パパは何でも知っている!

Jack Torrance

パパは何でも知っている!

僕は自分の部屋のベッドの上で寝転んで図書館で借りて来たジェイムズ ヤッフェの『ママは何でも知っている』を読んでいた。


部屋のドアをコンコンとノックする音が聞こえた。


「パパだ、入っていいか?」


僕は「いいよ、パパ」と言ってパパを部屋へ請じ入れた。


パパはYシャツの首元のボタンを外してスラックスに裸足だった。


右手にはクアーズのロング缶を手にしている。


パパは部屋に入ってきて僕のベッドに腰掛けた。


クアーズを一口呷ってベッドサイドテーブルに置いた。


僕も起きてパパの横に座った。


本に夢中になってたから気付かなかったけどチャーリー ブラウンの壁掛け時計をみると10時前だった。


多分、パパは残業で今帰って来たばかりなんだろう。


僕は聞いた。


「どうしたのパパ」


「いや、ママが最近お前の様子がおかしいからちょっと話してくれないって言っててな。ママが何だかジェイクは最近元気が無いとかママは言ってる。パパも最近忙しくてずっと残業で日曜も駆り出される事もあったからお前とゆっくりこうやって話してなかったしな」


「うん、そうだねパパ」


パパはクアーズを一口呷って手の甲で口を拭った。


「何の本を読んでるんだ?」


「ジェイムズ ヤッフェの『ママは何でも知っている』だよ。パパ、この刑事ママに何て呼ばれてるか知ってる?」


パパは浅くゲップを漏らして言った。


「ああ、知ってるぞ。デイビーだろ。いい歳こいたポリ公の兄ちゃんがな。此奴は自分で俺は私服刑事でスラタリー警部の右腕って言ってるから俺は未来の警部補候補なんじゃないかなって思ってる。ママが45年前に18の時に結婚したって設定になってるからポリ公の兄ちゃんは40前後ってとこか。ポリ公の兄ちゃんはいつも事件をママに解決してもらっているだろ。そもそも俺は、このデイビーは刑事の素質があんのかなって疑っちまうんだ。それならママがポリ公になれってえんだよな。いい歳こいた兄ちゃんがベイビーなんて呼ばさせているんだからな。ママにとっちゃあデイビーはいつまでもベイビーなんだろうよ。此奴はきっとマザコンだぞ」


僕はクスッと笑った。


パパは博識だ。


僕は遣り掛けのクロスワードを机から持ってきてパパに分らない所を聴いた。


「2015年公開のジョニー デップ主演でデップが演じた実在のマフィアは?」


パパはちょっと考えて答えた。


「ジェームズ“ジョセフ”バルジャーだな。1929年9月3日アイルランド系アメリカ人の両親の間にボストンのローチェスターで生まれている。ハウィー ウィンター、ジェームズ マクリーン達と50年代にウインターヒル ギャングという組織を立ち上げている。マサチューセッツ州上院議長を務めたビリー バルジャーはジェームズの弟だ。実在のマフィアもんの映画ならショーン ペンがミッキー コーエンを演じた『L.A. ギャング ストーリー』なんかもおもしろいぞ。ミッキー コーエンは1913年9月4日ニューヨーク市ブルックリンで生まれてな、プロボクサーを目指してたんだけどシカゴ アウトフィットの用心棒になってな…」


「パパ、、パパのマフィア談義はもういいよ」


「おっ、そうかジェイク」


パパはアル カポネ、ラッキー ルチアーノ、サム“ムーニー”ジアンカーナなどのマフィアのレジェンドの話になると延々と語り続ける。


「ディランの“ジョーイ”は、ニューヨークの5大ファミリーの一つプロファチ一家の殺し屋ジョーイ ギャロの事を歌っているんだぞ」


「パパ」


僕はパパの目を見て睨めつけた。


「解った解った、マフィアの話は口にチャックだ」


僕は次のクロスワードの分かんない所を聞いた。


「1908年ノーベル化学賞受賞者は?」


「アーネスト ラザフォード、1871年8月30日ニュージーランドの南島の北端にあるブライトウォーターに生まれる。南島最大の都市クライストチャーチにあるカンタベリー大学に入学。1895年ケンブリッジ大学付属のキャベンディッシュ研究所に留学した。1898年カナダのモントリオールにあるマクギル大学教授に就任。1900年に同じマクギル大学のフレデリック ソディと共に元素の崩壊と放射性物質の研究を進めた。その功績が認められノーベル科学賞を受賞した」


僕は、そのうんちくには別段興味を示さなかったので「ふ~ん」とだけ聞き流して、その名を記入した。


パパが僕の反応に肩透かしを喰らったようにきょとんとした。


「じゃあ、パパ次いくよ。」


パパが代打専門のベンチウォーマーよろしく!


よし来た監督といった感じで身を前に乗り出しクアーズを一口呷って身構えた。


「ルート66を最初にマザーロード(母なる道)と言った人は?」


パパは即答した。


「スタインベック、言わずも知れたジョン スタインベックだ。1939年『怒りの葡萄』の作中でスタインベックが書いたのがマザーロードという言葉の初出だ。1902年2月27日カリフォルニア州モントレー郡サリナスで生まれた。スタインベックは姉2人、妹1人の4人兄妹で嫡男だ。『怒りの葡萄』を出版した翌年のピューリッツァー賞を『怒りの葡萄』で受賞している。この時代に全米図書賞も設立されてたら二冠達成は間違いなかっただろうな。1962年にノーベル文学賞を受賞している。まあ、ノーベル文学ってもジョイス“キャロル”オーツが未だに受賞してねえんだからちょっと目を疑っちゃうよな。ジェイク“怒りの葡萄”は、もう読んだか?」


「まだ読んでないよ」


パパがそりゃいかんといった表情で顔を顰めた。


「『怒りの葡萄』と『二十日鼠と人間』はスタインベックの中では必読だぞ」


僕は了解パパといった顔で笑みを返した。


「じゃあパパ次のは分かるかなぁ~」


「パパも人間だからな。知らない事も沢山ある。人間てのは地球上の、いや、全宇宙の1%の事でも知ってたらアインシュタイン級の知能指数の持ち主だ。アインシュタインだってパパみたいにマフィアの事は詳しくないぞ」


「マスル ショールズのフェイム スタジオ」の三代目リズムセクションの名は?


パパは間髪入れずに即答した。


「フェイム ギャングだ。ドラムのフリーマン ブラウンは黒人ドラマーの隠れた逸材だ。マスル ショールズ、フェイム、サザンソウルを語る上では外せない職人だが詳しいプロフィールはあんまし公表されてない。ナッシュビル一のハウスバンド、インペリアル セヴンのドラマーとして活躍してたんだ。このインペリアル セヴンのリーダーがジョニー ジョーンズと言ってな。キング カジュアルズってバンドも始めるんだ。この二つのバンドにはジミ ヘンドリックスの盟友ビリー コックスもいてな。おっと、話が全然違う方向に行っちまった。フェイムを立ち上げたリック ホールは人脈が凄いからな。色んなレーベルがフェイムの音を求めてリック ホールの門を叩いた。ウィルソン ピケットの“ヘイ ジュード”は名カヴァーで本家を超越してると俺は思ってるんだ。ドゥウェイン オールマンの泣きのボトルネックは何度聴いても落涙もんだ」


僕は少年野球の練習に連れて行ってもらう時にパパのホンダの中でよくパパの好きな音楽を聴いている。


パパのマフィア好きはどうかなぁ~って思うけどパパが聴いてる音楽はイカしてる。


僕はフリーマン ブラウンと記入してパパが列挙した名をメモした。


「ありがとう、パパ。後は自分で解くよ。パパはこんなに物知りなのに何で訪問販売のセールスマンなんて仕事をしてるの?」


僕はパパが訪問販売のセールスマンって事は知っているけど何を売り歩いてるかは知らなかった。


パパがクアーズを手に取り天を仰いでグビグビと流し込んで飲み干した。


大きなゲップをしてパパが言った。


「そうだな、性に合ってるからかもな。本気を出したらそこらの大学の客員教授くらいは務まるかもな。それよりも膀胱が詰め物をされたターキーのようにパンパンだ。ジェイク、パパはちょっと小便に行ってくる。


パパがアリーサ フランクリンの“チェイン オブ フール”を口遊みながら部屋を出て行った。


3分くらいしてパパがクアーズのロング缶を手にしてエディ フロイドの“ノック オン ウッド”を口遊みながら戻って来た。


パパは滅茶御機嫌だ。


ベッドに腰掛けるとパパは小気味よい音を立ててクアーズのプルタブを引いた。


二口くらい呷ってベッドサイドテーブルにクアーズを置いてパパが聞いて来た。


「ところでジェイク、なんで最近元気が無いんだ?分かったぞ、さては女の子に振られたな、図星だろ。あの子だろ、あー何て名の子だったかなー、あっ、思い出したぞ、ニーナ アイリッシュって子だ。そうだろ、ジェイク」


僕はぎくりとした。


夜中にオレンジジュースをこそっと飲みに行った時に馬鹿でかいドブネズミと鉢合わせになった時のように。


僕は先週ニーナに告白した。


あの日は土砂降りの水曜日だった。


「ニーナ、ずっと前から好きだったんだ、僕と付き合ってくれないかな」


ニーナは申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい、ジェイク。あなたは良い人だけどタイプじゃないの。だって、あなたってトム クルーズやラッセル クロウみたいに足が短いんですもの」


ガーン!


ショックだった。


僕は自分の足の短さを自覚した事がなかった。


だから僕は浅いライト前ヒットでも一塁でアウトになるんだ。


だから僕は負け試合の敗戦処理要員として重宝されているんだ。


僕は土砂降りの雨の中ずぶ濡れになって帰った。


シャワーを浴びて稀釈されていないカルピスをストレートで呷った。


それは大人の男がロックでウイスキーを呷るような感じだった。


僕は思った。


カルピスは薄めて飲む物だと。


翌日、学校に行った。


転校性の女の子が来た。


子役時代のダコタ ファニングのように可愛い女の子だった。


僕は時めいた。


そして恋した。


僕の失恋は一日で消滅した。


太陽が地平線に沈むように辛く悲しい失恋は忘却の彼方に沈んだ。


失恋の良薬は新しい恋だと僕は11歳にして学んだ。


だから僕はニーナの事で落ち込んでいなかった。


だけどパパが僕がニーナの事を好きだったのを知ってたなんて。


流石パパ。


パパは何でもお見通しだ。


だけど振られて元気が無い訳じゃなかったから僕はパパに行った。


「違うよパパ。確かにニーナの事で悩んでた時はあったけど、それと元気が無いのは違うよ」


パパは、あれっ違ったかと少し眉根を寄せて思案して言った。


「解ったぞ、ジェイク、パパの車のドアが凹んでるの、あれはジェイクがやったからだろ。それで、お前は自責の念に苛まされて悩んでいるんだろう。パパは怒っていないぞ。正直にお前が謝ってくれなかったのはちょっと悲しかったけどな」


ぎくり。


バレてる。


あれは2週間前。


少年野球仲間で同じ敗戦処理要因の近所のロビンとキャッチボールしてて手元を誤ってパパのホンダにボールをぶつけてしまった。


まさかバレてるとは!


恐る恐る僕は聞いた。


「何でパパ知ってるの?」


パパは笑いながら言った。


「パパは、あの日非番だったろ。ベランダで一服しようと外に出たら目撃してしまったんだ。ジェイク、お前の大暴投をな。パパはあちゃーって思ったけどな。何故お前がいつも試合でベンチを温めているのかを想い知った瞬間だった。車の凹みよりも、そっちの方がショックだった。それに二重のショックがお前が正直に名乗り出て来てくれなかった事だけどな」


ここでもパパは知っていたのか!


若干は良心の呵責には苛まされたけど元々パパのホンダはポンコツでバンパーも凹んでいたし一部塗装が剥がれ掛かっていたので然程気にしていなかった。


でも、ここで反省しているような素振りを見せとかないと来月は小遣いがカットされるかも知れない。


僕はハーレイ“ジョエル”オスメントばりに厳粛に猛省しているかのように演じた。


「パ、パパ、ごめんなさい。僕、パパに怒られると思って言えなかったんだ。パパ、本当にごめんなさい」


パパはテキサスのバーで一杯引っ掛けて陽気になっているロデオボーイのように豪快に笑い出した。


「おい、ジェイク、パパはそんなちっちゃな事で怒ったりしないぞ、ガハハハハ。よく正直に謝った、偉いぞジェイク。それでこそパパの子だ。よーし、これでジェイクのお悩みはパウっと解決だな、ガハハハハ」


パパが僕の頭をくしゃくしゃにして言った。


我ながら名演技だったとほくそ笑み小遣いカットは免れたとほくそ笑んだ。


「パパが飲み掛けのクアーズと空き缶を持って立ち上がった。


「よし、ジェイク、お前のお悩みもパウっと解決したところでパパは風呂でも入って寝るとするか」


僕は今にも泣き出しそうな空模様のように表情を曇らせて言った。


「パパ、実は僕が悩んでるのは今パパが言った事じゃ無いんだ」


パパが『リーサル ウェポン』でジョー ペシの愚行を聞いて「何だってー」とオーバーリアクションな演技をするダニー グローバーのように言った。


「何ィーーー!」


パパは、しかつめた顔になってまたベッドに座った。


飲み掛けのクアーズをゴクリと飲んで僕の目をじっと見た。


「僕見たんだ、ママが家の前の路で車の中で男の人とキスしてたのを」


パパの表情が怒りと悲しみの中間のような名状し難い顔付になった。


パパはクアーズを一気に飲み干し空になった缶を掌で握り潰した。


アルミ缶がへしゃげる音が静まり返った僕の部屋に虚しく響いた。


物が壊れるのも人の心が壊れるのも同じような感覚なんだなと僕は思った。


パパがお道化て言ってみせた。


「その車、黒のBMWだっただろ」


僕はえっ、何でパパ知ってるのと思った。


「其奴はママが働いてる弁護士事務所の弁護士アラン クイニーって奴だ。お前には見せたくなかったな、ママと其奴がキスしているところを」


パパは煮え湯を呑まされたような表情で続けた。


「ママとそのアランって男は2年前からできてる。パパも2年前に怪しいと思って私立探偵に調べさせたんだ。やっぱり黒だった。今日は職場の飲み会とか残業とか言って帰りが遅くなる事がママは多くなっただろう。それにママは今までオーデコロンなんか使わなかったのに急に使うようになっただろう。お前も11になるから多少は理解出来るだろう。ママがオーデコロンを使うようになった理由はセックスの臭いをカモフラージュする為だ。男と女が媾うと一種独特な臭気を発するんだ。だからママはその臭いを消す為にオーデコロンを使い始めたんだ。パパの中のシックスセンスがママの浮気を察知したんだ。それにしても、あのアランって言うエロ弁護士の野郎。彼奴は離婚調停専門の弁護士らしいんだ。依頼人のパートナーの浮気調査を抱え私立探偵にさせて慰謝料を踏んだくれるだけ踏んだくってる悪徳弁護士だ。てめえの事を棚に上げて浮気した野郎からはぼったくってるんだからな」


僕は2年も前からママがパパを裏切ってふしだらな夜のセックスライフを満喫してるなんて知る由も無かった。


でも、僕は何でパパはそのママの不貞を放置しているんだろうと不思議に思った。


僕はワトスン博士がホームズに種明かしをせがむようにパパに尋ねた。


「どうしてパパはママと離婚しようとしないの?」


パパは邪魔者を始末した後のマフィアの大ボス気取りで邪悪な笑みをにじませて言い放った。


「ジェイク、そりゃお前、ママとそのエロ悪徳弁護士から慰謝料を踏んだくれるだけ踏んだくるつもりだからじゃないか、フフフフフ。ママの方がパパより稼ぎが多いからな。それに、お前の養育権もパパの物になるからだよ」


パパは、これから巻き起こる離婚調停を有利に進める為に余念が無い。


冷静沈着にママとエロ悪徳弁護士からお金を頂戴し僕をパパの後継者として引き取る気満々だ。


でも、僕はパパの発言に疑問を呈した。


「パパの稼ぎはママより少ないってパパは何の訪問販売のセールスマンをしてるの?」


パパは悪びれもせずに堂に入ったような感じで返答した。


「大人の玩具」


えっ?


パパみたいな博識で知識人だったら大百科事典なんかを売り歩いてるんじゃないの?」


パパは目配せしながら言った。


「ジェイク、パパみたいに大人の玩具を一軒一軒売り歩いていたら事の成り行きによっては人さまの奥さんと一戦交える、いや、媾う事だってあるんだ。俗に言う実践販売って奴だな。パパは今の大人の玩具を売り歩く仕事を始めてから入社1年目で販売実績No.1に輝く事16年連続でその座を死守している。夢のような人様の奥さんともヤリまくったが60代70代80代の萎びた奥さんともヤリまくった。まあ、その年になると奥さんってよりも未亡人ってのが多いけどな。そん時は従軍慰安夫って気分になるけどな。パパは海千山千だ。パパは人様の奥さんのあんな所を擦ってやったりこんな所を摘まんでやったりして奥さん達を喜ばしてやっている。嘗めたり吸ったりとそりゃもう大変だ。パパは奥さんの感じる所を何でも知っているんだ。これは人様に教わった訳じゃ無い。自分で腕を磨いて技術を習得したんだ。パパはポルノ男優にも負けないテクニックを心得ていると自負している。腕に職を付ければ食いっぱぐれる心配は無いぞ。分かったな。ジェイク。だからな、ジェイク、パパはママよりも先に人様の奥さんと寝ている。ジェイク、これは離婚調停中には絶対に口外するんじゃないぞ。パパが訴訟で負けちまう。パパとジェイクは、ずっと一緒だ」


パパはしたり顔で下唇から上唇までペロリと舐め回し満面でウインクを投げて寄越した。


「ジェイク、パパとずっと一緒にいてくれるな?」


僕はパパの圧力に圧倒されこくりと頷いた。


「ジェイク、じゃあ、また明日な。良い夢見ろよ」


パパは僕の頭をくしゃくしゃにしてクアーズの缶を掴んで部屋を後にしようとした。


部屋のドアを出る時にパパはプッと放屁をして出て行った…

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