眼帯の大佐の事情
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──眼帯の大佐の事情
「ブロニコフスキー大佐殿は別にあなた個人を嫌っているわけではないのですよ」
陸軍省から陸軍会館に向かうまでの道すがら、ミヒャエルの従兵がそう言った。
「と、言いますと?」
「昔、大佐殿には婚約者がいたそうなのですが、その婚約者が病気で早世してしまい。大佐殿は随分と苦しんだようです。それ以降はその手の感情は持つまいと決意されておられるようでして」
「そうでしたか」
「ええ。ですから、大佐殿があなたを連れて来た時には随分と驚きました。あの大佐殿が女性とあれだけ親し気にしているとは、と」
「別に親しくはないですが」
ガブリエラはあくまでミヒャエルの副官であり、アドバイザーだと自覚している。
そこに恋心などあるはずもないのだ。
少なくともいきなり婚約破棄を受けて、すぐに次の男を見つけられるほどの強かさは自分にはないと思っていた。
それだけの強かさがあれば、もっと器用に生きているというものである。
「大佐殿には魅力を感じられませんか?」
「そういうわけでは。男性としてはそれなりではないでしょうか? ああ。ここで言ったことは大佐殿には内密に願います」
「ええ。もちろん」
自分がこんなことを言ったと知れれば、からかわれるに決まっている。
ミヒャエルはなんだかんだで子供っぽいのだ。
「しかし、大佐殿が女性を連れて来られて、自分としては少し期待したんですがね。大佐殿は天涯孤独の身です。友人方はおられますが、家族というものは」
「私には無理ですよ。もう結婚など考えられません」
自分だって婚約破棄され、実家を飛び出してきた身だ。
他人の不幸をどうこうできるたちにはないのだ。
「確かに大佐殿は将軍方には敵対的ですが、下の人間にはお優しいところもあられるのですよ。私も大佐殿の従兵を始めてから、いろいろとお世話になりました」
ミヒャエルの従兵は何を考えているのだろうか?
ミヒャエルと自分を結婚させたいのだろうか?
これが最初の婚約であったならば、ガブリエラも渋々と嫁に行っていただろう。アダムのような男と当たったのがガブリエラの運の尽きだ。
ガブリエラはすっかり男性不信になってしまった。
少なくとも昨日今日で治る不信感ではない。ガブリエラは男性というものに本当に失望してしまっているのである。
だが、確かにミヒャエルが魅力のある人間だということは事実だ。
何かをやり遂げようとしている彼は、一本の剣を操る剣士のようで隣で見ていて頼もしく思える。
今はガブリエラが説明しなければならないようだが、直にその必要もなくなるだろう。彼はガブリエラの理論を急速に吸収している。
もっとも、彼が言う“受ける説明”をするためにはガブリエラは必要だろうが。
まあ、確かに魅力はあるだろうが、自分に思いを寄せる人間のことを喋るタイプライター呼ばわりする人間を好きになれるはずがない。
自分も喋るタイプライター扱いされてはたまらない。
ガブリエラは今は自分の人生を自分の能力を使って、自分の思うように生きていこうと思っているのだ。
喋るタイプライターなんて不名誉な扱いはごめん被ると思っていた。
「着きましたよ、少尉殿」
「ありがとうございます」
そして、ガブリエラは陸軍会館の中に姿を消した。
そのころミヒャエルは陸軍省で上申のための書類を詰めていた。
主力魔甲騎兵、突撃魔甲騎兵、多脚歩兵戦闘車ファミリー、そして戦闘団司令部の常設化。それらを含めた上申のための書類をミヒャエルがタイプライターで作成していた。
陸軍婦人部隊のタイピストを使わないのは機密維持のためだった。
これは本格的に共和国が装甲部隊を主力とすることを意味するからだ。
自分でタイプし、サインを入れる。ミヒャエル・フォン・ブロニコフスキーと。
「これで形としては整ったか」
コキコキと首を肩の骨を鳴らしてミヒャエルが呟く。
「しかし、面白い女だ。次から次によく思いつく。あれは傍に置いておかなければな」
他の連中にくれてやるのはもったいないとミヒャエルが呟いた。
「だが、俺は」
そこで国家保安省が調べたガブリエラ・フォン・ゲーリケに関する身元調査の報告書に視線を向ける。
国家保安省──共和国の有する秘密警察は参謀本部という共和国陸軍の頭脳に浸入する人間をチェックし、報告していた。
そこにはガブリエラが触れられたくないであろうことが記されていた。
婚約破棄。実家との離縁。
ガブリエラはアッヘンヴァル航空機産業の馬鹿息子にこっぴどく振られて、その上実家との関係も悪化した。
それだけの内容なのだが、ミヒャエルには重々しく受け止められていた。
ミヒャエルの中では、彼がいくら否定しても、死んだ婚約者──ある伯爵家にして共和国陸軍に代々軍人を輩出してる家系の娘──とガブリエラを同一視することがあった。
未練だと思っても、あの娘とは全然違うタイプだと思っても、いくら否定しても、ガブリエラがそう見えることがある。
そうすること自体彼女に対して失礼だと思うし、自分が情けなく思える。
あと少しで手に入った家族。それに未練があるようで。
ミヒャエル自身は幸せな家庭で育った。
母の思い出はない。彼女は自分を生んですぐにインフルエンザで死亡した。
父についてはいろいろなことを教わったと記憶している。乗馬や文学、共和国の歴史、狩りなど共和国貴族として嗜むべきものについて教わった。
その父も呆気なく世を去った。
頼れる親類もないままに陸軍士官学校を出て、ただひたすらに上を目指して突き進んだ。装甲将校となり、装甲兵器の有用性を訴えるためでもあったし、婚約者に楽な生活をさせてやろうという思いもあった。
軍内部で変人という呼ばれ方をしても気にならなかった。むしろ、そう呼んでいる連中のほうが装甲兵器の意味を理解していない連中だと見下していた。
幸せにするはずだった婚約者はミヒャエルが大尉として第1装甲師団の装甲中隊長をしていたときに死亡した。
元々体の弱い娘であったから仕方ないという気持ちと、もっと自分がしっかりしていればという気持ちの両方があった。
後悔の念は嫌というほど感じた。
もうこのような感情は抱きたくないと思うほどに。
だから、女性を避けてきた。喋るタイプライターはもちろん、喫茶店の女給ですらコーヒーメーカだと思うことにしていた。
装甲部隊の有用性と独立性を主張する。そのことだけに集中しようと思った。
そして、大佐にまで昇進し、シュリーフェン大将から面白い発想をする男として、参謀本部の作戦課に加えられたときは喜んだ。
だが、彼から与えられた課題はまだまだ装甲部隊の発展が乏しい共和国陸軍においては難しい話だった。
そこに現れたのがガブリエラだった。
ガブリエラはミヒャエルが10年かかってできなかったことをやったのけた。
彼女は天才だと思う。まだ軍隊というものについて知らない面もあるが、それもすぐに解決され、立派な共和国陸軍軍人となるだろう。
そんな彼女だからこそ邪な目で見たくはなかったし、彼女に婚約者に対するものと同じ感情を抱きたくはなかった。
「畜生」
だが、実際にはそう見てしまっている自分がいる。
彼女がその才能を発揮すればするほどに惹かれる。自分になしえなかったことを成し得ていくたびに惹かれる。
だが、そう思ってはならない。もう二度と婚約者を失った時のようなどうしようもない喪失感は抱きたくはない。
何より彼女の自主性の妨げになることをしたくはない。
彼女は結婚という籠に閉じ込めては羽ばたけない猛禽だ。自由自在に飛び回ってこそ、彼女は自分の人生を生きていると感じるだろう。
幸い、そのうち中尉に昇進することは間違いない。陸軍婦人部隊でも中尉ともなれば食っていけるし、娯楽にも手は出せる。
だが、彼女の実家はダメだろう。どうにもなるまい。中尉程度の稼ぎでは、子爵家という貴族の家を支えるだけの助けにはならない。
「まあ、考えるだけ無駄だな。向こうにだってその気はあるまい」
自分が彼女に仮にかつての婚約者に対する感情を抱いていたとしても、ガブリエラが嫌そうな顔をするのが目に浮かぶ。だからこそ、彼女は面白いのだが。
普通、爵位持ち、領地持ち、参謀本部大佐とくれば嫁になりたがる人間は多いだろうに、彼女はそんな気を全く見せない。そのことでからかってくるぐらいだ。
「全く。本当に面白い女だ」
報告書を金庫に収めて、ミヒャエルは帰宅することにした。従兵はもうガブリエラを送って、陸軍省の外で待っているころだろう。
帰ろう。誰もいない、酷く静かな屋敷へと。
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