第8話 「どうも」

 今朝、凪沙と出る前に話し合いを行い、基本的に俺の方が先に帰るということで決定した。

 凪沙が夕飯を作ってくれる関係で、スーパーに寄って帰ることが多いだろうから、という理由だ。


 俺が帰宅してから1時間ぐらい経っている。今日は凪沙も特に予定はないと言っていたので、そろそろ帰ってくる頃だろうか?


 いや、別に一人が寂しいから凪沙の帰りを待ち望んでいるわけではなく、お腹が空いたから早く帰ってこないかなぁって考えてただけだから!


 まぁ、もう少し生活音が欲しかったのは事実だ。


「静かだなぁ……」


 基本的にいつも母さんが家にいた。下からテレビを見てゲラゲラ笑う母さんの声がすでに懐かしく思えてくる。

 

 懐古していると、玄関の扉が開く音がした。


 凪沙が帰ってきたのだろう。覆面の大男とか現れたら、ちびっちゃう。


 リビングの扉が開いた瞬間、俺は凪沙の機嫌がすこぶる悪いことを悟った。

 ただいまの『た』の字もなく、無言でマイバッグを下ろし、食材を冷蔵庫に入れ始めた。


 殺気に近い何かを感じる。これなら大男が現れた方がマシだったかもしれない。

 帰宅したというのに言葉を一言も交わさないというのはおかしな話だが、地雷を踏まないように言葉を選ばなければならない。


「……おかえり」


 無難な挨拶なら大丈夫だろう。


「どうも」


 あー、怒ってるわ。やっぱり、怒ってるわぁ。


 おかえりに対して「どうも」で返すなんて、不機嫌なやつ以外いねぇだろ。

 

 シンキングタイム。ご立腹な理由は2パターンあるだろう。一つは学校で何か嫌なことがあったから。友達と喧嘩したとか、先生に怒られたとか。理由はわからないが、そういった凪沙の周りで起きたこと。

 もう一つは、俺が原因を作ったパターンだ。身に覚えはないが、俺が何か気づかぬうちに怒らせてしまった可能性は大いにある。昨日のこともあるし……。


 俺が悪いのなら謝ればいい。けれど、自分が何をしたのかわからないのだ。


 全く思い当たる節がない。


 俺が悶々と悩んでいると、最後の食材を入れ終えた凪沙はこっちを見て、ニコッと不敵な笑みを浮かべた。ゾッと寒気がするような、気味の悪さを感じる笑みだ。


「ご飯、7時からでいい?」

「は、はい」

「ふふっ」


 こえぇよ! 本当はめちゃくちゃお腹空いてるけど、なんも言えなかったわ!

 

 クラスの男子たちの会話をふと思い出した。


 凪沙が三大美人に数えられていて、トップクラスの人気を誇っていること。

 彼らに裏の顔を見せてあげたい。そして言いたい。「こんな怖い顔した人間が三大美人なわけないだろ!」って。


 リビングのソファで横になっていた俺は、横目で椅子に座る凪沙を見た。


 か、可愛いのかな。


 怒っていないときは可愛いのかもしれない。怒ってないときは!


 男子たちから人気だったし、客観的に見て可愛いのだろう。主観はノーコメントだけど。

 クラスの男子たちは凪沙推しが多かった。


「あ」


 思い出した。


 俺が原因の可能性が浮上してきた。あのことに対して凪沙が怒る理由もよくわからないけど、可能性があるとすればそのことしかない。


 坊主頭との会話の中で、凪沙派であることを全力で否定し、加えて春島先輩派であると言ったことを聞かれていたのなら、凪沙が怒っていても無理はないのかもしれない。

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