喋る犬のネコ

おじいさんの宝物

　――おじいさんとネコは書斎（しょさい）にいます。

　おじいさんが窓（まど）を開（あ）けると、埃（ほこり）だらけの書斎（しょさい）の中（なか）を心地（ここち）よい風（かぜ）が吹（ふ）き抜（ぬ）けていきます。

「埃（ほこり）っぽくて申（もう）し訳（わけ）ないね。長年（ながねん）、ここに足（あし）を運（はこ）んでいないものでね……」

　おじいさんはポケットから小（ちい）さな鍵（かぎ）を取（と）り出（だ）しました。

「確（たし）か、ここら辺（へん）に……」

　そして、おじいさんは、机（つくえ）の前（まえ）までゆっくりと進（すす）み、手探（てさぐ）りで引（ひ）き出（だ）しの鍵穴（かぎあな）を探（さが）します。

　おじいさんが鍵穴（かぎあな）を見（み）つけると、その鍵穴（かぎあな）に鍵（かぎ）を差（さ）し込（こ）み、ゆっくりと回（まわ）します。

　カチっと音（おと）を立（た）てて、引（ひ）き出（だ）しの鍵（かぎ）が開（ひら）きました。

　おじいさんは、引（ひ）き出（だ）しの中（なか）から一冊（いっさつ）の日記帳（にっきちょう）を大事（だいじ）そうにしながら取（と）り出（だ）します。

「これがね、私（わたし）の宝物（たからもの）なのです」

「ステキな宝物（たからもの）デスネ」

　日記（にっき）を手（て）にしたおじいさんと、人間（にんげん）のふりをしたネコは、ゆっくりとした歩調（ほちょう）で応接間（おうせつま）に戻（もど）っていきました。

　――そうして、ネコは日記（にっき）をそっと開（ひら）いて、おじいさんに、おじいさんの妻（つま）との大切（たいせつ）な思（おも）い出（で）を読（よ）み聞（き）かせてあげます。

　日記（にっき）には、たくさんの感謝（かんしゃ）の言葉（ことば）と共（とも）に、『平凡（へいぼん）で何気（なにげ）ない日々（日々）の中（なか）で、愛（あい）する老人（ろうじん）を忘（わす）れてしまうことなく過（す）ごせている毎日（まいにち）がとても幸（しあわ）せ』だと書（か）かれていました。

　そして、そのページには、勿忘草（わすれなぐさ）で作（つく）られた栞（しおり）が挟（はさ）まれていて、忘（わす）れたくない、忘（わす）れてほしくないという、強（つよ）い願（ねが）いが込（こ）められていました。

　――ネコは、老人（ろうじん）の妻（つま）について考（かんが）えます。

　愛（あい）する老人（ろうじん）との思（おも）い出（で）、薄（すう）れゆく記憶（きおく）の中（なか）でも、その強（つよ）い絆（きずな）は綻（ほころ）ぶことがないのだと。

　日記（にっき）を読（よ）み進（すす）めていくうちに、おじいさんの忘（わす）れかけていた記憶（きおく）は、鮮（あざ）やかに彩（いろど）られた思（おも）い出（で）に変（か）わり、最愛（さいあい）の妻（つま）との生活（せいかつ）が、幸（しあわ）せだったあの頃（ころ）がよみがえっていきます。

　おじいさんが忘（わす）れてしまわない限（かぎ）り、おじいさんの妻（つま）は、おじいさんの心（こころ）の中（なか）で、ずっと、ずっと、生（い）き続（つづ）けるのです。

　――日記（にっき）を読（よ）み終（お）える頃（ころ）には、日（ひ）が暮（く）れていて、あたりは真（ま）っ暗（くら）になっていました。

「イカガでしたカナ」

　ネコは無事（ぶじ）に日記（にっき）を読（よ）み終（お）えたことで、少（すこ）し誇（ほこ）らしげな表情（ひょうじょう）になっていました。

　「いや、もう、感謝（かんしゃ）のしようもないです。本当（ほんとう）に、本当（ほんとう）にありがとう。忘（わす）れかけていた妻（つま）との思（おも）い出（で）が鮮明（せんめい）によみがえりました」

「ソレは良（よ）かった！　では、ワタクシはそろそろおいとまさせてイタダクとしましょうカネ」

「なんと、お帰（かえ）りになられるのですか？　もしよろしければ、また、近（ちか）いうちに訪（たず）ねてきてくださいませんか？」

「モチロン！　また、お邪魔（じゃま）させてイタダキます」

「心（こころ）よりお待（ま）ちしております」

「ソレでは、ゴキゲンヨウ！」

　おじいさんは、玄関（げんかん）のドアを開（ひら）いて人間（にんげん）のふりをしたネコを見送（みおく）りました。

　ネコはもちろん、出（で）ていったふりをして猫（ねこ）の声（こえ）で鳴（な）きます。

「にゃ～ん」

「おお、ネコよ。お前（まえ）さん、ずっと静（しず）かにしていてくれたのだな。お腹（なか）が空（す）いただろう？　すぐにご飯（はん）の用意（ようい）をしてあげるからな」

　――こうして、喋（しゃべ）る犬（いぬ）のネコは、飼（か）い猫（ねこ）のふりと人間（にんげん）の友達（ともだち）のふりをすることになりました。

　喋（しゃべ）る犬（いぬ）のネコは、猫（ねこ）のふりと、人間（にんげん）のふりを、来（く）る日（ひ）も、来（く）る日（ひ）も続（つづ）けていったのです。

　おじいさんと猫（ねこ）のふりをしたネコは、本当（ほんとう）の家族（かぞく）でした。

　おじいさんと人間（にんげん）のふりをしたネコは、本当（ほんとう）の友人（ゆうじん）でした。

　でも、そんな幸（しあわ）せは長（なが）く続（つづ）かないと思（おも）うでしょう？

　それが、このお話（はなし）はそうでもないのです――