「催眠術にかかりやすいだよね」って冗談言ったら、学校一のクール系美少女が本気で催眠術かけてきた。
月並瑠花
プロローグ
「私の指を見てください。私が三つ数えて指を鳴らすと、白柳凪斗くんは私に恋をします」
――催眠術という言葉を、誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
手を叩くだけで相手を眠らせたり、体を硬直させたりetc...。調べたら中には自己催眠というのもあるらしい。
昔はその存在を信じているものは多かった。もとい、幼少期の俺は憧れていたまである。そんな催眠術師も今やオカルト的な都市伝説に近い。
仮にテレビで見かけても、それは演出にしか見えないと思う。
それは何故か。人間は演技というものができるから。素人、もっと言えば役者。演技に長けた人間が、催眠術がかかった演技で人を騙すことなど容易いのだ。
実際にかかる人は少ないし、そもそも存在を信じている人自体稀だろう。
催眠術に対して、俺はそんな持論を持っていた。
だから俺は口を滑らせてしまった。
「俺、催眠術にかかりやすい体質なんだよねー!」
と。
そしたらどうだろう。
放課後に学校一のクール系美少女に呼び出され、何故か催眠術をかけられようとしているではないか。
3、2、1、ぽすっ…………
細い指は小さな摩擦音を出しただけで、鳴ってはいない。
多分力が足りてないんだろう。
「…………ふぅ、かかりましたね」
指パッチンを誤魔化すかのような小さな声で、でも自信あり気に呟いたのはクラスメイトの九重胡桃だった。
「これで凪斗くんは……」
そう言うと、いつも凛としている九重さんの頬が緩む。……聞こえてるよ。
先程も言った通り、演技力に長けた人間ならば、催眠術にかかったふりなど容易いと思う。
この状況を考えるに、催眠術にかかったふりをしてこの場をどうにか乗り切る。相手を騙すほどの演技力を持ち合わせていたら、それがおそらく最善だ。
が、俺は生憎演技力に乏しかった。
だから演技がバレた時のリスクを考え、俺は全力で平然を装うことにした。
「え、えっと、なんのことかな?」
俺を自分自身のできる平然を、全力で演技した。
自覚はしてる。けど、多分めっちゃ目泳いでると思う。
こういうの苦手なんだよね。
ましてや、目の前にいつもクールな九重さんが満面の笑みを浮かべてるんだもん。
この時点で平然なんて保てるわけがない。可愛すぎるもん……。
「か、かかってないの……? もしかして指が鳴らなかったから? まず指パッチンの練習からしとくべきだった……?」
自分の失敗を自覚していく九重さん。
「…………えっと、白柳くん?」
「はい……」
本題は失敗の原因ではなく、目の前に催眠術のかかってない俺がいるということ。
徐々に状況を理解していくと、九重さんの笑顔はゆっくり崩れ始めた。
声も震えており、顔はりんごのように真っ赤に染まっていく。
「っ〜〜…………」
普段高校生活では決して見ることの無い九重さんの表情。
見られていることに気付いたのか、九重さんは真っ赤に染った顔を両手で覆う。
「少し持ってください……」
おそらくこの学年、いや、この学校で九重胡桃という人物を知らない人間はいないと思う。
九重胡桃という人間はそれほど有名人なのだ。
老若男女問わずほとんどの人間が振り向くであろう端正な顔立ちに加え、運動神経万能、成績優秀。だが、その完璧に近い人物像の反面、いつも一人でいることが多かった。
そこから付けられたのが『完全無欠の女神様』という大袈裟な異名だった。
近寄り難い雰囲気を常に纏っているため、話しかけられる人間も極少数と限られている。
そんな九重さんが。
俺みたいな、なんの特徴もない帰宅部の平凡人間に、催眠術をかけてきた。
しかも『私に恋をします』なんて命令。せめて最初は催眠術が通用するのかどうか。何か試して欲しかった。
眠りなさい、とかならまだ俺も冗談でしたって笑い話にできたけど、流石にこれは無理があるだろう。
待てよ、こんなの普通ありえないよな。罰ゲームか何かだろうか。
俺が変な発言をしたから、誰かが九重さんを使って俺を試してきている?
いや、友達のいない九重さんに限ってそれはないか。
一応教室の外を見るが、誰か隠れている気配はない。
つまり単独犯?
「……す」
「え? 九重さん、今何か言った?」
「あなたを殺す! そして私も死にます!!」
「おいおい待て待て!?」
首を締めようと、前のめりになって襲いかかってくる九重さん。
流石に高校生で死因が催眠術の失敗による心中は嫌なので、女の子相手だが全力で抵抗する。
とはいえ、九重さんの細い腕に力はなく、正直片手でも相手できるほどだった。
「あっ……」
俺は油断して、力を抜いてしまった。
すると九重さんはバランスを崩して、こちらへ倒れてくる。
それに押され、俺も椅子から地面に落ちてしまった。
腰の辺りに重みを感じる。
「いてて……大丈夫? 九重さん?」
「み、見ないでください!」
見ると九重さんは俺の腰の上で恥ずかしそうに顔を隠していた。
「嘘だったんですか。催眠術がかかりやすいって嘘だったんですか!?」
「嘘っていうか、冗談っていうか……いや、まぁ九重さんからしたらどっちも一緒、だと思うけど……」
「…………」
数秒間の無言の圧力。
ジーッと、俺の腰の上で指の間から見てくる九重さんから目を逸らす。
「と、とりあえずそこから退いてもらってもいい?」
「あ、すみません、重かったですよね」
「それは全くと言っていいほど大丈夫だけど……」
もはや乗ってる感覚がなかった。ちゃんとご飯を食べているんだろうか。心配になる。
九重さんは俺の隣。一定の距離をおいて、ちょこんと小さく正座した。
「そ、それよりさっきの『私に恋をします』ってやつ……あれはなに?」
「き、聞かなかったことにしてください!」
「ちゃんと解決しといた方が、九重さん的にもよくない? 別に、俺はこのまま終わってもいいけど?」
もちろん嘘だ。絶対もやもやして一週間は睡眠不足になる。
この場であの言葉の真相を聞いておかなければ、一生脳裏からあの時の九重さんの顔と言葉が離れなくなってしまう。
『白柳凪斗くんは私に恋をします』
それは事実上の告白だ。
告白を告白した側が説明するなど、不粋の極み。もちろんそんなことは俺もわかっている。
けど俺には分からない。なんで九重さんのような完璧人間が、俺のようなThe平凡、みたいな人間にわざわざ催眠術なんか使ってきたのか。
「好き、なんですよ。この学校に入った時から」
「入った時?」
「そうです。入学式の日、迷子だった私をみんなが避けていました。そんな時に唯一声をかけてくれたのが君、白柳凪斗くん。あなただけでした」
正直会話すらしたことが無いと思ってた。
いつの間にそんなラブコメ的なイベントを、自ら起こしていたのだろう。
そもそも友達すらいないまま高校生活一年を終えた俺が女の子、尚且つ九重さんに声をかけていたんだとしたら、絶対忘れるはずがない。忘れるはずがないんだ。
「そうだったのか、ごめん。正直俺はそんな覚えてなくて」
「そうですね。覚えていなくても当然です。――でも、だからこそ好きになったんですよ。私だから声をかけたんじゃなく、ただ人を助けるために声をかけたんだって」
多分九重さんは俺の事を過大評価している。
別に俺はそんなできた人間じゃない。きっとその時の俺は気分が良かったんだろう。
ハマってるソシャゲで最高レアリティを当てたとか、推しが配信で自分のコメント読んでくれたとか。
ただそれだけだと思う。
「ごめんね。九重さんの告白には応えられないかもしれない」
恋は盲目になる、なんてテレビドラマでもよく聞く。
あくまで俺の完全な持論だが、『恋』とは無意識からなる自己催眠の一つではないかと思う。
――自分はこの人に恋をしているのだと。
具体性のない曖昧な感情を抱くこと自体、それは意識的な催眠術に近しいものだと思う。
「別に……いいですよ。……あなたが私を好きになるのが先か、私が催眠術をマスターするのが先か。どちらが先になるか勝負です」
「それ、結果的には一緒のような……」
でも、もしかすると九重さんにかかっている催眠術は俺が思っている以上に強いのかもしれない。
「あ、連絡先交換してもらってもいいですか?」
「は、はぁ……」
自然に女の子と連絡先を交換した。妹と母を除けば、異性との連絡先交換は人生初だった。
「ありがとうございます。これでいつでも凪斗くんと話せますね」
意志の強い九重さんの言葉と黒色の双眸に、俺はまた目を逸らすのであった。
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