第7話 サイドワインダー訓練所にはヨコヅナがいる

 チャガマがヘルファイア訓練所に来てから、訓練所の雰囲気は以前よりも俄然、前向きになった。お世辞にも強いとは言えないパワーノートたちは、チャガマを負かそうと、以前よりも熱心に訓練に打ち込むようになったし、訓練以外の雑用をチャガマが引き受けることで、彼らの自由な時間が増え、心に余裕ができてきた。

 ただ、チャガマは味を判別する能力がなかったため、イシハラはチャンコ係を交代してもらえなかった。イシハラの愚痴はしばらく続いた。

 ある日の訓練終わりに、兵長が訓練所から立ち去ろうとするチャガマを呼び止めた。


「チャガマよ。お前、明日の出稽古について行ってみないか?」


 チャガマは横着に頭部だけで振り返った。


「デゲイコ? また、雑用ですか? 断りたいですけど、どうせ拒否権なんてないんでしょ?」

「いやいや、出稽古は雑用なんかじゃないぞ」


 カメサワが横合いから口を挟む。チャガマはカメサワに頭の正面を向けた。


「出稽古は他の訓練所に行って、合同で訓練をやることなんだ。うちは小さな訓練所でいつも三人でしか訓練できない、他のパワーノートたちと技を競い合える出稽古は本当にありがたいものなんだよ」

「しかも、明日の出稽古先はサイドワインダー訓練所だ」


 兵長がニヤリと笑う。


「意味深に笑われても困りますよ」


 チャガマには兵長が不敵に笑む理由などわからない。


「チャガマ。サイドワインダー訓練所にはヨコヅナがいるんだよ。ヨコヅナ、サンダーボルトがね」

「ヨコヅナ、サンダーボルト?」

「ああ。ヨコヅナはパワーノートの中で最も強い者に与えられる称号だよ。つまり、出稽古に来れば、最強のパワーノートに会える」


 カメサワの言葉にチャガマがハッとする。


「最強のパワーノート! それは見てみたいです!」


 チャガマはヘルファイア訓練所に来て初めて、明日という日を待ち遠しく思った。出稽古、サイドワインダー訓練所、ヨコヅナ、サンダーボルト。拡張具足の具体に宿った偽魂がワクワクした。

 明日のことばかりを考えていたチャガマは、この日の雑用のほとんどでミスをした。だが、そのどれもを反省しなかったし、一度も悪びれることがなかった。チャガマにとって重要なのは翌日の出稽古だけだった。

 出稽古の日のパワーノートたちは、いつにも増して早起きだった。普段は訓練所にある稽古場に出ればすぐに早朝訓練が始められるが、出稽古の場合は、他の訓練所まで移動しなければならない。

 いつもより小一時間ばかり早起きしたパワーノートたちは、白んで間もない空の下、幅のある大きな河川沿いを、眠い目を擦りながら歩いていた。


「サイドワインダー訓練所はデカいぞ。なんせ所属しているパワーノートの数がうちの十倍だ」

「ええ? ということは、巨人が三十人ですか? なんてむさ苦しい!」


 驚きの声を上げるチャガマにカメサワが苦笑する。


「そのうち、最上位ディビジョンのマクウチに所属するパワーノートがヨコヅナを含めて四人もいる。楽しみだろ?」


 カメサワがチャガマの背中をポンポンと叩き、一同はサイドワインダー訓練所の敷居を跨いだ。

 稽古場からはすでに勇ましい声と肉体と肉体がぶつかる激しい音が聞こえて来た。


「もう、始まってるねぇ」


 出稽古に来た三人のパワーノートを見ると、すでに汗をかき始めているサイドワインダーの面々は、各々、ごっつぁんですと口にして歓迎した。

 カメサワたちが準備運動の後に本格的な訓練に混じっていく。チャガマは稽古場の隅で出稽古の様子を見学した。

 しばらくしてから、あれほど昂っていたチャガマのワクワクが、驚くほど萎えていった。それもそのはず、他訓練所に出稽古に来たとはいえ、パワーノートの数が十倍になっただけで、いつも見慣れている訓練が同じように繰り返されているだけなのだ。

 せめてヨコヅナの姿だけでも見たいと辺りを見回しても、どの巨人がヨコヅナなのかもわからない。パワーノートのチャンピオンたるもの、一目見てすぐにそれとわかるような存在感があるだろうと期待していたチャガマの気持ちは、急激な放物線を描いて下降していた。

 もう帰りたい。

 そんな折、奥の部屋に繋がる大きな引き戸がしめやかに開き、新たに四人の巨人が姿を現した。

 当然、反射的にそちらに頭部を向けたチャガマは、口さえあればはっと息を飲んでいた。そこの四人はすでに稽古場にいる他のパワーノートとは明らかに雰囲気が違っていた。

 堂々たる態度に、険しくも凛とした面構え。背負った覇気が湯気のように揺らめき、辺りの景色を陽炎のように歪めて見せる。

 チャガマはカメサワが口にした、マクウチに所属するパワーノートが四人いるという言葉を思い出した。この四人がまさしくそれだ。そして、最後尾で引き戸をくぐった、一際大きな存在感を放つパワーノート。あれがヨコヅナ、サンダーボルトだ。体から立ち昇っているように見えるのは覇気ではない。王気だった。

 チャガマは磁石に引き付けられる鉄のように、無意識的にサンダーボルトへ歩み寄っていた。


「お、おい! チャガマ!」


 気づいたカメサワが思わず声を上げる。だが、ときすでに遅し。チャガマはサンダーボルトの目の前にいた。


「おい」


 マクウチのひとりが、チャガマの胸を押さえて動きを制した。さすがの膂力で、チャガマはそこから前に進めなかった。チャガマは立ち止まったままサンダーボルトに話しかけた。


「あなたがサンダーボルトさんですね! お会いできて光栄です!」


 チャガマを抑えるパワーノートが剣呑な空気を吐き出し、稽古場の時間が凍り付いた。止まった時の中で、自由に動けるサンダーボルトが、そのパワーノートの肩にそっと手を置いた。


「いいじゃない。ドラゴンスレイヤー」

「ヨコヅナ!」


 ドラゴンスレイヤーと呼ばれたパワーノートは、サンダーボルトがチャガマに歩み寄るのを見て、渋々といった様子で一歩脇に寄った。サンダーボルトはチャガマを見やった。


「話には聞いてたのよね。ヘルファイア訓練所に来たというサーヴァントのこと。実際に見てみると本当に面白いじゃない。噂どおり頭が茶釜になっているのね」


 サンダーボルトは穏やかに笑った。


「サンダーボルト=サンはパワーノートで一番強いんですよね? あなたとスモウをしたかったんです! スモウをやりましょう!」


 カメサワたちヘルファイア訓練所の三人は気絶しそうになった。パワーノートで最高ランクに位置するヨコヅナは言わば王だ。それに対して馴れ馴れしくスモウをしようなどとは、あまりにも不敬が過ぎる。


「おいっ!」


 ドラゴンスレイヤーの怒声が稽古場の空気をビリビリと震わせた。名前の通り、竜をもほふらん圧力のある声だった。

 剣呑な空気が身を切り裂くようだった。ヘルファイアの三人は、示し合わせたわけでもないのに、死ぬ思いでチャガマに向かって駆け出していた。


「いいじゃない、ドラゴンスレイヤー」

「ヨコヅナ!」


 少年がキャッチボールを始めるような気軽さで、サンダーボルトが思いもよらない返答をした。カメサワたちがピタリと止まる。


「しかし、ヨコヅナ」


 脇を固めるマクウチのパワーノートたちが口々に諫めるような声を上げた。サンダーボルトは穏やかな視線でそれを制する。


「なに、準備運動だって。それに、聞くところによるとスモウが大層強いそうじゃない。少し興味があるのよね。スモウをとるサーヴァントというやつに」


 サンダーボルトは周りを取り囲むマクウチのパワーノートたちを優しく脇に押しやり、稽古場中央のサークルの中に入った。

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