学校うさぎの恋

たけざぶろう

学校うさぎの恋

 ボク、うさえもん。


 小学校のうさぎ小屋に住む、学校うさぎ。と言うらしい。

 トモダチのマナちゃんが、前に言っていたんだ。


 ボクの一番のトモダチはマナちゃん。

 あの女の子がいちばんボクに優しくしてくれるし、ボクも優しくしてあげる。


 そしてボクは今、恋をしている!ドキドキしている!

 たまに学校の外を通りかかる子。

 黒い車に揺られて、顔を外に出すんだ。その可愛らしさったら!

 ボクは好きになってしまった。名前も知らない、あの子を。


 今日も通りかかるかも知れない!

 だからボクは今日も金網にかじりつくんだ。


***


「こら、うさえもん、金網をかじらないの」


 私はそう言って、校門の方を向き金網にかじりつくうさえもんを抱きあげた。

 何を見ているのだろう? うさえもんの視線を追うと、ちょうど私のママが校門の前を通りかかるのが見えた。

 こちらに気づいたのだろう、手をひらひらと振ってくる。

 また、お友達とお茶をしに行くのかな? 私は苦笑しながら手を振り返して、再び箒を手に取った。


 入学式の時期は過ぎ、見頃をとうに過ぎた桜の花びらがウサギ小屋まで舞い込み、床に花びらが散らばっている。

 一人でこれを掃除するのは、なかなか大変だ。

 四年から六年まで一人ずつ選ばれる飼育委員。六年生のタケシ君は、最近お世話に来てくれない。四年生はまだ飼育委員が決まっていない。


 だから今は私ひとりで活動中。

 がんばらなきゃ!


 気合を入れていると、向こうから小さな影がこの小屋に向かってくる。誰だろう。

 箒を置いて小屋の外に出ると、男の子がトレイに食材を乗せて歩いて来た。

 キャベツにニンジン、レタス。それに、特別に用意してもらっているチモシー牧草。


「運んでくれて、ありがとうね!あなたは、新しい飼育委員の子?」


 私よりも小柄な男の子。

 色白で、少しやせていて。でも、綺麗な肌と、ぱちりとした目。

 お日様を反射する滑らかな髪に少しドキリとした。


「うん、いや、はい。僕は、四年生の、調月つかつきのぞみって名前……です」


 あまり上級生と接したことがないのか、たどたどしくて可愛い。

 私なんて、全然気にしなかったのに。


「私の名前は宇佐美うさみまなだよ!友達と話す時みたいに普通に話してくれるといいな」


 そう言って、ニコリと笑いかけた。

 少しおどおどした可愛い下級生を見ていると自然と笑顔が出てくる。それも飛び切りの。

 私も本当は引っ込み思案で、活発になるのはウサギ関係の時だけだと良く言われるのだけど、何故だろう?この子にはすごく普通に話せる。


 のぞみ君と一緒にウサギ小屋に入り、掃除の続きと、あとウサギ達にごはんをあげる。

 みんなごはんは楽しみで、すごい勢いで食べにくる。その中に、小さいのに他の子を押し分けて食べにくる元気な子が一羽。うさえもんである。


「この子、すごい元気だね……」


 のぞみ君が少し呆れたように話す。


「そうなの。まだ一歳だけど、すごい元気。名前は、うさえもん、と言うんだよ」

「うさえもん?なんか、変わった名前だね?」

「でしょ?去年、他校から生まれた子を引き取って飼うことになったの。今年六年生のタケシ君ていう飼育委員の子が名前をつけたんだ。六年生になってから全然来てくれないけどね、タケシ君」

「それはひどいね。でもこの子、身体小さいのに本当にすごいよ。何度、押し戻されても、ぐいぐい来ている」


 そう言って、微笑んだのぞみ君の横顔に、再び私はドキリとする。

 なんだろう? 少し戸惑うけど、悪い気分じゃない。

 いや、むしろ、楽しい?


「それじゃこれを、うさえもんにあげてみたら?」


 そう言ってニンジンを手渡す。うさえもんの好物。

 ニンジンを手に、おそるおそる近づくのぞみ君を見たうさえもんは、後足を持ち上げて、ダン!と踏み鳴らした。


「わっ!?」

「ふふ、驚いた?この、足でダン、てやる行動を、スタンピングって言うんだよ。

 驚いた時とか、怒ったとき。嬉しい時にもやるんだよ」


 そう言うと、のぞみ君は少し目を丸くした後で、面白そうにニコリと笑う。

 その笑顔を見た私の胸は、またまたドキリと跳ねる。

 やだ、もう! どうしたのかな。


 その後も、普段はおしゃべりが苦手なはずの私は、するすると会話が続いた。大好きなウサギの話だからかもしれない。


「それだけじゃないんだよ?ウサギさんは喜ぶと、真っすぐ上にジャンプするんだよ?

 あと、とっても楽しい時は、ジャンプしながら体を空中で捻ったりするの。

 なかなかやらないけどウサギさんと仲良くなれば見られるかもしれないよ!」


 涼やかな風に桜の花びらが舞い散る中で、タケシ君が来なくなって良かったかも知れないと、まなはこっそりと思い始めていた。


***


「あら、いま帰りなの?」


 コロコロと黒いカートを押しながら、ママがニコニコして近づいてきた。

 夏の盛りで暑いはずなのに、黒い長袖で日焼け対策はばっちりだ。


「うん、休み中もお世話しないといけないからね、ウサギさんは」


 今はもう夏休み。それでもお世話は続く。

 掃除やごはんだけではない。暑い日は打ち水したり、凍らせたペットボトルを置いたり、場合によっては先生の家に避難させてもらったり。

 先生の顔は少しひきつっていたけど、仕方がないのだ。


美小兎ミコトは元気かな?」


 カートのフードを少し開くと、中から冷気が漏れ出してきて、ふわふわの白い毛にグレイの模様が入ったママの愛兎、美小兎ミコトが顔を覗かせた。保冷剤で熱気対策はバッチリだ。


「学校ウサギも可愛いかも知れないけど、美小兎ミコトちゃんは飛び切りでしょう? やっぱり、純血の子だし……」


 時々漏れてくるママの純血統好き。

 いいけどね、うさえもんも、とっても可愛いんだよ?


「あの子とは一緒に帰らないの? いつも一緒にウサギ小屋を掃除している可愛い子がいたじゃない? 今日もウサギのお世話をしてきたのでしょう?」


 ママが話題を変えてくる。興味津々という顔で目が輝いている。

 痛いところを突かれた私は、ぐ、と言葉に詰まる。


「……いいの。のぞみ君は、女の子に人気があるんだし。私は年上だし、体ものぞみ君より大きくて可愛くないし。おしゃべりだってウサギのことしか話せないし。相手にしてくれないよ」


 それを聞いたママは、少し困った顔をする。


「変なことを気にするのね。まなちゃんもとっても可愛いわよ? ほら、美小兎ミコトちゃんを口実に、お家に招待してみたら?」


 ……やめて!


 私は胸の中で叫ぶ。

 そんなことを言って、変に思われたら。つまらないと思われて断られたら。特別に思っていることが相手にばれてしまったら。

 そして、ウサギのお世話するときにうまくしゃべれなくなってしまったら。

 私は、とても、耐えられないの!

 そんなことになるくらいなら、ずっと今のままでいい!


「ごめんね、ママ。本当に、そういうのじゃないから」


 言葉少なにそう言って俯く。


 黒いカートをコロコロと押しながら、ママは困った顔をしながらも無言で、私と一緒にお家に向かって歩いていった。


***


 月がとても綺麗だ。


 金網越しに空を見上げながら、ボクはまた彼女のことを思い出す。

 しばらく見なかったけど、最近また通りかかり、車から顔を出してくれる。

 ボクは、その顔を見るだけで胸がドキドキしてしまう。


 直接会ってお話しがしたいなあ。

 たまに見る彼女は遠くて良く見えない。

 もっと近くで話をしたい。すりすりしたい。ぺろりと舐めてあげたい!

 ああ、そんなことができたら、どんなに嬉しいだろう。


 それにしても。

 マナちゃんの様子が最近少しおかしい。

 嬉しそうに笑っていたかと思うと、辛そうに顔を下に向けていることもあるんだ。

 ノゾミくんも少し困っていたような。

 でも、ノゾミくんにはマナちゃんの他に女の子の友達がいて、たまに外を一緒に歩いている。それを見るマナちゃんの顔が、本当に寂しそうで。


 もっと仲良くすればいいのに。

 すりすりしたり、ペロペロしたり、お話しをしたりさ!

 そうだ、マナちゃんはきっと意気地がないに違いない。だから、そうしたくてもできないのかも。

 それならボクが少しお手本を見せてあげないといけないかな!


***


まなちゃーん! 今日もウサギ小屋? たまにはボクの相手もしてくれないと寂しいよー!」


 そう言いながら私に抱きついて来たのは、友達のくるみちゃん。

 小柄で、明るくて、お話しもうまくて、情報通で、とてもいい子。


「ごめんごめん、でも生き物だからさ、お世話をしないといけないのだよ」

「そんなこと言って~。同じ飼育委員の一学年下の男の子目当てなんじゃないの~?

 あの子、可愛いよね!」


 そう言いながら、ころころと笑う。

 うう、彼の話題は心に刺さるから止めて欲しい。


「そんなんじゃないってば!何回言わせる気なの!」

「ふふーん。それはどうかな?顔はそうは言ってないぞ?でもさ、あの子って男子の友達からサッカークラブに誘われているって聞いたけど、大丈夫?」

「……え?」

「あの子、華奢そうに見えて運動神経もいいらしくてさ。飼育委員を辞めて一緒にサッカーやろうって誘われているらしいよ?」


 一瞬、目の前が真っ暗になった。

 え? え? え?

 そんな話は知らない。聞いていない。


 当たり前か。彼が、同じ飼育委員の私に、辞めるかも、などと言うわけがない。

 どうしよう。


 気がつくとウサギ小屋の前に立っていた。

 校門のところを、ママが怪訝そうな顔して黒いカートを押して通り過ぎていくのが見えた。私が挨拶を返し忘れたのかもしれない。


 ウサギさん達のお世話をしないと。

 茫然としながら、箒を手に取る。

 でも、気が付くと同じところばかり掃いていて、一向に綺麗にならない。

 掃除しなきゃと思いつつ、次の瞬間には他のことを考えている。


 私、どうしちゃったんだろう。

 ぺたん、と地べたに座り込んでしまう。


 目の前にうさえもんが立っていた。

 後ろ足だけで立ち上がることをうたっちと言う。いや、そんなウサ知識は今はどうでもいい。

 頭の中が乱れまくる私をじっと見るうさえもん。

 その目は怒っている気がする。


 スタンピング!


 うさえもんが、後ろ足で激しく地面を打ち鳴らす。

 やっぱり怒っているのだろうか。


 スタンピング! スタンピング! スタンピング!


 今度は、連続で三回も足を打ち鳴らす。

 怒っている? いや、元気づけてくれているのだろうか。

 でもごめん、なんか今、立ち上がる元気もないんだ。


 ふいに、うさえもんが違う方向に首を曲げる。

 見るとウサギさん達のごはんを運ぶのぞみ君がいた。


 スタンピング!


 うさえもんが足を打ち鳴らす。

 まるで、私に、彼に気持ちを打ち明けろと言っているかのように。


 私は、もう一度、彼を見る。

 カッターで指を切った時のような鋭い痛みが胸に走った。

 なんか、呼吸まで苦しい。目がうるんできた。泣きそう。

 告白なんて、とても無理。無理、無理。

 ああ、視界がぼやけてきた。

 だめだ、彼にこんな姿を見られるわけにはいかない。

 どうしよう――


 がちゃりとウサギ小屋の扉の音がする。

 まずい、この顔を見られてしまう。それだけは――!


「きゃっ!?」


 頭に衝撃を感じて、思わず悲鳴を上げてしまう。


「うさえもん!? うさえもんが逃げた!」


 のぞみ君の声がする。

 逃げた? うさえもんが?


 逃走防止用の柵を、私を踏み台にして飛び越えたうさえもんが、校門のあたりを走り去っていく後ろ姿が見えた。

 ちょ、何やってんの!?


 少し前まで泣きそうになっていた私は、そんなことを言っている場合ではなく、全力で追いかける。のぞみ君も一緒に走っている。


 こんな場合なのに、彼と一緒に走るのが楽しい。嬉しい。

 こうやって一緒に息を弾ませることが、どれほど気持ちがいいか。


 遠くに喫茶店が見えた。ママが友達と一緒にお茶をする、公園の隣のテラス席。

今日もママは、美小兎みことと共にお茶を飲んでいるのが小さく見える。


 その時。


 うさジャーンプ!!


 うさえもんが跳んで、ママの目の前のテーブルに降り立つ。

 ママがびっくりして思わず後ずさるのが見えた。


 ダン!

 テーブルの上でスタンピングをして私の方を見る。

 え? なんでこっちを見るの?


 うさえもんは黒いカートの方を向き、美小兎みことに顔を近づける。

 ゆっくりと鼻と近づけてぷぅぷぅと鼻を鳴らし、カートの端に顎をすりつけ、もう一度鼻先を向けた。


 そんなうさえもんを美小兎みことは小首を傾げて眺め、それから前に出て、うさえもんの鼻先をぺろりと舐めた。


 うさえもんは顔をあげ、今までで一番大きな音でスタンピングして、そしてテーブルの上から垂直ジャンプをして、さらに体を左右に捻って見せる。


 すごい!

 今までに見たこともない、最上級の喜びの表現!


「つかまえた!」


 追いついた私とのぞみ君は、そのままうさえもんを抱きかかえた。うさえもんは目的は果たしたと言わんばかりに、おとなしく抱っこされた。


 その後、私はママに怒られて、それを黙って聞くしかなかった。

 でも最後には、ママもママの友達も許してくれた。


 私は待っていてくれたのぞみ君と学校に向かって歩き出す。

 気が抜けてしまったように、とぼとぼと歩く。

 しかし、うさえもんはそれを許してくれない。抱っこされながら私を見る。それからのぞみ君を見て、そして私を見る。

 まるで、何かを促しているかのように。


 そうだ、うさえもんは私に見せたかったのかもしれない。

 気持ちの伝え方を。


のぞみ君?」


 私は、のぞみ君に、声をかけた。


まなちゃん?どうしたの?」


 不思議そうな顔をしてのぞみ君が私の顔を見る。

 ぐ、と気持ちがひける私だが、うさえもんが、ぐいぐいと頭で私の顎を押してきて、弱気になることを許してくれない。


のぞみ君!サッカークラブに入ることを考えているって、本当?」


 私の質問に、少し驚いたのぞみ君。


「うん、いま、友達から誘われているんだ。良く知っているね?」


のぞみ君! 私、のぞみ君と一緒にいるのが楽しい! お話しするのが楽しい! ウサギさん達のお世話も、一緒にするのが楽しいの!

 サッカークラブに行って、のぞみ君に会えなくなるのが、嫌だ!」


 言ってしまった。

 ありのままの気持ち。私の気持ち。

 顔が赤くなる。まともに彼の顔を見ることができない。


 どうしよう。


 そんな私の鼻先を、うさえもんがペロリと舐めてくれた。

 まるで、よくやった!と言ってくれているかのように。


 そして少し顔を上げた私が見たのは、嬉しそうに微笑んでいるのぞみ君だった。


「ありがとう、まなちゃん。僕も、まなちゃんと一緒にいるのが楽しいよ。サッカーはやるけれど、でも飼育委員は続けるよ。約束する!」


 予想もしていなかった嬉しい返事。

 私は、再び赤くなって、顔を上げることもできなくなってしまった。

 ぎゅっと、うさえもんを抱きしめる。

 確かな温もりと柔らかい感覚。


 大柄で、可愛くない私。ウサギさんの事ばかり話してしまう私。それ以外のおしゃべりは苦手な私。

 そんな、動物が大好きで、ウサギが大好きで、くるみちゃんからは「学校うさぎ」と綽名で呼ばれてしまうような私だけど、のぞみ君は、私といて楽しいと言ってくれた。


 秋晴れの透き通るような空の下。

 街路樹の金木犀の甘い香りの中で、私とのぞみ君とうさえもんは、無言で、それでもこれ以上ないほどの幸せな気持ちに包まれ、学校に向かって歩いて行った。

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