何でも知っている幼馴染

月之影心

何でも知っている幼馴染

結衣ゆいちゃん!僕と付き合ってくださいっ!」


「……。」




 僕は、隣の家に住む幼馴染の結衣に告白をした。

 結衣は眉一つ動かさず僕の目をじっと見詰めたまま固まっている。




「あ、あの……ゆ、結衣……ちゃん……?」


「ふぅ……」




 溜息っ!?

 溜息吐いたのに表情が全く変わらない?




陽大ようたくんと付き合うとどうなるの?」




 結衣が抑揚の全く感じられない声で尋ねる。




「どうなる……そりゃ、お互いのことをもっと深く知り合えたりだな……」


「もっと深く知り合わなければ分からないことなんかあるの?」


「お互いに何でも知ってるってわけじゃないだろ?」


「スリーサイズ。」


「上から87/57/86。」


「知ってるじゃない。誰にも言ってないのにバストが1cm増えた事まで正確に。」




 パブロフの犬よろしく、脳内に蓄積されている結衣のデータが口からぽろっと零れ出る。




「そ、そういうことじゃなくて!付き合って分かることって……」


「今日の下着。」


「薄い水色のレース付き上下セット。」




 結衣は僕から少し離れると右手でブラウスの胸元のボタンを外して隙間を広げてブラを見せ、左手でスカートを持ち上げてショーツを見せた。




「!?」


「付き合ってもいないのに誰も知らない筈の事を知っていて、これ以上何を知りたいの?」



 結衣はスカートを持った左手を離し、手早くブラウスのボタンを留めた。

 やっぱり表情は微動だにしていない。




「ぼ、僕は知っていても結衣ちゃんが僕の知らないことだってあるだろ?」


「そうね。【歴史全般】って名前のフォルダの中身は知ってるけど。」


「何で知ってる!?」


「【縄文】フォルダが雑多に集めた画像集で【弥生】は女優デビュー作集、【古墳】は隠し撮り系で【飛鳥】はマジックミr……」


「ごめんなさい止めてくださいごめんなさい。」


「川柳にしては中身スカスカね。」


「そういうつもりじゃねぇわ。」




 結衣が相変わらずの無表情のまま小さく息を吐く。




「幼い頃からずっと一緒に過ごしてきて、お互い知り過ぎる程知っているって言うのに、今更付き合う必要ある?」


「で、でも……」




 結衣が僕の腰に両腕を回して抱き付いてきた。

 鼻先を胸に付け、顔を押し付けるようにして。




「陽大くんは……すぅ……私が陽大くんを……すぅ……この世の誰よりも……すぅ……」


「待って待って待って。」


「何よ?折角大事なこと言おうとしてるのに。」


「それは何となく察するけど匂い嗅ぎながらじゃなくても言えるよね?」


「陽大くんの匂いは私の精神安定剤。」


「そうなの?」


「知ってるくせに。」




 幼い頃から結衣はよく僕の匂いを嗅いできていた。

 寝起きだろうと遊びまわった後だろうと、一息つくと僕の体や頭に鼻の頭を押し付けてスンスンと匂いを嗅いでいた。




「大体、付き合うことで何かが変わるの?」


「そりゃあ……彼氏と彼女になるわけだから……」


「くんずほぐれつの肉体関係ね?」


「ま、まぁそういうのも……って、もうちょっとオブラートに包もうか。」


「変○ね。」


「健全な証拠っ!高校男子の一般的な思考だ!」




 僕から離れた結衣は、僕に背を向けて部屋を出て行こうとする。




「ゆ、結衣ちゃん?」


「間に合わなくなるよ?」


「間に合わなく……あっ……」




 今日は結衣と映画を観に行く予定で結衣の家に迎えに来ていたんだけど、結衣を見た途端に抑えが効かなくなって告白してしまっていたんだった。




「急がなきゃ!」




 僕が言い終わる前に結衣は駆け足で階段を降りると、さっさと靴を履いて外へ飛び出して行った。

 迎えに来たのに置いてけぼりくらってる僕。

 衝動的に告白したのは悪かったけど、せめて一緒に出ようよ。




「遅れたら折角買った前売りチケットが無駄になるわよ。」


「ごめんって。」


「今月金欠なんでしょ?」


「何で知ってる?」


「陽大くんのことなら何でも知ってるわよ。」




 足早に駅へと向かう結衣を必死で追う僕。

 背筋をピンと伸ばして長い脚を前に運ぶように歩く姿は、いつ見ても綺麗だなと思う。




◇◇◇◇◇




 何とか映画には間に合って無事見終わることは出来た。

 中身はよくある恋愛コメディもので、原作を有名作家が書いているのもあって公開前からかなり評判のいい作品ではあったのだが、あまりにも前評判が騒がれ過ぎていたせいか、何か消化不良的な印象が残ってしまった。




「もっと盛り上がると思ったけどイマイチな終わり方だったな。」


「そうね。前情報が誇大広告だったいい例ね。でも……」


「でも?」


「陽大くんと一緒なら何でも楽しめるわ。」


「嬉しいこと言ってくれるじゃん。」


「私が陽大くんと一緒に居て楽しんでなかった事なんかあった?」




 珍しいことを言ってくれるものだと思いながら結衣の顔を見るが、相変わらず何の感情も伝わってこない表情をしている。




「だったらさ、付き合えばもっと楽しいこと見付かるんじゃないかな?」


「今のままでも十分楽しいわよ。」


「もっとだよ。もっとお互いを知り合ってだな……」


「もう十分知ってるんだから付き合う必要ないでしょ?」


「僕はもっと結衣ちゃんのことが知りたいんだよ。」


「カップ数。」


「アンダー67のEカップ。」


「正解。ちょっと前までDだったのにね。」




 条件反射とはかくも恐ろしいものなのか。




「今、私が何をしたいと思っているか分かる?」


「え?何だろう?」




 周囲をぐるりと見回しつつ考えてみたが、突然そんな事を言われて分かるものでもない。

 思案する僕の視界に入って来るのは映画館からエスカレーターを降りて来たフロアに広がるフードコート。




「取り敢えず小腹も空いたし何か食べながら考えてもいい?」


「さすがね。」


「え?」


「私がお腹を空かせてる事が分かるなんて。」


「あ、いや、それは偶々なんだけど……お?あれ、結衣ちゃんの好きなチキンカレーの美味しい店だ。」


「やっぱり分かってるじゃないの。」


「偶々だっての。」


「タマタマ?」


「微妙にイントネーション変えるの止めてくれる?」




 何故か映画館に来てからずっと手を繋いでいる結衣は、相も変わらず一切表情を変えないままカレー屋の方へ僕を引っ張って行くと、カウンター横で食券を買って列に並んだ。




「はいこれ。」


「あ、ありがとう。えっと……800円ね。」


「ここは私が出すからいいのよ。」


「え?でも……」


「陽大くんはあっちのジャンボ唐揚げ定食の方がよかったんでしょ?」


「え……」


「私の好みに合わせてくれたんだからこれくらい出させて。」


「何で分かった?」


「陽大くんのことは何でも知ってるから。」


「敵わないな。」




 フードコートと言いつつ入っている店舗は割と有名な店ばかり。

 間違い無い味を、僕と結衣は堪能した。




◇◇◇◇◇




 腹を満たした僕と結衣は、腹ごなしにショッピングモールをのんびり回った。

 服屋、時計屋、雑貨屋……普段あまりこういう場所に来ない僕にとっては案外新鮮だ。




「買いたいものがあるんだけど。」


「ん?いいよ。ここのモール内にある?」


「ええ。ちょうど目の前に。」




 結衣の無表情の視線を辿った先にあったのはランジェリーショップ。




「え……あ……あぁ……じ、じゃあ僕はここで待ってるk……」


「行きましょ。」


「ぅぇっ……」


「タダで下着が見放題。陽大くんにおあつらえ向きじゃない。」


「下着だけ見たって何も思わn……」




 結衣がブラウスの隙間から本日二度目となるブラチラを見せる。




「こういうことでしょ?」


「……」


「行くわよ。」




 繋がれた手を引かれ、僕はランジェリーショップ店内に引き摺り込まれた。

 『いらっしゃいませ。』と店員が声を掛けつつ、口元に手を当てながら笑顔で僕の方を見ている。

 そんなことお構いなしに、結衣は真っ直ぐブラの並んだコーナーまで僕を連れ込んで行った。




「どれがいいかしら?」


「ど、どれって……僕に分かるわけが……」


「陽大くんはこういう色っぽいのが好きなんでしょ?」




 結衣が手に取ったのは黒のシースルー。

 絶対に大事な所が隠れないやつだよね?

 下着本来の役割をあまり果たせないやつだよね?




「そそそんなことは……」


「【奈良】のフォルダ。」


「あ、あああれはそういう事じゃなく……」


「キャバ嬢が酔わされてお持ち帰り……随分官能的な下着だったわ。」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


「別に謝ること無いでしょ。陽大くんの幅広い嗜好に合わせるのって楽しいわよ。」


「僕のプライバシーは何処へ……」


「私と陽大くんのプライバシーは共有フォルダ内に格納されているわ。」


「全然プライバシーじゃないじゃん。」


「確か【近代】っていう名前のフォルダが共有……」


「ごめんなさい。」


「どうして【明治】【大正】……とかじゃなくて【近代】なのかしら?」


「い、いいじゃんか……まだ何も入れてないんだし。」


「これから入れるつもりなんでしょ?幼馴染系の動画ってあるのかしら?」


「……」


「このブラとショーツのセットでいいのね?」


「はい……」




 結衣はハンガーに掛かった黒いシースルーのブラとショーツを持ってすたすたとレジの方へ行ってしまった。

 僕は逃げるように店外へと出て下を見下ろせる手摺にもたれて深呼吸した。

 5分ほどして店を出て来た結衣が僕の方へやって来る。




「お待たせ。」


「いや、構わんよ。」


「ちょっとお花を摘みに行きたいのだけど。」


「あ~うん、えっと、あっちだな。」


「陽大くんも発射しに行く?」


「言い方言い方!発射って何だよ?」


「黒の上下セット。」


「早く行って!」




 結衣はすたすたとトイレの方へと行ってしまう。

 僕はもう一度大きく深呼吸をしてベンチに腰を下ろした。


 僕は結衣が好きだ。

 それは自分のことでもあるから間違いはない。

 結衣も、少なくとも僕のことを毛嫌いしている素振りはないので嫌いではないのだろう。

 しかし『付き合う』ということに対しては終始拒否される。

 僕としては幼馴染という関係から一歩前進したいのだが、結衣はそう思っていないということなのだろうか。


 僕は小さく溜息を吐いて項垂れていた。




「待たせてばかりでごめんなさい。」


「あ、いや、全然。」


「陽大くんは済ませたの?」


「いや、ここで待ってた。」


「ネタが足りなかった?」


「何の話だよ?」




 結衣がブラウスの胸元に指を掛けてボタンを掛けたまま中をチラ見せする。




「!?」




 ついさっき買ったばかりの黒いシースルーが覗く。




「お花摘みに行く?」


「行かねぇよ!」


「そう。こっちの方が良かった?」




 そう言って結衣はスカートに手を掛けたが、その後の行動を予測して結衣の手を押し留める。




「分かったから止めなさい。」


「どうして?好きでしょ?」


「好きだけど周りにいっぱい人居るから。」


「他人には見せたくないのね?独占欲の強い陽大くんらしいわ。」


「ちが……わなくはないけど今は違う。」


「じゃあ人の居ない所に連れ込みたいってこと?こんな街中の誰も来ないような所に連れ込んで手籠めにしようって言うのね?」


「そうじゃねぇわ。」




 僕はがくっと肩を落とした。

 については妙に食い気味に来るのに、今以上の関係を求めると拒否してくるのは何故だ。

 単に僕を揶揄っているだけなんだろうか?




「結衣ちゃんは……僕のこと嫌いなの?」


「どうしてそう思うの?」


「だって告白しても断るし、揶揄うようなことばかり言うし……」




 結衣は僕の腕をぎゅっと抱いて、いつもと同じ、感情の見えない顔で僕の顔を見上げてくる。




「嫌いならこんなことしないし揶揄ってもないわ。告白を断っているのは何度も言ってるけど”必要ない”から。」


「じ、じゃあもし僕が他の女子に告白されても構わないの?」


「告白されたの?」




 あくまでも結衣は無表情だ。




「い、いや、されてないけど……もしもの話だよ。」


「されるのは陽大くんに過失があるわけじゃないから構わないわ。」


「僕から他の女子にするのは?」


「陽大くんから私以外の女子に告白するなんて有り得ないじゃない。」


「凄い自信だね。」


「数学的に1+1の答えが2であることにわざわざ自信を持つ人居る?」


「誰にでも分かる事実だと言いたいのか……」




 僕が誰かから告白されることも、僕が誰かに告白することも、恐らく無いと言い切れる。

 それを分かってくれているのは素直に喜んでいいのかもしれない。




◇◇◇◇◇




 夢は眠りが浅い時に見ると言われている。

 所謂『REMレム睡眠』と呼ばれる、体は寝ているけど脳は起きていて、寝る前までに得た情報を脳内で整理している時の睡眠状態だ。

 得た情報の中は、実際に体験したこともあれば、頭の中で想像・妄想したことなんかも含まれている。


 つまり、今僕は夢を見ている状態で、結衣が僕の布団に潜り込んで僕を抱き枕のように扱っているのは僕が妄想したことがあるからという……




 ……いやいや、そんな妄想した覚えは……あったっけ?




「んぅ……」




 艶めかしい声が結衣の喉の奥から漏れ出している。

 多くの場合、夢の中は無音で、且つ嗅覚や触覚も無い。

 だがその声は確実に僕の耳の中に聞こえたし、何なら抱き枕にされている感触も明確にある。




「ぁ……陽大くん……おはよう……」


「お、おはよう……何してんの……かな?」




 結衣は僕に抱き付いていた腕を外すとするっと布団から出てベッドの横に立ち上がった。

 パタパタと乱れを直す服は高校の制服。




「起こしに来たの。」


「あ、ありがとう……」




 起こしに来た割には一緒に寝てた気がしないでもないけど。

 高校の制服ってのは謎だが。




「早く準備しないと遅刻するわよ?」




 時計はまだ7時前。

 学校までは徒歩10分。

 ひと風呂浴びてからでも全然間に合う時間だわい。




「朝食出来てるから着替えて降りて来てね。」


「え?結衣ちゃんが作ってくれたの?」


「あら、今朝からおじさんとおばさん陽大くんのご両親二人で旅行に行くって言ってたじゃないの。」


「聞いてないぞ……」


「お二人が旅行の間、陽大くんのことは全て私が任されているの。」


「なん……だって……?」


「不束者ですが宜しくお願いいたします。」


「挨拶的には違う気がしないでもないけど……つ、つまり……僕と付き合ってくr……」


「お断りよ。」


「何でやねん。」




 結衣は僕に背を向けて部屋の出口へ近付いてドアを開ける。




「私は陽大くんのお世話を任されただけ。付き合うなんて話は無いもの。いいから早く降りて来てね。」




 そう言って結衣は階段を降りて行ってしまった。

 何だって言うんだ。

 ここまでしてくれるなら付き合ってるのと変わらないんじゃないかと思うけど。

 考えても仕方ないので僕はさっさと着替えて部屋を出ることにした。




◇◇◇◇◇




「はいこれ。」


「ん?」




 結衣が差し出したのは結衣のノート。

 タイトルに『英語』と飾り気も何もないが綺麗な字で書かれてあるノート。




「英語のノートがどうかした?」


「宿題やってないんでしょ?」


「あ……そういや今日提出だったn……って何でやってないの知ってんだ?」


「部屋の電気だけ消すとパソコン点いてるのがよく分かるわ。」


「ぐ……」


「宿題もしないで何やってるのかしらね。」


「……」


「でも私としては、陽大くんの期待欲望に応えるために服を買いに行かなきゃいけないわね。」


「不穏な言葉が聞こえたけど……何で服?」


「さすがにナース服やメイド服は持っていないもの。」


「え……」


「【平安】フォルダはコスプレ系。」


「ごめんなさい!」




 僕は結衣に借りたノートを自分のノートに転写していく。

 グダグダやっている暇は無いのだ。

 宿題忘れた僕が悪いんだけど。




「ありがとう。助かった。」


「どういたしまして。次からはちゃんと自分でやるのよ。」


「ごめん……」


「動画ファイルの整理に手間取るなら私がしてあげるから。」


「ごめんって!」




 提出した宿題は難なくクリア。

 またも結衣のお陰で助かったけど、それ宿題これフォルダは別の話だよな。




◇◇◇◇◇




 学校生活の一日が終わり、大欠伸をしながら席を立つ。

 隣の席の結衣は、口を真一文字に結んだまますっと立ち上がって鞄を持ち、僕の方を見ている。




「帰ろうか。」




 無言且つ真顔で小さく頷く結衣。

 結衣のことを知らない人が見たら怖いかもしれないな。

 一緒に教室を出て玄関へと向かい、靴を履き替える。




「スーパーに寄りたいの。」


「食材?」


「ええ。陽大くんが食べたいと思っているものを作るのに足りないものがあるから。」


「僕が何を食べたいと思ってるか分かるの?」


「勿論。」


「因みに何だと思ってる?」


「チキンカツカレー。」




 正解。




「結衣ちゃんって超能力者なの?」


「極々普通の何処にでも居る女子高生よ。」




 こんな可愛い子が何処にでも居るわけないだろ。




「心配しないで。いくら陽大くんの事が分かると言っても盗聴器や隠しカメラを設置して探ってるわけじゃないから。」


「設置してたら犯罪だわ。」


「影武者は居るかもしれないけど。」


「はい?」


「実は私には何もかもそっくりな双子の妹が居て常に陽大くんを見張るように言い聞かせてあって……」


「話を作らなくていいから。」


「【鎌倉】のフォルダに居た妹は策士だったわね。」


「……」


「妹が姉の彼氏をNT……」


「わー!わー!わーーー!!!」


「私も陽大くんも一人っ子で良かったわ。」


「まったくもって……」




 結衣は僕の顔から視線を外すと、顔色そのままにすたすたと歩き始める。

 スーパーマーケットまでの道のりが酷く遠く感じた。




◇◇◇◇◇




 店に入った結衣は入り口で買い物かごを持つと、店の導線が見えているのかと思うくらい目的の商品棚まで迷う事無く辿り着き、一つ二つ商品を手に取って一瞬チラ見をして一つだけかごに入れていく。

 動きに全く無駄が感じられない。

 僕はそんな結衣に着いて回るのがようやくといった感じだ。

 そんな結衣が鮮魚コーナーの前で足を止めている。

 チキンカツカレーを作るのにサカナ?

 ようやく横並びに立つことが出来た。




「何見てるの?」


「隠し味の素材。」


「隠し味?」




 カレーの隠し味って、ヨーグルトとかチョコレートとかコーヒーとかが有名で、そういうのって料理をしない僕でも知ってるんだけど、ここ鮮魚コーナーだよ?

 頭の中にハテナマークを浮かばせていると、結衣がゆっくり手を伸ばしてパッキングされた素材を手に取った。




 『スッポン』




 見間違えでなければそう書いてある。




「え?す、スッポン?」


「ええ。」


「な、何故にスッポン?」


「精を付けたいでしょう?」


「何でじゃ。」


「今日は家に誰もいないの。」


「それ僕んちね。」


「途中で精が尽きても困るでしょう?」


「困りません!困るようなこともしません!」


「意気地なし。」


「そういう事を言ってると本当に襲うよ?」


「【室町】フォルダはレ○プ系。」


「……」


「犯罪はいただけないけど、多少の強引さなら必要だと思うわ。」


「ごめんなさい……」




 肩をがっくりと落とす僕を余所に、結衣は無表情でスッポンをかごの中に置く。

 買うのかよ。




「あ、払うよ。」




 レジに並び、鞄から財布を出す結衣にそう言った。




「おばさんから食費諸々は預かってるから。」


「マジか。じゃあお菓子も買って帰ろうよ。」


「私が預かっているのは”食費”よ。嗜好品は含まれていないわ。毎月お小遣い貰ってるんだから自分で買いなさい。」




 お袋かな?

 まぁ、結衣は言い出したら曲げないのも分かってるからこれ以上推すまい。

 精算を終えた商品を買い物袋に詰めて荷物を持った僕は、入店した時と同様に出口に向かって一直線に歩く結衣の後ろに続く。




「でもこういうのっていいよな。」


「こういうの?」


「うん。一緒にスーパーに買い物行って一緒に同じ家に帰る。」


「服とか本とかならよく一緒に行ってるじゃない。」


「服は買って帰ってもすぐにどうするってものでもないじゃん。」


「生着替えが見たいってこと?」


「ちがわ。食品は買って帰って料理して、食べて片付けて、までが一連の流れだと思うんだ。いつも結衣が料理作ってくれるのってうちにある食材使うからこういうことってした事無かっただろ?」


「”まるで夫婦みたい”とか言いたいのかしら?」


「そ、そこまでは言わないけどさ。」




 言わないけど『何となくいいな』と思った事って要するにそういう事だ。

 口をもごもごさせていると、結衣が空いている僕の腕に抱き付いてきた。

 上腕三頭筋に結衣の柔らかい膨らみが押し付けられる。




「ゆ、結衣ちゃん?」


「……ってきた。」


「え?」




 聞き返すと同時に、結衣は左手で鞄から取り出した折り畳みの傘を器用に広げて頭の上にかざした。

 頭上の傘に水滴が当たり、パタパタと音を立てる。




「雨だ。」


「本降りになる前に着くかしら。」


「急ごう。」




 そう言いつつ、結衣が腕に抱き付いているのと右手に食材の入った袋を持っているのとで走りにくい。

 一歩進む毎に傘を叩く雨音が大きくなり、地面にぶつかった雨粒が跳ね返るのが見えるほどに雨脚が強くなってくる。

 それでも何とか家に辿り着いた僕と結衣は、半身を適度に濡らしながら玄関の中に駆け込んだ。




「ふぅ。結衣ちゃんのお陰で大して濡れずに済んだけど、さすがに着替えないと風邪引くね。」


「そんなに生着替えが見たいの?」


「違うっての。」


「そう?【戦国】フォルダは風俗系。嬢の真似なんか出来るかしら。」


「ばっ!?ばば馬鹿な事言ってないで!おおおお風呂沸かすから待っててよ!」


「お風呂で見たいってこと?」


「違うってば。」


「そうよね。お互い生まれたままの姿なんて飽きるほど見てるんだし。」


「年齢!」


「確かにお互い大きく育ったものね。」




 両腕を抱くようにして胸の膨らみを寄せながら無表情で僕を見上げる結衣。

 絶対わざとだよな。

 僕は玄関で靴下を脱いで上がり込み、風呂場から数枚のタオルを持って玄関に戻って結衣に渡す。

 軽く雫を拭い取った結衣は、買い物袋を持ってキッチンへ入る。

 僕は再び風呂場に戻って軽く掃除してからバスタブにお湯を入れた。




「お湯溜まったから先に入りなよ。早めに温まった方がいい。」


「私より陽大くんの方が濡れてるんだから先に温まって。その間に晩御飯の下ごしらえだけしておくから。」


「そう?じゃあお言葉に甘えて。」


「いくらでも甘えてくれていいのよ?」


「そういう意味じゃねぇよ。」




 中途半端に濡れた服を脱いで洗濯機に放り込み、風呂場に入ってざっと体を流してから湯船に体を沈める。

 冷えると言うほどまでは冷えていなかった体も、少し熱めの湯に浸すと外側からじわじわと温まってくるのが感じられる。




「ふぅ~……明るい内に入るお風呂もいいもんだ。」


『じゃあ私も入ろうかしら。』




 風呂の擦りガラスの向こうから結衣の声が聞こえてくる。




「なっ!?」




 僕が言葉を発する前に扉が開かれ、タオルで主要部位だけ隠した結衣が入って来る。




「なななな何で入って来るんだっ!?」


「早めに温まった方がいいって言ってくれたじゃない。」


「そういう意味で言ったんじゃないっ!」


「晩御飯の下ごしらえはちゃんと出来たわよ。」


「そんな心配もしてないっ!」


「何よ?生まれたままの姿なんて見慣れてるでしょう?」


「だから年齢っ!」


「もう。こういうところはお堅いんだから。」


「ケジメだよ。付き合ってない相手とはいくら幼馴染でも一線引かないと。」


「私はお堅い方が好きよ。」


「どこ見て言ってんの!?」




 結衣は風呂場に入って来ると、シャワーで体に湯をかける。

 僕は視界に結衣が入らないように背を向けようとするが、狭い湯船でそんなに自由度があるわけもなく、中途半端に横を向くしか出来ない。

 体を流し終えた結衣が、僕の背中側の隙間に体を滑り込ませてくると、ただでさえ狭い湯船で背中合わせになることも出来ず、横に並ぶようにして湯に浸かる。




「昔はよくこうして一緒にお風呂入って、嫌がる私の体を無理矢理洗ってくれたりしてたのにね。」


「歴史を改変するの止めてくれる?」


「江戸時代の歴史って徳川家康の黒いイメージが出ないように改変されてる部分が多いのよ。」


「何の話だよ?今は江戸時代じゃないし僕は徳川家康じゃない。」


「【江戸】フォルダはイメージビデオ。」


「……」


「女優のイメージなんて虚像でしかないのだから、知り合いからすればある意味歴史改変と同列よね。」




 結衣が首を傾けて僕の肩に頭を乗せる。




「陽大くんの中の歴史は、改変されてない?」


「ん?どういうこと?」




 僕の中の歴史が改変?

 意味が分からないぞ。




「まぁ、憶えていないから何度も告白してくるのでしょうけど。」


「憶えて……?何の話?」




 思わず視線を結衣の方に向けてしまうと、頭を起こして僕を凝視する無表情な結衣と目が合った。

 勿論、視界の下方に柔らかそうな山と深い渓谷が入ってくる。

 慌てて視線を逸らすチキンな僕。

 それはともかく、僕は何を忘れていると言うのだろうか。

 忘れているから何度も告白している?

 結衣が視界に入らないようにしつつ、何を忘れているのか思い出そうとしてみたのだが、こんな状況で冷静に物事を考えられる筈も無いよね。




「さ、先に出るから結衣ちゃんはゆっくり温まって……」




 そろっと立ち上がろうとした僕の腕に結衣が抱き付いてくる。

 いつも服越しに伝わってくるたわわがダイレクトヒット。

 再び湯の中へしゃがみ込む。

 男には立ち上がりたいけど立ち上がれない状態になったりするのだ。




「あ、あの……結衣ちゃん?僕、先に出たいんだけど……」


「ちょうどいい機会だから思い出して。」


「思い出す為に出たいんだよ。」


「一緒に居た方が思い出しやすいかもしれないわよ?」


「雑念が多過ぎるの!」


「変○。」


「普通だからっ!こんな状況で冷静で居られるほど悟り開いてないからっ!」




 結衣はいつもの無表情のまま溜息を吐く。

 溜息を吐かれるような事はしてないと思うんだけど。




「陽大くんは私を辱めるのが好きなのね。」


「はい?」


「私は人生で一番の勇気を振り絞って言ったのに、それを忘れてもう一度私に恥ずかしい思いをさせようって言うのね。」


「何だよそれ?」




 湯船のお湯が大きく波打ち、立ち上がった結衣が僕の方を向く。

 何も隠さず、文字通り『生まれたままの姿』を僕の隣に晒す。




「ちょっ!?ゆ、結衣ちゃん!?」




 僕は慌てて結衣が視界に入らないように顔を背けるが、結衣は僕の隣で立ち上がったまま、恐らく僕を上から見下ろしているのだろう。








「私を、陽大くんのお嫁さんにしてください。」








「え……?」








 驚いて結衣の顔を見上げる。

 一糸纏わぬ結衣の裸体に水滴が散りばめられ、宝石のように輝いている。

 それを見た瞬間、僕の頭の中に一気に昔の記憶が呼び戻されてきた。




◆◆◆◆◆




 夏の太陽が照り付ける公園。

 噴水の縁に座っていた僕と結衣に、地面に叩き付けられた水滴が跳ねて顔や頭に掛かっていた。

 今の結衣をそのまま幼くしたような小さな結衣が、今とあまり変わらない無表情で、少しだけ頬を紅くして言った。




『ようたくん、わたしをようたくんのおよめさんにしてください。』


『え?あ……う、うん……いいよ……ゆいちゃんをぼくのおよめさんにする。』


『ホント?ありがとう。うれしい。』


『ぼくもうれしいよ。』


『わたし、おうちのことなんでもできるようになるから、ようたくんはいっぱいはたらいていっぱいおかねかせいできてね。』


『まってまって、いきなりげんじつてきになってない?』


『わたしがようたくんのおよめさんになるのもげんじつじゃないの。しゅきしゅき!だけでせいかつはできないのよ?このくにでいきていくためにひつようなのはおかねよ。』


『お、おぅ……』




 終始感情が見えないままの結衣が、ポケットからハンカチを出して僕の顔に付いた水滴を拭ってくれていた。




◆◆◆◆◆




 そうだ。

 まだ小学生にもなっていない幼い頃ではあるけど、僕は結衣と結婚する約束をしたんだ。

 しかも今とは反対に、結衣が僕に告白してくれたんだ。

 それを結衣はずっと覚えていて、僕はすっかり忘れていた。




「思い出した……」


「よかった。」


「そんな子供の頃の話、よく覚えてたね。」


「”三つ子の魂百まで”って言うじゃない。」


「既に刷り込まれていたのか。ひょっとして僕の告白を断り続けてたのも?」


「お嫁さんになるのが決まっているのに、遠回りして恋人になんかなる必要無いじゃない。」




 全て合点がいった。

 結衣が告白を断る割には僕といつも一緒に居たのも、将来が決まっていると確信していたからなのか。




「まったく……結衣ちゃんには敵わないな……」


「さ、2回も辱められて体も温まったしそろそろ出てご飯にしましょうか。」


「言い方よ。」




 ざばっとお湯を揺らし、立ち上がっていた結衣が浴槽から出る……と同時に、やはり僕も年頃の男子なわけでして……




「出ないの?」


「あ、いや……先に出ててくれる?」


「さっきは先に出るって言ってたのに?」


「立てない事情がありまして……」


「たってるじゃない。」


「だからだよっ!」




 風呂上がりに食べたチキンカツカレーは、チキンカツ以外にスッポンの肉も入っていたわけで、そりゃあもう色々大変だったわけだけど『このあと無茶苦茶……』とはならなかったのは相変わらず僕がヘタレだったわけで……。

 両親の部屋に来客用の布団を敷いた筈なのに、何故か結衣はその布団を僕の部屋に持って来るだけ持って来て、自分は僕のベッドに入って来て持って来た布団は放置するって意味分からん。




「えっと……何してるのかな?」


「お邪魔かしら?」


「邪魔っていうか、狭いから別々の方がいいんじゃないかなと思うんだけど。折角親の部屋に敷いた布団を(結衣ちゃんが)こっちに持って来たんだからさ。」


「お義父さまとお義母さまの部屋でなんて、いくら何でも大胆過ぎると思うの。」


「大胆?何が?」


「ハ○撮り……」


「しないっ!」


「【近代】フォルダの中身は5つに分けられるわ。」


「分けなくていいから!」


「それにしても、やっと思い出してくれたのに何もしないのね?」




 生まれたままの姿を見て見られて、晩御飯に精の付くものを食べて、年頃の男女が一つの布団に入っていれば、つまりなんだろうけど。




「我慢してるんだよ。」


「どうして我慢なんかする必要があるの?私は陽大くんなら何をされても、例え肉○器のような扱いをされても……」


「どこでそんな言葉覚えたんですかねっ!?」


「確か【室町】フォルダだったかしら。」


「ごめんって……」




 結衣は僕の脇腹に腕を通して体に抱き付くと、顔を僕の胸に押し付けてスンスンと匂いを嗅ぐ音を立てた。




「陽大くんの好きなようにしてくれていいのよ?」




 そんなこと言いながら、ぎゅっと抱き付いて僕の匂いを嗅ぐ結衣の肩が小さく震えているのを感じれば、理性が飛ぶことなんてないよな。

 僕は結衣の頭に手を置いて、ぽんぽんと優しく撫でておいた。




「慌てなくてもいいんじゃない?」


「え?」


「忘れてたのはホント申し訳ないと思うけど、もう思い出したんだから慌てることないと思うよ。」


「私は慌ててなんか……ゎぅっ!?」




 顔を起こして反論しようとした結衣の頭と体をぎゅっと抱き寄せて腕の中に閉じ込める。




「僕の性癖を覗き見て僕が喜びそうなことしてるのは、僕が他の女の子を見ないようにって事なんだよね?」


「ぅ……」


「料理をうちのお袋に教わってるのも、時々部屋を掃除してくれるのも、僕が余所見しないようにって事だったのかな?」


「そ、それは……」


「大丈夫。僕はずっと前から結衣ちゃんしか見てないから。」


「陽大くん……」


「じゃなければ毎回断られてるのに何度も付き合ってなんて言わないよ。」


「私が恥ずかしい思いをして告白したことを忘れてたくせに……」


「だからそれはごめんって。」


「許さない。」




 結衣が僕の腕の中でもぞっと動いて顔を上げてきた。




「私が今考えてることが分かったら許してあげる。」




 僕は迷わず結衣の唇に口づけした。




「今はこれだけ。」


「……何で分かったの?」








「結衣ちゃんのことは何でも知ってるから。」

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何でも知っている幼馴染 月之影心 @tsuki_kage_32

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