第三十七話 聖帝国の護衛


 屋敷の周辺警備について準備を終えたあと、俺は屋敷裏の小屋に行き、授業に出ている間のことについてティートと話していた。


『私が自由にできる場所があると母君が言っていたではないか。そこに行かせてもらえれば退屈もするまい』


「そこにはさっきの転移陣で行くことになるのかな?」


『おそらくそうだろうな。その学生証のようなものを私にも支給してもらえれば、自分で移動するのだが』


 意志の疎通ができる騎獣ならば、許可が降りる可能性もありそうだが――と考えていると、ミューリアが屋敷の裏口からそろそろと出てきた。


「母さま、それくらいの物音でも僕は気づきますよ」

「そう? 気づかれちゃっても関係ないけど……えいっ!」

「っ……あ、あのですね、そろそろそういう悪戯は……」


 牽制したつもりがミューリアは普通に近づいてきて、後ろから手を回して俺の目を塞いできた。


「母さま……誰ですか、なんて聞かれても困惑してしまいますよ」

「そんなつれないこと言わないの。でも、今日のお兄ちゃんは逃げないでくれるのね」


 ひんやりした手が心地よかったのだが、ミューリアはすぐに手を離す。やはり再会したことではしゃいでいるように見える――困った母さまだが、彼女らしい。


「お兄ちゃんがティートちゃんとお話をしているのを見て、微笑ましいなと思って来てみたの。新しいメイドさんが来てくれたから、カノンちゃんは一緒にお料理をしてるわよ。私は『奥様がお料理をするなんてとんでもない』って言われちゃって」

「そうすると、カノンも『お嬢様がお料理なんて』と言われてしまいそうですね」

「カノンちゃんったら、兄様のお口に入るものは私が極力作るようにしていますって押し切っちゃったのよ。明日は食事会があるからお弁当なしでいいって言われているけど、それも残念みたいね」


 この魔法学園において、貴族の生徒が住む宿舎にはメイドが派遣されるということらしい。さっき結界を通って入ってくるのが分かったが、二人組みの女性だった。


『ロイドは妹君に食生活を握られているというわけか。それは愉快な話だ』


「ティートちゃんのご飯は、いつもは何を食べていたの?」


『私は狩りをして、果物や木の実を食べていた。身体の小さい獣は人間の味付けでは毒になるが、私の場合それは問題ない』


「私達と同じものを食べられるっていうことね。量はどれくらいがいいのかしら」


『この身体を維持するために多量に食べると思われるだろうが、人間と同じくらいの量で問題ない。どちらかといえば、自然から生気を吸う方が重要なのでな』


 そういうことなら、やはり森などの自然が多い場所に連れていってやりたい――と考えていると、ミューリアが胸元から紙を取り出す。


「よりによってそこに入れなくてもですね……」

「ここにティートちゃんが遊べる場所の名前を書いておいたから。お兄ちゃん、夕食の前にティートちゃんを連れていってあげたら?」


『私は明日以降でも良いのだがな。名前が分かれば、門さえ開けてもらえば一人でも移動できる』


「僕も一緒に行くよ。どういう場所か見ておきたいからね」


「私も行きたいけど、もうお家の中の格好に着替えちゃったから。お兄ちゃん、ティートちゃん、行ってらっしゃい」


 小屋の中で寝そべっていたティートは目を動かし、俺を見る。そして何も言わずに身体を起こすと、尻尾で背中を示した。


『やれやれ、時には一人で羽根を伸ばしたいのだがな。どうしてもと言うなら仕方ない』


「ははは……ありがとう、ティート」

「ティートちゃんってツンツンしてるのに実は……お兄ちゃんったら、猫さんまでとりこにしちゃうのね」


『何か聞こえたが、聞かなかったことにしておこう。母君、ではご子息を借りる』


 小屋を出たティートの背中に乗せてもらい、天帝国宿舎区の門を出る。


 夕焼けに染まる道を歩き始めてすぐに、転移陣を囲んだ石柱を背にして、一人の人物がこちらを見ていることに気づいた。


(あれは……聖皇姫の護衛。二人いた近侍のうちの、女性のほうか)


 聖帝国の『魔力持ち』は髪が白や金色の系統になることが多い。彼女はクリーム色の髪をしており、後ろ髪を結い上げている――腰に帯びている剣は、学園内で所持を許される範囲のものということか、刃のないものだ。


 俺は彼女にある程度近づいたところでティートから降りた。聖皇姫の護衛の女性もこちらにやってきて、目が合うなり一礼する。


「初めてお目にかかります。私は聖帝国皇姫エリシエル殿下の従者、クラウディナと申します」

「私は天帝国伯爵令嬢カノン・フィアレスの護衛で、ロイド・フィアレスです。こちらこそよろしくお願いします」


 こちらも一礼する――そして同じ護衛の立場となれば、敵対を示さないためにも先に右手を差し出す、それが礼儀だ。


 俺が右手を差し出すと、クラウディナも握り返す。それでも彼女は表情を崩さず、俺を真っ直ぐに見据えていた。


『聖帝国の護衛が、こちらを牽制に来たか。ロイド、如何どうする』


『護衛同士で現状の認識について確認できるなら、それは悪いことじゃない。少し話してみようと思う』


『ふむ……ロイドがそう言うならば。相手が何か不審な動きを見せたら、そのときはこの尻尾で締め上げてやろう』


 それは国際問題になりかねないし、授業が始まる前に問題を起こすのは避けたい。好戦的なティートだが、その辺りの事情は分かっていての冗談のようだ。


「もうすぐ日も沈みますが、こんな時間にどうされたのですか?」

「このようなことを言うと、身構えられることと思いますが。ロイド殿、あなたと一度話しておきたかったのです」

「ということは……私と妹が特別科に配属されたことを、ご存知ということですね」

「はい。私も試験で必要な成績を残すことができたため、エリシエル殿下と同じクラスに配属されております。もう一人護衛には男性がおりますが、彼も同じクラスになります」


 二人とも聖皇姫から離れるわけにはいかないということだろうか。俺もカノンに付きっきりでいるべきではあるが、夜の間も見張らなければならないのだから、ミューリアもいて安心できる状況くらいは、監視されない状態にしてやりたい。


「皇姫殿下と、護衛の方々でほぼ一クラスが構成されていることになりますね」

「一般の生徒の方、貴族出身の方もいらっしゃいますが、少数のようです。すでに素性などは知らせていただいておりますが、特に懸念される事項などはないようです」

「それを聞けて安心しました。こちらでも何か分かったら情報を共有させてください。皇姫殿下の護衛をされる上では、開示できる内容には制限があると思いますが、その範囲内でも非常に助かります」


 大袈裟というわけでもなく、他国の皇姫とその護衛には最大限の礼を尽くすと表明する。それは当然のことで、挨拶すらできないという状況にならないよう立ち回らなければならない。


『随分と下手に出るのだな。見ただけで相手の実力は測れているだろうに』


『かなりの手練だよ。学生という基準で測れば……そして将来的には、かなりの武人に成長するだろうね』


『……視点がもはや育てる側の立場ではないか、阿呆』


 なかなか酷いことを言われてしまった――だがティートの言うことにも一理ある。


 生徒と同じ視点で授業を受ければ、周囲に嘘をつくことになる。皇姫殿下の護衛たちを前にして、その演技を悟られてしまえば不審に映る。


 周囲を納得させるだけの力を見せつつ、侮られず、恐れられもしない。それは確かに『育てる立場』の人間に近いのかもしれないが、周囲の生徒に理解されるには、相応の実績が必要だろう。


 しかし皇姫たちも同じクラスということは、彼女たちをさしおいて一介の生徒が一目置かれるというのは、図らずも非礼ということになり――これではあちらを取ればこちらが立たぬという状況だ。


「……あえて申し上げますが。エリシエル皇姫殿下は、今回の試験で一位の成績を取ることを目標にしておられました。しかし、そうはならなかった」


 『その場合』を想定してはいた――試験の実際の成績、あるいは俺が一位であったことを、他の生徒たちが知らされてしまっている可能性を。


「竜皇姫リューネイア殿下が、皇姫たちの中で最も魔法の資質が高いというのは各国に伝わっています。しかしそのリューネイア殿下が、入学生代表の式辞を一度辞退されたのです。『私よりふさわしい人物が他にいる』と仰って」


 クラウディナの言葉を聞いて、ティートが笑う気配がする――魔力感応なので表情には出ていないが。


『ロイド、おまえの期待していた通りではないか。おまえの力に全く気が付かぬような者ばかりではないということだな』


『ティートと同じように僕の魔力を感じ取った……ということなのかな。それだけでは、自分より成績が上と決めつけることはないと思うんだけど』


『強者であるがゆえに感じ取れることもあるのだろう。竜皇姫の評価を受け入れることも敬意というものだ』


 しかし、竜皇姫の発言が俺に向けられていると限ったわけではない――と、韜晦とうかいばかりに励んでいるわけにもいかない。


「全体九位のカノン・フィアレス殿。ロイド殿は、その兄君……でいらっしゃいますか? それでしたら、実力は必然的に高いものとお見受けします」


 明かすべきか、明かさざるべきか。皇姫と護衛たちが興味を持っているなら、いずれは知られてしまうだろう――ならば。


「恐れ多い話ですが、今回の試験において、私は順位をいただいておりません」

「……お答えいただき、ありがとうございます。大変不躾な質問をしてしまい、申し訳ありません」


 順位はつけられていないが、特別科にいる。それで察してもらうというのはやはり駆け引きにはなるが、完全に伏せるよりは信頼してもらえたようだ。


「しかし……恐れながら、ロイド殿。あなたからは、それほど……」

「私の魔力については、いずれお話することもあるでしょう。特異体質のようなものだとお考えください」

「っ……そ、そうなのですか。私も『宝石色』と判定されてはおりますが、特異とまでは……」

「お互い、手札は必要なときまで伏せておきましょう。と言っても、同じ教室ですから、互いに力を見せ、高め合えればと思います」

「はい。しかし……今回は聖皇姫殿下だけではなく、魔皇姫殿下についてもお話しておきたいことがあるのです」


 ここまで来たらすべて聞く以外にはない。話の内容については、ある程度想像はついていたが。


「入学試験一位を目標とされていたのは、魔皇姫アウレリス殿下も同じなのです。試験終了後に皇姫殿下たちが顔合わせをしたとき、魔皇姫殿下はこう発言されていました」


 ジルドのこともある。だが、それだけでは無かった――そこまでは、正直を言って読み切れていなかった。


「リューネイア殿下の言う『ふさわしい人物』と、手合わせがしたい。実戦が難しいのであれば『幻影舞闘』でもかまわないと。そうでなければ、自分の順位がはっきりしないことにも、皇姫全員が入学生代表となることにも納得できないと……そう仰られたのです」


 ――魔皇姫の好戦的な性格についてはこの目で見て理解していた。しかし、彼女が俺に戦いを挑んでくるというのは想定範囲から除外していた。


 皇姫が他国の、それも伯爵家の護衛に対抗意識を持つなど、普通なら考えられない。しかし学園という環境において、そういったことも生じうるのだと今さらに痛感する。


「入学式典は三日後になりますが、明日も特別科の生徒は教室に集合します。教室でお会いしたとき、おそらく魔皇姫殿下は……」

「分かりました。知らせていただいてありがとうございます」

「……ロイド殿」


 俺が名乗り出なければ、魔皇姫の不興を買う。彼女の言っていることには道理が通っている――魔皇姫が他国の護衛に勝負を挑むというのは、いささかお転婆がすぎると言わざるを得ないが。


 聖皇姫と魔皇姫、そして他の皇姫同士の間にもあるという対立関係については、同じ教室で学ぶうえで必ず解決しなければならなくなると思っていた。


 皇姫と戦うことを恐れ多いと辞退すれば、魔皇姫の誇りを傷つけることになる。選択は一つしかない――戦って、そして魔皇姫の理解を得る。


 そうでなければ、皇姫たちが揃って入学生代表として挨拶をする光景は見られない。七国の友好を示すためにも――というのはお仕着せかもしれないが、多くの人がそれに期待しているはずだ。


「……しかし、聖皇姫の従者であるあなたが、なぜそこまで?」


 魔皇姫の従者がどのような人物かにもよるが、聖皇姫の従者が魔皇姫の言動について俺に忠告するというのは、改めて意外に思える。


「エリシエル殿下からのご指示です。アウレリス殿下とは、かねてからご交流がありますので」

「アウレリス殿下の性格を、よくご存知ということですね」


 クラウディナは頷きを返す。聖皇姫と魔皇姫は規定よりも年少で入学していることを考えると、クラウディナは主君よりも年上ということになる――だからなのか、ふと見せる表情は優しいものだった。


「エリシエル殿下は心優しいお方です。しかし聖帝国と魔帝国は、同盟下においてもわだかまりを残している……アウレリス殿下が対抗意識をお持ちになるのは、そのような理由からなのだと思います」


 二人とも和解することができるといい。それは、まだ二人に会う前に軽率に口にすることではないと思った。


「では……呼び止めて申し訳ありませんでした。私にはロイド殿の実力が見抜けませんでしたが、だからこそ十二位という成績だったのでしょう」

「入学時の成績はあくまで現時点のものです。数年後は分かりません」

「はい、少しでもロイド殿に近づけるよう努力します。それでは」


 クラウディナは敬礼をして立ち去る――彼女がここで待っていたのが『最上位の成績の生徒』であるとしたら、ここで会えるかは彼女にとって賭けだったわけだが、出向いてきて良かったといえる。


『時間が少なくなったが、少しくらいは相手をしてもらうぞ』


「運動不足は身体に悪いからね。魔法学園まで飛んできただけでもかなりの運動量だけど」


『それとこれとはわけが違うぞ。おまえと手合わせをする方がよほど効く』


 魔皇姫と戦うことになる――そんな話をしていたからか、ティートも気分が高揚してしまったようだ。


 俺たちは『原生森林区』を行き先に指定して転移する。そして広がる森林にティートが駆け出していくのを追いかけながら、森でティートと鍛錬した日々を思い出し、『猫の王』の身体能力についていくために意識を切り替えた。

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