大吾の晩餐

ぶんぶん

第1話

 大道大吾(だいどう だいご)は、しがないマジシャンである。昔から手先が器用で、早くから手品師を志した大吾は、著名な手品師に弟子入りし、10年の間、研鑽を積んだ。しかし、テクニックや人脈を手にいれ、いよいよ世界に羽ばたこうというタイミングで、実家から連絡があった。

「大吾。おばあちゃんが倒れた」

 物心ついた頃から、大吾に母親はいなかった。大吾が生まれて間もなく離婚したらしい。父方の祖母の家で幼少期を過ごした大吾は、大のおばあちゃん子だった。祖母の大道ミツは小さな甘味処を経営していて、ドーナツ、羊羹(ようかん)、中でも「あんみつ」は、店の看板メニューだった。子どものお小遣いでも常連になれる、昔ながらの低価格で提供していたので、経営は芳しくなかったが、店は地域の人々に愛された。大吾も祖母のあんみつが大好きであった。定番のあんみつに10円を払うことで、ジャムやソースが追加される。

「ばあちゃん、あんみつをおくれ。いちごジャムに、クリームとチョコソース、マシマシのマシで」

「あいよ」

 “素材本来の味”なんてものは気にしない。小さな大吾が好んだのは、“クリームの乗ったあんみつ”というよりは、“クリームにあんみつが添えらえている”といったおかしな配分のデザートだった。それでも祖母のミツは、笑顔で提供してくれた。大吾は嬉しかった。とても甘いので晩御飯が食べられなくなることがあり、父親には時折叱られたが、大吾にとってそれは大切な“お袋の味”と言うべきものだったのだ。

母親の居ない大吾に、母のごとく優しくしてくれた祖母。そんな祖母が倒れたとの連絡に、大吾は迷わずラスベガスでの大舞台をキャンセルし、日本へ帰国した。祖母はその3ヵ月後に亡くなった。ミツの店も引き継がれることなく、暖簾(のれん)をたたんだ。

 ――喪失感。

 大吾の胸には、ぽっかりとしたドーナツ穴が空いたようだった。


その後、大吾のマジシャンとしての歩みはあまりうまくはいかなかった。折悪く、世界的な伝染病のあおりを受け「マジックショー」そのものが下火になった。たまにスーパー銭湯の一角や介護施設で公演もしたが、それだけで食べていくことは難しかった。ツテを頼りに大きな舞台に立つことも何度かはあったが、それも長続きしなかった。生活は困窮していく。大吾の心は、次第に荒(すさ)んでいった。

 ある日の介護施設での公演。見た目に派手な演目を選んだが、そこでの反応はイマイチだった。何人かの入所者は拍手をしてくれたが、多くは、何が起きているか分からないといった印象だった。頑張って盛り上げようとしてくれている施設職員の、オーバーなリアクションが余計に胸に刺さる。一通り公演を終えて片付けをしている時、ふと入所者の車椅子の女性が、お手玉をしているのが眼に入った。鮮やかな和柄の赤や青いお手玉が宙に浮いては落ちていく。

「お上手ですね」

 祖母が懐かしかったのかもしれない。大吾は思わず話しかけていた。女性は何も言葉を返さず、ただニヤリと笑ってお手玉を操っている。そもそも、大吾がマジシャンを志したのは、幼少期に祖母のお手玉を見たことがきっかけだった。「自分もすごいものを見せて誰かを驚かせたい、楽しませたい」と思った。ふと、宙に浮いたお手玉が放物線を描いて自分の方へ飛んできた。最初は落としたのかと思ったが、車椅子の女性はニヤニヤ笑って、他の2つも放ってきた。女性は何も言わなかったが、『アンタもやってみな』と言われたような気がした。大吾はニコリと笑い返し、3つのお手玉を宙に放った。ジャグリングは専門外だが、祖母に習って子どもの頃によくやったから、身体が覚えていた。そうしていると、いつの間にか女性から、もう1つお手玉が放られた。

(4つか。まぁできなくはない)

 少し難しかったが、なんとかこなせた。ところが、更に一つお手玉が飛んできた。さすがに処理しきれず落としてしまった。

「いやぁ、5つは無理でしたね。俺もまだまだだな」

 落ちたお手玉を拾い上げ、大吾は女性に返そうとしたが。

「・・・は?」

 車椅子に乗った女性の膝には、お手玉が山積みになっていた。ざっと数えても30個程度は乗っていた。

(さっきまで、こんな数のお手玉は無かった。これじゃあまるで、消失マジックじゃないか)

「お婆さん、一体・・・」

 女性は膝に乗せていた多くのお手玉を両手に持てるだけ持ちあげ、今度はそれを一気に放り投げてきた。

「うわっ」

 大吾の視界が真っ白になる。当然だ。眼に見えるのはバサバサと羽ばたく白い鳩の群れ。お手玉が、鳩に変わった・・・ように見えた。そしてしわがれた声が耳に残る。

『しゃんとしな、若造』

鳩は大吾の周囲を翻弄するように飛びしきり、そして施設のホールの窓から外へ出て行った。気がつくと、車椅子の女性の姿はなくなっていた。


 錆びれた夕方の商店街を、大吾はぷらぷらと歩く。今日起きた出来事を頭の中で反芻する。

(自分もプロだ。タネは分かる。でもどうしてだろう。新鮮な気持ちになった。人を楽しませたいと思って始めたマジックが、いつの間にか生活のためのマジックになってたからか。ばあちゃんのことで、余裕がなくなってた。でもマジックをやるのに、場所や相手を選ぶ必要は無いんだよな。思えば婆ちゃんも)

 採算を気にせず低価格で提供されていた、祖母ミツのあんみつ。

(婆ちゃんは儲けたかったわけじゃなかったんだ。婆ちゃんが望んでたのは、皆の・・・。俺の・・・)

 目頭が熱くなる。熱い涙が頬を伝う。


 ふと、甘味処の小店が目に留まった。

(新しくオープンしたのか)

 店先には、“お品書き”と書かれた板が掲げられている。

(あるじゃん)

大吾は暖簾をくぐった。

「えらっしゃいやせー」

 店主はクセのある話し方だ。

「大将。クリームあんみつ、もらえますか。クリーム、マシマシのマシで」

「あい、ありがとぅーう、ございぇあーすっ」


 ミツの葬式以来、食していなかったクリームあんみつ。

 それはとても甘くて。

 そして、少ししょっぱかった。

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大吾の晩餐 ぶんぶん @Akira_Shoji

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