第十六話 騎獣
俺がバスティートに会いに来たのは、前々から伝えていたあることについて、進展を改めて報告するためだった。
「明日、世界魔法学園に行って入学試験を受ける。事前の審査はもう通っているから、僕はカノンの護衛として入学することになる」
『……フィアレスの養子だからか。長く本当の息子のようにしてきたのだろうが、当主もそのあたりは制度に逆らえないか』
「僕が自分で望んだことだよ。カノンが家を継ぐというのは、前々から決まっていたから」
バスティートは自然に倒れたものだろう天空樹の上に寝そべり、俺はその傍らに座っている。俺が持ってきた生肉をぺろりと平らげたバスティートは、小樽を手で転がしていたが、俺が代わりに小樽を開けて受け皿に酒を注いでやると、まず一舐めして味見をし、そのまま飲み始めた。
『ロイド、おまえのそういったところは……うまい……なかなか見どころがある……むぅ、これは……』
「ゆっくり飲んでくれていいよ」
そう言うと逆にバスティートは酒を舐めるのをやめ、顔を拭うようにしてから再び語りかけてきた。
『……まず礼儀として話を聞くべきだろう。それくらいの律儀さは、私にもあるのだぞ』
「ありがとう。一つ、頼みたいことがあるんだ」
『最後なのだから、何でも言ってみるがいい。私も多少は、おまえがいなくなると寂しくなる。三日もすれば忘れるだろうがな』
「僕たちと一緒に、魔法学園まで来てくれるかな。猫の王の君なら、騎獣として学園から許可が降りるから……」
言い終える前に、バスティートが俺に掴みかかってくる。普通の大きさの猫ならいいが、この巨体では押しつぶされそうな格好だ――俺も鍛えているので簡単には倒されないが。
『最後なのだから、と言ったあとにそれか。私の心情というものを考えているか? 考えていないな、考えていたらそんなことは言わないからな』
「ははは……いや、どんな言い方をしてもこうなるのは分かってたからね。それなら取り繕うこともないかなと思って」
俺も成長したとはいえ、バスティートの膂力に素のままではかなわない。魔法で力を強化してしばらく耐えていると、バスティートは呆れたように耳とひげを垂れ、引いていった。
「君がここにいるのは、何か理由があると思うんだけど……ずっとここにいるままでいたいわけでもなさそうだ。違うかな」
『……だからおまえについていけと。騎獣など、それでは飼い猫ではないか。猫の王にまたがって、その身をなんとする』
「僕はただの護衛だよ。それと、明日からは魔法学園の学生になる」
『そうやっていつも、木の葉のようにひらひらと……全くうっとうしくて仕方がない』
口が悪いのは昔からで、昔はもっと苛烈だった。「天人の子よ、帰れ」「去らないなら私の腹を満たす役目を与えてやろう」と言っていて、会いに来ても問答無用で戦うことが長く続いた。
『……何か条件はあるのか? 騎獣という役割に私をおさめるならば、制度とは別に私自身と契約を結ぶべきではないか』
「マタタビ酒は、手に入るたびに献上するよ。その他には何が欲しい?」
バスティートは爪を研いで、ぺろりと口の周りを舐める。俺を食べたいということか――と思ったところで、バスティートは皿に視線を向けた。酒を注いでやると、しばらく静かに舐め続ける。
『……おまえがなぜそれほど強いのか。おまえが本当は何者なのか。それをいつか私に教えるならば、ついていってやらなくもない』
「本当に……? 良かった、じゃあ君との手合わせも、今日で終わりじゃなくなる」
『昔から言おうと思っていたが、その呼び方は好かないな。この機に変えてもらおう』
「名前を教えてくれないからね。バスティートというのは種族の名前だから、君の名前は……」
『……私に名はない。しかし騎獣として契約するのであれば、おまえが私を認識する名称は必要だろう。それで呼べばよい』
「じゃあ……バスティ。それとも、ティートかな」
『そのままではないか……まあどちらでも良いがな』
「バートという名前にすると、領地に同じ名前の人がいるからね。よし、君のことはこれからティートと呼ぶよ」
『……分かっているのか、いないのか。いいだろう、ロイド。魔法学園とやらがどこにあるのか、地図くらいは用意してくるがいい』
「分かった。また明日来るよ、ティート」
マタタビ酒で気分が良くなったのか、白い猫の王――ティートは、名前を呼んでも特に気分を害する様子もなく、器用に酒樽を傾けて酒を注ぎ、楽しんでいた。
家に戻って着替えをしたあと、階下の食堂にやってくる。朝食のいい匂いがしているが、カノンの姿はここにはない。まだ料理をしている最中のようだ。
「おはようございます、ロイド様。今日も早朝から出ていらしたのですね」
「はい、大事な用がありましたから。学園には、騎獣を連れていってもいいんですよね」
ティートに対しては友のように、家の中では貴族家の一員として――言葉遣いの切り替えも、慣れてしまうとそれほど大変ではない。
「獣帝国など、騎獣を生活上必須とされる国もございますから、学生には騎獣の同伴許可が出ております。連れていく騎獣については、ロイド様の方でお心当たりが?」
「今話をしてきて、ついてきてくれることになりました」
マリエッタさんは少なからず驚いている――森にバスティートがいるというのは領民の間でも噂になっていたから、存在自体は彼女も知っている。しかし俺が森に通っている理由がバスティートに会うためというのは、今まで秘密にしていた。
「そうでございますか……ロイド様のおっしゃることであれば、大丈夫なのだと思いますが。バスティート……でよろしいのですか?」
「はい、とても大きな白猫です。翼を持つ猫って言われていますけど、今のバスティートは翼のあとがあるだけで、それでも魔法で空を飛べるんです」
「そうなのですか……猫に乗って、空を……それは、神秘的でございますね」
表向きは隠しているらしいが、マリエッタさんは猫好きなので、ティートのこともそんなに恐がることはないだろう――いや、すぐ慣れるには大きすぎるか。
「カノンは台所にいるんですか?」
「はい、もう少しでお料理が完成するとおっしゃっていました」
カノンとの関係が良い方向に向かってから、彼女は料理の練習を始めた。メイドの皆に混じって料理に参加していたが、そのうち一人で台所を切り盛りできるくらいに上達してしまった――今は一日のうちどこかで台所に立つようになっている。
「様子を見に行ったら怒られそうですね」
「大丈夫かと思います。カノン様の素晴らしい手際を、ロイド様もぜひご覧になってください」
マリエッタさんに勧められ、俺は台所に向かう。トントンという音が聞こえてくる――そして、料理に集中している妹の姿が見えてきた。
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