第十九話 聖皇姫と魔皇姫
広場に降り立つと、各国から来た学生たちが騎獣から降り、周囲の様子をうかがいながら待っていた。
今まで他国の人間と全く接したことのない新入生も多そうだ――誰もかれも、緊張した面持ちでいる。
しかし試験のことよりも、広場の一角で睨み合う聖竜と魔竜に、皆は気を取られていた。
「カノン、降りられる?」
「はい、お兄様……きゃっ……!」
先にティートの背から降りたあとカノンを待っていると、彼女はそろそろと降りようとしたところで滑ってしまった――備えあれば憂いなし、俺はそのために構えていたようなもので、カノンを空中で受け止める。
「よっと……カノン、大きくなったね」
「こ、こんなときに言われても、素直に喜べません。大きくなったなんて、子供扱いです」
「そんなつもりじゃなくて、僕は本当に……」
「に、兄様、ひとまず降ろしてください。皆さんが見ていますから……っ」
カノンを抱き上げていた俺は、周囲にちらちらと見られていることに気づく――俺たちが何をしているのか気にするというよりは、カノンに目を留めている生徒が多かった。
「あれはどこの国の生徒だ……?」
「天帝国の貴族の服装かしら……抱き上げているのは、お付きの人?」
「恋人同士で入学してきたということは……い、いや、それはないな。あの男は従者か何かに違いない」
「男子のほうも貴族の服を着ているから、同郷かご兄妹ということでは?」
「私もあんなふうに、頼りがいのある殿方を見つけられたら……」
護衛は周囲の話し声や音に常に気を配るものなので、小声で噂をされても聞こうと思えばすべて聞こえる。最後は褒め言葉と取れなくもないが、カノンが威嚇するように俺を見ているので、慌てて彼女を降ろした。
「兄様はすぐ、他のことに気を取られて……私が見ていないと心配です」
『それよりもロイド、放っておいていいのか? さっきから面白いことになっているが』
皆の注目を浴びている聖竜と魔竜は、少し離れたところにいる。
聖竜に追従していた翼竜から近侍の男性と女性が降りてきて、聖竜の背にある輿から出てきた少女を外に連れ出す。
「……聖帝国の、皇姫様……なんて神々しさなの……」
「姫とは言っても普通の人間でしょう? と思ってたけど、すごく綺麗な子ね」
「そ、そのような無礼を……聖帝国を侮辱するおつもりですか、あなたがたは……!」
同じ聖帝国から来た生徒は、姫の姿を見るのも恐れ多いらしく、恐縮しきっている。
姫とは言っても、普通の人間――そんなことは、彼女から感じる『流れ』からしてとても言えない。
聖帝国は魔法が全てという国ではないが、皇帝は神聖魔法の最高実力者であり、その資質はまだあどけなく見える皇姫にも確実に受け継がれ、その姿に威風を与えている。
カノンは聖帝国の皇姫を緊張した面持ちで見ていたが、俺が見ていると気づくと頬をつまんできた――だいたい考えていることは伝わっているらしい。
「兄様、聖帝国のお姫様がお綺麗だからといって、見とれていてはだめです」
全然伝わっていなかった――しかしカノンの言う通り、輿から出てきた皇姫が魔法を使ってふわりと浮き、下に降りるところを、俺はつぶさに目で追っていた。
なぜ、目を離すことができないのか。俺たちと一緒に入学するとしたら同年代ということになるが、小さな身体の皇姫は、そんな年齢には見えない。
――同じように小柄でも、彼女はその魔法の力で世界を変えた。だから姿は似ていなくても、彼女のことを思い浮かべたのか。
「っ……魔帝国の皇姫様も、お動きになった……」
「教師はまだ来てないのか? このままだと、皇姫同士がぶつかるぞ……!」
魔竜の背に乗っていた、巻き角の生えた少女――魔帝国の皇姫は、魔竜の背から頭に飛び移る。魔竜が長い首を動かし、空中にいる聖皇姫の眼前まで近づく。
「エリシエル様、今は他国と事を起こされては……っ」
「そのようなことはしません。控えていなさい」
エリシエルと呼ばれた聖帝国の皇姫は、近侍の男性の声を制止する。魔皇姫はそれを見て楽しそうに微笑んだ。
「そちらの竜は大きすぎますから、機敏な私の竜に道を譲るべきですわ」
燃えるような赤髪に、赤いドレス――そして全てにおいて自分が正しいという、自信に溢れたその姿。彼女の言っていることが不条理でも、傍観する生徒たちは圧倒され、言葉を忘れる。
その魔力は炎を得意としているように見えるが、本質は異なる。その深紅が意味するものは血の色――魔皇帝の一族は、血液を媒介にした魔法『血晶術』を操る。
聖皇帝、魔皇帝の魔法は対極に位置するとされている。聖皇姫――エリシエルのまとう清浄な水の流れのような魔力と、魔皇姫の魔力は、彼女たち二人の間でせめぎ合っている。
「先に進む人に道を譲るべきです。いたずらに争うことは女神の意志に反します」
「では……これから何度も争わずに済むように、この一度で終わらせましょうか。しばらく手合わせをしていませんでしたものね」
人差し指に唇を当て、魔皇姫が微笑む。
彼女の指には『血晶』で作られた付け爪がつけられている。彼女の言葉は戯れではなく、本気だ――ここで決闘をしてもいいというくらいで、ここに来ている。
「兄様、このままではお二人が喧嘩を始めてしまいます。私、先生をお呼びして……」
「いや……大丈夫。もう少しだけ様子を見てみよう」
「は、はい。兄様がそうおっしゃるなら……」
事なかれ主義で傍観しているというわけではない。俺はいつでも動けるように備えていた――できれば動かずに済めばいいが、それはここからの二人次第だ。
聖皇姫は争いを望んでいない。彼女が断れば、魔皇姫は無理に決闘を挑みはしないだろう。
しかし次に聖皇姫が放った一言は、俺の希望的観測を大きく外れたものだった。
「……アウレリス、背伸びが過ぎますよ。あなたが魔法学園に入るのは、尚早なのではないですか? まだ十三歳なのですから」
「なっ……」
アウレリス――それが魔皇姫の名前。ずっと自信に溢れていた彼女の表情が、エリシエルの言葉で崩される。
十三歳――俺たちより二歳年下。エリシエルより年上に見えるアウレリスは、その容姿に反して、小柄なエリシエルよりも年下ということだ。
「前に手合わせをしたとき、あなたに教えてあげたはずです。あなたの魔法では私の神聖魔法を破れないと」
「……エリシエル……私はもう子供ではありません。六帝国の協議によって、私たち皇姫は同時に魔法学園に入学することになった。ここに来た時点で、もう年齢は関係ありませんわ」
「学園の制度においてはあなたと私は同じ学年になるのでしょう。しかし、私はあなたが小さな頃から見てきたのですから、見方を簡単には変えられません」
エリシエルとアウレリスは互いに譲らない――しかし。
このままでは、越えるべきではない一線を越えてしまう。そのきっかけを作ったのは、アウレリスだった。
「皆から見れば、あなたの方が私より年下に見えるのではないですか? 『小さき聖姫』エリシエル・ローゼンクランツ」
――エリシエルの近侍の二人が「言ってはいけないことを」という顔をする。
静かに沈黙していたエリシエルは、少し高度を上げ、アウレリスを見下ろすようにする。魔竜が首を上げ、今度はアウレリスが見下ろす。
二人の無言の争いを見ていた生徒の一人が、思わず笑ってしまい――アウレリスの一瞥を受けただけで、その場に倒れ伏した。
「あ、あれが魔皇姫の『紅魔眼』……ひと目見ただけで意識を飛ばされるなんて……」
魔眼――『力ある眼』のひとつ。アウレリスの手札は血晶術だけではなく、まだ他に能力がある可能性もある。
「他の生徒を巻き込むのは感心しません」
「これから決闘をしようとしているのに、それを笑う観衆は無粋が過ぎますわ」
「……事を起こすつもりはないと言ったのですが。我がままな隣人には、お仕置きをするしかないようですね」
エリシエル、そしてアウレリスが魔法を発動させようとする――二人ともが上位詠唱。相手を殺傷するほどではないにしても、攻撃に使われる魔法であることは間違いない。
「――女神は全ての罪深き者に、戒めの枷を与える。《戒律の輪》」
「グランシャルクの血に望む。我が前に立つ者は赤に傅く――《束縛血界》」
二人が選んだのは、奇しくも互いの動きを封じる魔法――その『流れ』は読んでいた。
エリシエルの神聖魔法、アウレリスの血晶術。その二つが発動する前に――誰もが俺を見ていない間に、『指を鳴らした』。
《――第二の護法、『無響』。波は重なり合い、響き、静寂が残る》
「「……え……?」」
二人が同時に声を出す。使おうとした魔法が発動しない――発動に至る前に、詠唱が消されている。
『……音に魔力を込めるか。この距離で、発動までの時間で二人の魔法を打ち消す術式を構築する……どれほど練磨すれば、そこまで……』
ティートは俺がしたことを理解していた。それはティートの鳴き声を媒介にする魔法を『無響』で無効化したことがあるからだ。
詠唱とは、声を出したあとの残響を含んで完成するものだ。その残響が俺の発した音で相殺され、途中からピタリと消えたことに、二人は気づいていない。
「……誰かが私達の魔法を封じて……いえ。入学試験の最中に、このようなことをしている場合ではないということでしょう」
「そう……ですわね。さすが魔法学園の教官ですわ、それくらいでなくては学びに来た意味がありません。武術であなたに勝っても面白くありませんし。それと、一つ言っておきますけれど……」
アウレリスは素直に戦いを止めるが、魔竜の角を撫でながら何か言いたそうにする。エリシエルは少し逡巡してから、おずおずと言った。
「……年齢のことを言ったのは謝ります。私があなたより年上とはいえ、この学園に入るには早いというのは同じですから」
聖皇姫もまた、魔法学園入学の規定年齢である15歳より若い――しかしアウレリスよりは年上ということは、14歳ということになる。もっと年下に見えるのだが、この流れを見るにそれは禁句になるだろう。
「あなたの潔いところは好きですわ。いずれ決着はつけるつもりですが」
アウレリスを乗せた魔竜が首を動かして引いていき、エリシエルは地上に降りる。控えていた近侍が駆け寄り、エリシエルは心配をかけたと二人を労っていた。
「……兄様、何かなさいましたか?」
「みんな二人を見ていたから、誰も気が付かなかったね」
「私にもわかりませんでした……悔しいです。兄様のことを見ていると言っておいて、いつも肝心なところは見られていません」
「大したことはしてないよ。皇姫殿下たちを仲裁したかっただけだからね」
カノンはまだ残念がっていたが、そうこうしているうちに魔法学園の教師――入学試験における試験官が来て、皆を先導していく。
あくびをしているティートに挨拶をして、俺たちは試験会場へと向かった。先ほどから見えていた学園の門をくぐると、カノンが手を繋いでくる――改めて緊張してきたということか。
「兄様……同じクラスになれるように、私、頑張ります」
「もし離れるようなら、護衛っていうことで同じにさせてもらえるように頼むけどね。まずは僕も、実力で同じになれるように頑張ってみるよ」
「はいっ……!」
二人の皇姫が使った魔法は、互いに様子を見るための小手調べだろう。そのために俺の魔法でも干渉できたが、世界最高の学府に集まる生徒たちと競うとなると、改めて気を引き締めなくてはならない。
今年試験を受けるために集まった生徒は、数日前から試験会場入りしている人々、そして船で到着した分も入れると千人余りだった。
試験の成績が水準に達しなければ、入学は見送られる。そんなことになれば目的どころではない――カノンの護衛という役目を果たすため、俺自身の目的のためにも、無事に合格したいところだ。
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