第四話 少女の誇り

 貴族の家に引き取られて、改めて大変だと実感したことがある。


 伯爵家ともなるとその下に位置する男爵・子爵家や、同じ伯爵同士の横のつながり、そしてより上の階級の貴族との関係など、家同士の関わりがとても多いということだ。


 貴族の間では、爵位の階梯がそのまま上下関係となるが、天帝国ではもう一つ、個人の立場を決める上で重要な要素がある――個人の魔法、その実力だ。


 男爵家・子爵家の人々は、伯爵家より階級が下という意識は徹底されているのだが、それゆえに鬱屈している者もいる。貴族としての階梯を、個人の力で引っくり返す機会を伺っているのだ。


 それは大人に限ったことではなく、子供でも野心を持て余している場合がある。後先を考えない分、子供の方が『自分が強い』と試したいと思ったとき、それを行動に移すための敷居が低い。


「カノン様におかれましては、今日もご機嫌うるわしゅうございます」


 この少年――ヴィクトール・ロズワルドは、フィアレス伯領に属する三つの子爵家のうち、最も大きな領地を持つロズワルド家の長子である。


 十歳にしては身体が大きく、剣術の訓練もしているのか少年にしては身体は鍛えられていて、顔つきも自信に満ちている。


 その彼が母親と共にうちに挨拶に訪れ、子供同士で交流するようにという時間が設けられて、カノンと俺、ヴィクトールの三人きりになった。


 ヴィクトールには姉と妹がいて、前に訪問したときは彼女たちがカノンと交流した。ヴィクトールは俺と交流しようとはしなかったが、その理由はどうやら、俺が伯爵家の拾い子だからのようだった。


 今日も同じ部屋にいる俺のことを空気のように無視し、ヴィクトールはカノンだけに意識を向けていた。


「ヴィクトール殿も、お元気そうで何よりです」

「カノン様からそのようなお言葉をいただけるとは、まことに……」

「それでは、私は挨拶も終わりましたので、自室に戻らせていただきます。あとはお二人でどうぞ」

「なっ……」


 カノンはミューリアから『俺と仲良く』と言われて送り出されてからずっと不機嫌で、こんなことになるのではと思っていた――肩透かしを食らったヴィクトールは少々可哀想だが、うちの天使は俺にも冷たいので特に同情はしない。


 俺は聖人ではないので、自分に邪険にする相手に対して過剰に気を使うほど人間はできていない。ずっと無視していた俺を相手せざるを得ない状況になって、どんな気持ちなのかを聞いてみてもいいか――と考えたところで。


「僕は今日、カノン様にお話があってここに来たのです。カノン様の、魔法のお力についてのお話なのですが」


 ヴィクトールの言葉に、カノンが反応する。居間を出ていこうとしていた彼女は、振り返る――きっと強い視線をヴィクトールに向けたその姿に、事の次第を静観していようと思った俺も、一瞬で目を覚めさせられた。


「……私の魔法、ですか。それはどういったお話ですか?」

「ミューリア伯爵のご息女であるカノン様は、さぞ強い魔法の力をお持ちでしょう。私も伯爵家に忠誠を誓う家の子として、その力を一度見せてほしいのです」


 ヴィクトールの内心にある不遜は抑えきれておらず、本当に敬意を抱いている相手に対してはしないような言い回しをする。


 カノンに要求に答える必要はない。彼女の魔法は治癒の系統であり、使う場が限られる――しかしヴィクトールはそれを無視して、カノンを挑発している。


 カノンにも分かっているはずだ。この挑発に乗る意味はない。


 しかしどれだけ早熟で、聡明であっても、感情を完全に制御しろというのは酷なことだった。


「髪の色、目の色……何を持ってしてもミューリア伯爵と似ていなくても、カノン様はいずれ伯爵を継ぐ立場。僕のような子爵家の者なんてかなわない力をお持ちでしょう。僕はその力を見て、そして跪きたいんです」


 ヴィクトールが自分でそんな台詞を考えたわけではない。誰かに吹き込まれ、それを練習してそのまま喋っているのだ。


 ミューリアに揺さぶりをかける点がないのなら、カノンを標的にする。もしヴィクトールの親――ロズワルト子爵がそんなずるいことを考えたのなら、それも貴族社会の歪みというものだろう。


 人間が権力の階層に組み込まれたときに生じる歪み。フリードも騎士団で駆け上がる際に、それを目の当たりにして悩んでいたことがあった。独立部隊といえる護衛騎士だった俺は、幸いにも権力争いなどには巻き込まれなかったのだが。


「今日与えていただいた時間は、とても貴重なものです。この機会を逃せば、カノン様に力を示していただく機会はしばらく――」


 カノンは断ってもいい。誰も逃げたなどとは言わない――そんなそしりを受けるようなら、ロズワルド家もそれくらいの人々だということだ。


 だが、もしカノンが違う答えを出したら。


 彼女が戦うと言うのなら。俺は傍観するだけでなく、してやれることが幾つもある。


 ――カノンが一瞬だけ、俺に視線を送る。俺はただその目を見返し、頷いた。


 どんな選択でも肯定する。彼女が俺と距離を置いていても、そんなことは今は関係ない。


 逃げずに戦おうとしている妹を、誇りに思う。


「分かりました。どうやって、力を示せばいいのですか?」


 ヴィクトールの顔に喜色がにじむ。思惑通りに行ったという表情――それで、もう彼の意図を探る必要も何もなくなった。


「フィアレス伯領において、昔から力を測るために使われてきた『魔力試し』。それを、近隣の森で行わせてもらう。普段遊び場にしているようなところだから、僕たちだけでも危険はないだろう?」


 急に口調が砕けた――こちらへの敬意などもうなにもない。ヴィクトールは勝利を確信しているのだ。


「分かりました。ロイド、あなたはここに残って……」

「僕も行くよ。ヴィクトール、これは『魔力試し』で決闘でもなんでもない。二人でなければならないってことはないだろう?」

「ああ、そこにいたのか。ロイドだったかな。橋の下で拾われてきた……いや、僧院から正式に引き取られたんだったな」


 完全に侮っているが、別に腹が立たない――というわけでもない。


 他人を値踏みして、自分より下だと分かると踏みにじりにかかる。こういう輩と、俺は相容れない――それこそ、転生する前から。


「僕の事情については今はいいだろう。カノンの『魔力試し』に同行させてもらうよ」

「……フン。伯爵の血を引いていない君には本来関係のない話だが、いいだろう」


 ミューリアにロズワルド子爵とヴィクトールの悪意について報告するのが平和的な解決手段と言えるが、それではまたカノンが狙われかねない。伯爵家から子爵家に制裁を課すとしても、領地の剥奪や追放とまではいかないからだ。


 それならば、俺がするべきことは一つだ。


 『カノンを狙っても意味がない』ことを理解してもらう――久しぶりに『護衛』として仕事をする時が来た。


「……ロイド……」


 ヴィクトールが先に部屋を出ていったあと、ずっと気を張っていたカノンが、小さな声で俺の名前を呼んだ。


「……何も心配しなくていい。僕が言っても信用はないだろうけど、大丈夫だ」

「違う……私、どうしても許せなくて……私のこと、お母さまに似てないって……」

「何を言ってるんだろうな、まったく。ミューリア母さまとカノンくらい似ているお母さんと娘は、そうはいないよ」

「……っ」


 容姿ということでは、二人を母と娘だと思わせる部分は確かに少ない。


 だが、そういうことじゃない。ミューリアがカノンを娘だと言い、カノンは母を慕っている。


 二人の関係に土足で足を踏み入れることは、誰にもできない。だから、戦う。


 貴族の義務というのは大変なものだと他人事のように思っていたが、今になって理解できた。


 人の上に立つ存在だからこそ、守らなければならない誇りがある。それを俺よりもよく理解しているカノンは――ヴィクトールに試されるまでもなく、伯爵家の娘だ。

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