

 それは、今の私の――

「なるほど。それが月苗さんの写真への“こだわり”に繋がるわけですね」

 どうして青田さんはこんなに察しが良いのか。

 こんなに親切なのか。

 私には決して青田さんが“良い”とは考えられないのに。

「そう。そうなんです。私は自分でそれに気付かなかったんです。けれど和夫さんが気付いてくれた。私の撮り方に興味を持ってくれた。それ以上にアドバイスもしてくれた」

「アドバイス――ですか?」

「はい。これです」

 どうしても言うことを効かない私の頭――いや、口。

 私は自分自身がどうなっているのか自分でもわからなくなってしまっている。

 だから自分の理性も感情も投げ出すようにして、スマホのディスプレイを青田さんに見せつけた。

 テーブルの上を滑らせるようにして。

 青田さんはそれを受け止めると、テーブルの上に置いたままで上半身を曲げるようにしてディスプレイを覗き込んだ。

「これは……渡良瀬で撮られた写真ですか?」

「はい」

 画面の明るさで、それはわかるのだろう。冬の日差しだ。いやその前に、川面の渦を撮ったなんて事は渡良瀬遊水地の説明の時しかしていなかった。

「そして……これは何か加工されてますね。渦にだけ焦点が合っていて、他の部分が何だかぼやけているような」

「私の話を聞いてくれた和夫さんが、そういう加工をした方が、きっと私の伝えたかった……いえ撮りたかった写真に近付くんじゃないかって。白馬で……二日目の晩ににそんな話になったんです」

 青田さんは何も言わない。黙って私の撮った、そして加工した写真を見つめている。私は写真をスライドさせながら、説明を続けてしまった。

 いや、そうじゃない。私は訴えなくてはならないのだ。

 和夫さんは決して殺人犯では無いって説明しないとダメなんだ。そんな事が出来る人じゃないんだって。

「和夫さんは、私のこのどうしようも無い立ち止まるクセを、ジッと見つめてしまうクセを、それで良いんだって。それで……それで、それを後押ししてくれて写真にも色々アドバイスしてくれて、檜木さんに写真を加工することをお願いしてくれて」

 笑ってくれたのだ。

 和夫さんは笑ってくれたのだ。

 何度も。どんな時も。私は私で良いって。


 ああ……でも、それはやっぱり和夫さんの助けにはならなくて……

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