好きな漫画家が死んだらしい

秋野凛花

1

 誰もが持つ薄い板の前で、私はただ立ち尽くしていた。


『私は西ヶ崎麗子にしがさきれいこの兄です。昨日、妹である西ヶ崎麗子が急逝したことをお知らせしたく──』


「……は?」



 ──


 私は某大学に通う大学生だ。いわゆる「オタク」ってやつ。版権のものはもちろん、一次創作も大好きだ。推し絵師の描いたものは爆速いいね&リツイート。そして誤字脱字パーティーの感想を送信。それが私の日常。

 中でも、西ヶ崎麗子は私の一番の推し絵師だった。元々は某ソシャゲの二次創作イラストをよく描いていたんだけど、最近は自創作を始めて、その話を延々としている。彼(彼女?)は、完全に一次創作メインにシフトしたらしい。二次創作をしなくなったから、フォロワーも減るかと思いきや、西ヶ崎麗子のイラストの持つ力はすごいのだろう。多少は減ったものの、フォロワー数はほとんど変わらなかった。

 かくいう私も、その一人。

 ああ……西ヶ崎麗子さん、一生貴方のイラストを推します……!

 西ヶ崎麗子のイラストは、すごい。何度でも言おう。すごい。特にすごいのは、漫画だ。

 一目でわかる。読みやすい。コマ割り、会話のテンポ感。読む人がどんな順番で読んでいくか、どうすれば読んでもらえるかがわかっている。キャラも魅力的。ストーリーも面白い以外の何者でもない。それは西ヶ崎麗子の弛み無い努力がそうさせているのだろう。

 いつか西ヶ崎麗子は漫画家になる。

 西ヶ崎麗子は、この世界に舞い降りた天才。


 そんな、西ヶ崎麗子は。


 SNSで、兄と名乗る人によって、亡くなったのだと、そう、知った。



「えっ………………………………え、えっ、は、え? はぁ? …………えぇっ!?」

 電車の中、戸惑いと驚きと悲鳴の混ざった私の声に、周囲の人が一斉に訝しげな視線を向けてくる。しかしそんなことはどうでも良かった。問題は手の中のこの、文面だ。

 西ヶ崎麗子が、死んだ?

 ちょっと何言ってるかわかんない。

 何度瞬きをしてみても、スマホを再起動しても、文面は変わらなかった。私はやがて電源を落として、ただ、呆然とする。

 信じられない。

 西ヶ崎麗子が、死んだ。

 あの天才が、死んだ。

 昨日も漫画を上げていたのだ。一日に一ページを載せます! なんて張り切っていたのだ。そして私はそれを全裸待機していたのだ。あ、いや、服は着てた。風邪引いちゃうからね。

 そんなことはどうでもいいの。めちゃくちゃ続きが気になるところで終わってたのに!? もうあの神みたいな作品の続きが読めない? いや、それどころか、これから西ヶ崎麗子の漫画を読むことが……出来ない……?

 …………。

 死んだ。

 私はこの瞬間、死んでしまったのかもしれない。もう西ヶ崎麗子の作品が読めない。それは神に銃口を向けられて満面の笑みで「死ね」って言われてるみたいなもんだ。喜んで死んでやろうか、オイ。

 しばらく電車の中で呆然としていた。とっくの昔にもう周囲の人は私に興味を失っていて、私が降りるべき駅は通り過ぎていて。

 だからだろうか。

「あ」

 ふと頭に浮かんだ考えは、この世の何よりも、正しいものである気がした。

「会いに行こう」


 ──


 西ヶ崎麗子に会いに行こう。

 西ヶ崎麗子に線香を上げよう。

 ついでに、作品の続きがもしあったら読ませてほしいなー、なんて。……いや、そんなの冗談に決まってるでしょ!? 不謹慎な……。いや、でも、向こうがどうしても、って言うなら……ね?


 まあ、そうと決まれば早かった。私は、「好意を抱いた人に徹底的にストーカー検定」師範(自称)だ。というのも、元カレと別れた理由、「どこ行ってもどこにでも居るし常に見張られてるみたいでウザイしキモいし怖い」、だそう。だって仕方ないじゃん。好きなんだから、今何してるか、っていうのは逐一知りたいんだもん。ていうか、簡単に特定させちゃう感じにSNSを使う貴方も悪い。

 また話がそれた。それはいいんだって。とにかく私は、に西ヶ崎麗子のSNSを辿っていく。近所の店で飲んだおしゃれな飲み物の写真、日常の発言、それらを分析、解析して、生活圏はどこらへんかを割り出す。私がホワイトSNS警察なら、恐らく全SNSでの被害者を撲滅することができるだろう。やんないけど。

 あらゆる知識と、技術と、何より執念を用いて、西ヶ崎麗子をあらわにしていく。

 やがて、一つの場所が割り出された。恐らく家はここだ。よーし。

 もう大学の授業があるとか知らない。大学の教授に休む、と連絡し、友達に今度ノート写させて! と頼み、私はそのまま電車に揺られていくのだった。


 ──


 西ヶ崎麗子の家は、そこまで遠くなかった。

 電車を乗り継いで、せいぜい二時間ほど。遠すぎなくて良かった。いや、例え外国だとしても行くつもりではあったけど。帰るお金があったかはわからない。ちなみに今は、帰るだけのお金は残っている。

「……」

 私は目の前の家を見上げる。そこは一軒家だった。ごく普通の、平凡な家。てっきり大豪邸にでも住んでいるんじゃないか、なんて思った私は少し拍子抜けだった。

 でも、清涼感のある家だし、普通のはずなのに、なんか、おしゃれ。何となくそう思った。

 私は大きく深呼吸をし、チャイムを押す。早る鼓動を抑えながら、私は誰かが出てくるのを待った。どうしよう、緊張する。遂に、遂に来てしまった──。

『──はい、どちら様ですか?』

 そこで声が聞こえる。男の人の声だった。私は思わず「ひゃいっ!?」と情けない声を出して、そこで自分が何から喋ろうか全く考えていなかったことに気がつく。一生の不覚。あっという間にパニックになって、私は。

「あっ、あのっ、西ヶ崎麗子さんですか!?」

『いえ、違いますが』

 冷静にすぐに返された。当たり前だ。西ヶ崎麗子は死んだのだ。じゃあ、と、私は言う。

「西ヶ崎麗子さんの、お兄さん」

『はい、そうですよ』

 インターホンから聞こえる声は、あっさりと私の言葉を肯定した。

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