流れ星と神様
大塚
第1話
思いもよらぬ唐突さで、別れは訪れる。あまりにも長い時間を一緒にいすぎてしまったのだと思う。知り合ったのは高校生の頃。私は遅れてきた中二病を拗らせていて、クラスメイトの誰とも仲良くならず、休み時間は翻訳SFを読み(半分も理解できていなかったと今では思う)、登下校の道中はiPodで洋楽を聴く、そんないけすかない子どもだった。アイドルや国内ロックバンドの話題で盛り上がる同級生たちを軽蔑していた。私がいちばん前を歩いていて、おまえたちはそのずっとずっと後ろにいる。そんな風に思っていた。記憶を手探るだけで死にたい気持ちになってくる。
そんな私に声をかけてきたのが彼だった。
砂原は演劇部に所属していた。本当は役者をやりたいのだけど、一年生はスタッフからという謎ルールで音響担当になってしまったのだという。それで。
「なんかねー、センパイが書いた台本すごいハードル高くてさ。要求っていうかさ。半年前まで中学生だった俺にそこまで求めるかね的な?」
と、本来ならば部員以外には門外不出であるはずのコピー用紙をホチキスで留めた台本を私の机の上に広げて砂原は喚いた。
「このシーンとこのシーンの繋ぎの曲……俺が知ってるバンドどれ出しても駄目! 新鮮味がない! みんなその曲知ってる! 先が予想されてしまう! ってどんだけだよみたいなダメ出し食らって」
砂原は初めて私に話しかけてきたある秋の日の放課後を皮切りに、毎日のように私の周りをうろつくようになった。正直言って迷惑だった。早く消え去って欲しかった。だから1週間ほど経った頃、1週間経っても尚飽きもせずベラベラと部活のセンパイについての苦情を喋り続ける砂原に「ちょっとその台本見せて」と私にしては強めの口調で言って彼の手から台本を奪い、誰もいない夕方の教室で内容をざっと確認した。稚拙な台本だった。いかにも高校生がイキって書いた、血と汗と涙とバイオレンス、そして少しばかりの家族愛、そんな物語。
「帰る」
白い帆布の肩掛け鞄(これもまた私の過剰な自意識によって選ばれたもので、当時の私は皆が使っている紺色のスクールバッグを心底憎んでいた)を手に立ち上がる私を、砂原はうんじゃあねバイバイと言って見送った。まだこの空っぽの教室に何か用事が残っているのだろうか。どうでもいいが。
翌日、帰宅部の私は放課後ダラダラと図書室で時間を潰し、やがて部室に向かうために図書室前の渡り廊下を走る砂原を捕まえて秘蔵の海外ロックバンドのCD(もちろん未だ国内流通してない輸入盤だ、通販で買った)を数枚手渡した。
「えーっ。くれるの?」
「貸すだけだよ。こっちの2曲目と、ラストと、あとこっちのアルバムはたぶんどの曲も合うと思うから、聴いてみて」
砂原はありがとう狭野大好き! と言ってCDを大切そうに抱えて去った。文化祭で上演された芝居自体はまあそこそこの評価だったらしいが、砂原チョイスということになっている楽曲たちは大好評だった、そうだ。私は見に行ってないから知らない。
以降、砂原と私は友だちになった。砂原曰く、だ。砂原から私への距離が極端に近くなった。部活のない放課後は砂原も図書室にやって来て、私が読んだ(ということになっている)おすすめのSFを知りたがった。砂原にあらすじを説明するためだけに、私はアクセサリーとして、或いは武器として持ち歩いていた小説たちを真剣に読破する羽目になった。
「いやほらうちん家さー、ちょっと面倒臭いからさー」
砂原は言った。私は何も尋ねていないのに。
「どっか部活入っとかないと家に帰らなきゃいけないじゃん。だからめんどくて演劇部にしたんだけど。役者やりたいっていうのもまあ、テイ。なんでもいんだよねほんとは。でも狭野がいるなら帰宅部にすれば良かった。図書室面白いね」
良く喋る男だった。私は目の前の活字を追うので必死になっていて、彼の話をあまりきちんと聞いていなかった。
「演劇部辞めて帰宅部になろっかな」
でもその呟きだけは、無視することができなかった。
「良くないよ」
「え?」
「砂原、褒められてたじゃん。文化祭で。続けたほうがいいよ」
私は、自慢じゃないが褒められたことのない子どもだった。家には出来の良い兄と姉がいて、年の離れた末っ子である私が「うっかりできてしまった子ども」であるということを父も母も隠そうとはしなかった。だからというわけでもないだろうが、そんな私に両親は何も期待していないようだった。
砂原は。砂原は見た目の良い男だった。教室でも人気者だった。背が高く、切長の一重瞼の目と薄いピンク色のくちびるが印象に残る顔は大変な美男子というわけではないが整っており、誰とでも明るく喋り、足が早く、水泳の授業ではいつも水に沈んでいた。カナヅチなのだ。文化祭のあと、砂原に告白した女子は10人をくだらないと聞いた。
砂原はきっと褒められ慣れているだろう。そういう人生を送ってきたのだろう。私とは違う。だから今更演劇部で賞賛を浴びたところでどうとも思っていないかもしれないのだが──
「なんかさー。2年生になるとね、センパイに台本バトルを挑めるんだって」
「は?」
唐突な話題転換。図書委員さえいない図書室で(図書委員たちは委員会の会議があるとかで席を外しており、図書室の鍵は常連の私が預かっていた)、なぜか対面ではなく私の隣に腰を下ろしていた砂原が、私も先日読了したばかりなのだけど「買ってすぐ読み終わった」と大嘘をついて渡したSF小説の表紙を撫でながら呟いた。
「台本バトル?」
「そう。台本ってほんとは部長が書くんだけどさ、まあみんなにねその台本を配る前にバトルを挑みたいやつは部長に自分が書いたやつを提出することができるわけよ」
「……へー」
「でさあそれをコピーして部員全員に配ってね。もちろん匿名だよ。そんで投票するわけ次の文化祭でどっちをやるか」
「結構体育会系なんだな」
そんなコメントしか出なかった。どうでも良かったので。でも砂原は、唐突に私の首根っこを掴んでその鳶色の瞳で私の目を覗き込んできた砂原は、途方もなく真剣な顔をしていた。
「書いちゃおうかな! 台本!」
図書委員がいたらめちゃくちゃに叱られるレベルの大声だった。私は砂原を馬鹿だと思った。そんなおまえ……私は演劇の台本を読んだことがないけど、書いちゃおうかなで書けるようなものでは……。
「冬休みに入ったら今年が終わる前に書き上げるから、正月に狭野がチェックしてよ! 大晦日に持って行く!」
「なんで!?」
本当になんでなんだ。
「だって狭野いっぱい本読んでるじゃん! こないだの文化祭で俺が褒められたのだってほんとは違うよ、曲教えてくれたの狭野だもん」
「は、はあ……」
「SFがいい! SFを書く! だから狭野、読んでね」
拒否る隙すら与えてもらえなかった。
翌年。
文化祭で上演されたのは砂原の台本だった。私は別に、特にこれといった手伝いはしていない。ちょっとした誤字脱字とか、キャラクターの名前が間違ってるとこなんかを指摘したぐらいだ。砂原には才能があったのだ。
高校生活を終え、気付けば私は大学に進学していた。中二病はどうにかなっていたが、人見知りは相変わらずだった。でも、第一志望の大学に進むことができたので良いとする。
砂原は進学せず、某有名劇団の研究生になった。そして砂原は──毎日毎朝、原付で私の家までやって来るようになった。
「狭野さー、一人暮らしとかせんの? 学校遠いでしょ」
「検討している」
「寮とかないの?」
「あるけど、他の学生がたくさんいる場所で寛げる気がしない」
「ホーン……」
私を正門から少し離れた交差点で降ろし、そんじゃ今日もお互い頑張りましょー、と言って去っていくのが砂原のルーティンになっているようだった。ああ、私の日常にもなっていた。私たちは友だち、だったので。
私が大学を卒業するより先に、砂原は劇団を立ち上げた。研究生という立場はそのままに、外部で自由にできる場所を作りたいと交渉をしたらしい。そんな無茶が受け入れられるのだからやはり砂原はすごい。才能があるのだ。
「そんでね狭野くん」
成人式を終えた夜だった。成人式には私も砂原も不参加だった。私には砂原以外に会いたい人間がいなかったし、砂原は──彼には彼の事情があった。踏み込みはしない。
私たちはチェーンの居酒屋で並んで酒を飲んでいた。私にとっては初めてのアルコールだったが、砂原は酒も煙草も慣れたものという顔をしていて、僅かではあるが隔絶を感じた。
砂原が私を「くん」付けで呼ぶ時は、何か面倒臭い頼み事がある時だ。
「また俺の台本読んでくれない?」
「は?」
高校以来のお願いだった。呆気に取られる私に砂原は早口で言った。研究生をきちんとやり終えて正式な劇団員になるまで待てなかった俺は俺のやりたいことを俺が好きな人たちとやりたい一刻も早くやりたいまだハタチだろと言われればそれまでだけどもうハタチでもあるんだ俺には時間がないんだ狭野頼むよこんなことおまえにしか頼めない頼む狭野俺の神様になってくれ。
神様、の意味がまるで分からなかった。それはつまり、私の感想でおまえの台本の内容が変わってしまうということなのか? ものすごくプレッシャーを感じるポジションなんだが、私はおまえにとっていったいなんなんだ? 劇団員になれとでもいうつもりか?
「なんなくていい……狭野は狭野でいてくれればいい。俺のこと見捨てないでくれれば、それでいい」
私は、私のたったひとりの友だちの頼みを引き受けることにした。
砂原
私が台本を読まなくても、ただひとりで完結している天才だった。
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