第五話 魔力試し

 貴族の風習は転生してから学んだが、千年前とは大きく変わっている。


 千年前は貴族同士でいざこざがあったとき、決闘が行われていた。それではどちらかが負傷することは免れないし、敗れた側が死んでしまったりすると何代にもわたって遺恨が続く――そこで考案された決闘の代替といえるものが『魔力試し』だ。


 ルールは明確だ。両者が戦う以外で、魔力の優劣を測り、優れている者が勝利とする。勝ったものは、負けたものに一定範囲の要求を飲ませられる。


 相手の命を奪う以外ならほとんどの要求が通るのだが、中にはこんなことを言い出す輩も当然現れる。


「カノン様、僕も同じ方法で『魔力試し』を行いますが、もし僕が勝った暁には、一つお願いをしてもいいでしょうか」


 屋敷を出て森に向かう途中、ヴィクトールは思い出したように敬語に戻って、後ろから続く俺たちを振り返って言った。


「私の魔法がどれくらいのものか、見たいだけではないんですか?」


 棘のある言葉に肩を竦めながら、ヴィクトールは答える。


「魔力を測るには基準が必要だ。僕よりもあなたが上であるというのを確かめたいのだから、僕と比べるのが最も分かりやすい。違うかな? ロイド」


 俺の名前をこんなところで出すために覚えないでもらいたい――というのはおくびにも出さず、俺は少し思案するそぶりをしてから答える。


「魔力の強さは測り方次第で、誰かと比べる必要もなく分かるものだよ」

「ぐっ……」


 ヴィクトールがあっさり黙ってしまう。勝負に持っていく正当性がなくなってしまって、吹き込まれていた筋書きに狂いが生じたのだろう。


「と、とにかくだ……僕よりもカノン様の力が上だというのは、比べてみるのが最も分かりやすい。一度受けたんだ、逃げたりはしないだろうな」

「……ヴィクトール殿」


 カノンが小さくヴィクトールのことを呼んだ。天使に名を呼ばれて舞い上がらない少年はいない――ヴィクトールも例外ではない。


 しかし少年の期待とはよそに、カノンは金色の髪をさらりとかきあげ、鈴が鳴るような涼やかな声で言葉を続けた。


「そういうやりかたをする人を、私は好ましく思いません」


 ――きっぱりとした拒絶。


 ヴィクトールの中でがらがらと何かが崩れる音が聞こえてきそうだ。分かりすぎるほどに分かっていたのだが、やはり彼はカノンに好意を寄せていたらしい。


「く……くくっ。くくくくくっ……」


 ここまで突き放せば、ヴィクトールの敵意はさらにあからさまなものになるだろう。

 

 一体何を仕掛けてくるか。それがどれほどの脅威なのか。


 これから何が起こるのか、敵――いや、ヴィクトールが行動を起こしてからでなければ対策が打てないのかと言えば、答えは否だ。


 カノンを必ず護る。彼女の『魔力試し』に極力干渉せず、護衛の務めを果たす――そのための、万全の準備をさせてもらう。


 《全ての生きとし生けるもの、その魂魄の波動が織りなす悠久の大河よ》


 《流転の根源に我は在る。我はロイド、カノン・フィアレスの守護者なり》


 本来ならカノンが望んだとき、初めて俺は彼女の『護衛』となる。


 しかしいつでもカノンを助けられるように準備しておく必要がある。そのために無音詠唱を行った。


 俺が天帝の護衛として見いだされたのは、この魔法によるものが大きい。俺自身にはどういった魔法か実感を持って理解できるのだが、人に話して通じたことは少ない。


 俺の魔法は『流れ』を司る。個々人の身体に宿る魔力の流れだけでなく、世界を構成するあらゆる物質の宿す微弱な魔力も『流れ』を持っていて、それが俺には見えている。


(……カノン)


(っ……ロ、ロイド……驚かせないで)


 俺はカノンの肩をぽんと叩く。ヴィクトールの様子に気をとられていたカノンはビクッとしてしまい、顔を真っ赤にしていた。


(頑張れ、と言いたかったんだ。大丈夫、僕がついてる)


「何をひそひそと……雑種のくせに、僕を笑っているのか……?」


 貴族以外は『雑種』であるという思想。フィアレス家に属する子爵家の人間が、そんな考えでいると知れば、ミューリアは失意を覚えるだろう。


 やはりこの少年には、教えてやる必要がありそうだ。世界は自分を中心に回ってはいないし、『流れ』は簡単に思い通りにはならないということを。


「くっ……くくっ。君からはやはり、弱い魔力しか感じない。僕をあまり怒らせない方がいい」

「……弱い、魔力……」


 カノンが一瞬、疑問を顔に出す。今の段階で彼女を安心させることはできるが、それでは良くない。


 俺は『カノンに』勝たせてやりたい。俺がどれだけ侮辱されようがそんなことはどうでもいい、些末なことだ。


 もっとも、手助けをしたことがわかればさらにカノンを怒らせてしまうかもしれない。それならばどうすればいいか――。


「だってそうだろう、何の色も見えないじゃないか、君の周りには。魔力のない子供を拾ってきて伯爵家の子だなんて、ミューリア様も……」

「――ロイドを……っ、兄様を、それ以上悪く言わないで!」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


 弾かれるようにカノンの魔力が波を起こして、うねりのような『流れ』が起きて――それを読み取れても、彼女の言葉までは予想できなかった。


 ミューリアから俺を兄と呼ぶようにと言われ、カノンはずっと聞かずにいた。


 ――俺は何も分かっていなかった。カノンに嫌われているなら、無理をして近づこうとしなくてもいいと、達観しているつもりでいた。


「兄様……か。そうだな……いいことを思いついた。僕がこの勝負に勝ったら、ロイドのことを兄とは呼ばないこと。そして、年長の僕を兄と呼んでもらう」


 『ヴィクトール殿』という呼び方に満足が言っていないことも、察してはいた。カノンに慕われたい、それも彼が今回の行動を起こした理由なのだろう。


「……分かりました。それでは、始めましょう」


 そう言ってまっすぐにヴィクトールを見据えるカノンの姿に、俺は一瞬だけ、あの小柄な身体で戦い続けた少女の姿を思い出した。


 俺はアルスメリアに意識を囚われている。今度こそアルスメリアを護り、共に生きるために転生した――けれど。


 妹も守れないようでは、アルスメリアにも呆れられてしまう。彼女に会うまで、俺は守りたいもの全てを守り続けなくてはならない。


「く……くくくっ……ぁ……?」


 ――薄笑いを浮かべていたヴィクトールの魔力の流れに、突如として異変が生じる。


「あ……あぁ……あぁぁぁぁぁっ……!!」


 ヴィクトールが苦しみ始める。自分の意志に沿わず、魔力を吸われている――彼が『魔力試し』を行うために持ってきたものだろう魔道具が、彼の魔力を吸っているのだ。


 その場に膝をついたヴィクトールを中心に円形の魔法陣が発生する。邪霊召喚の魔法陣――おそらく邪霊を森に放ち、それを撃退することによる『魔力試し』をしようとしていたのだろう。


「っ……こんな……たくさんの、色の……」


 属性のない邪霊ならば、カノンの魔力でも対抗できる――しかし、その邪霊は炎、風、水、土、それ以外にも幾つもの属性を持っていた。


(カノンを狙って……ただ、脅すためだけに、ここまでのことをするのか)


 怒りを通り越すと、頭の中は逆に静かになる。常に不動の心を持つ、それが護衛の心得だ。


 ヴィクトールは魔力を急激に喪失したことで意識が混迷しているが、まだ息はある。今は彼の魔力を吸い、それでも足りずにこちらに向かってくるだろう邪霊に対処しなくてはならない。


「――ロイド、こっちに来ちゃだめっ、私のうしろにっ……!」


 その勇敢さに、心からの敬意を表する。しかし、妹を護るのは俺の役割だ。


 不規則な軌道を取ってカノンを狙う邪霊――それらを迎え撃つ準備はもうできていた。

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