39.その後の顛末

 そこはラギュワン師の館にて私にあてがわれていた一室だった。


 長い夢でも見ていたのだろうか? 一瞬、そんな惚けた事も考えたが左足の痛みが私を現実に引き戻す。


 私はアーヴェスタ館での戦いに生き残ったのか……スラーニャはっ!


 慌てて身を起こして周囲を見渡すとベッドの脇に置かれた椅子に腰かけ、簡易なテーブルに頭を突っ伏して寝入っている女性の姿が目に入る。


 金色の髪に同じような色味の柔毛に覆われた狐に似た耳を持つ女性はロズ殿に他ならなかった。


「……」


 私の世話をしてくれていたのだろうか、悪い事をした。


 しかし、スラーニャはどうしているだろうか?


 寝入っているのか、それとも……。


 そんな事を考えていると、扉が開いて小さな影が入って来る。


「ロズさん、交代の時間……っ!」


 その小さな小さな私の大事な娘は緑色の瞳を丸くして、上体を起こしている私を少しの時間だけ見つめて。


「起きたよっ! おやじ様が起きたっ!!」


 大きな声を発したのである。


「な、何じゃとっ! ――っと、き、貴公! 良くぞ……良くぞ目を覚ました! スラーニャちゃん、ほら、おやじ様が起きたぞ!」

「アタシが言ったんだから知ってるよ」


 慌てたようなロズ殿を見やって、呆れたように笑ったスラーニャは私の傍に来た。


「おやじ様、おはよう」

「おはよう。よく無事に抜け出せたな? ――アゾンは?」

「ラギュワンお爺ちゃんに雑用させられてる。あの後ね、アシヤさんがリマさんとかに話してあったみたいでルード神殿から領主様を助けたって報せが入ったんだ」


 確かに芦屋あしや卿が大司教とやらに言っていたな、影に隠れてルード神殿に文を投げたりなどと。


 それはつまりカーリーンの居場所を報せたのか。


「アイヴァーは?」

「あやつならばロニャフ王の元に差し出された。ロニャフの王が言っておったぞ、お主ら親子には悪いがアイヴァーは我が手で処断させてもらうとな。この館についた頃には処刑の知らせが駆け巡っておったわ」


 ロズ殿の言葉にふぅと息を吐き出す。


 そうか、アイヴァーは死んだか……。いや、待て。何故そこでロニャフの王が出てくる?


「ロニャフ王は何故?」

「ルード神殿と言えども、王の許可なく軍事行動など出来まい? 神殿勢力がアーヴェスタの当主を助けたのであれば、それは王の知るところ。沙汰を降す前に好き勝手してくれたアイヴァーに向けて、兵を放つどころか自身で乗り込んで来おったわ」


 アイヴァーは確か王の裁きを待っている状況だった筈。


 それが勝手に動けば遅かれ早かれそうなっていたと言う訳か。


「ならば……我らの行動は無意味だったか?」

「無意味ではあるまい。我らの行動があってこそ被害少なく済んだのだと王は言っておった。それに、司教共がお主らに倒されたからこそ、互いに連絡が取れない事態に陥ったそうだ」


 全ては芦屋卿の手の内か。


 鞍馬判官くらまはんがん流は剣術のみならず兵法にも精通している。


 その全てを駆使したのだろうが、恐るべき人だ。


「キケとテクラは無事なのか?」

「……そちらはちと手違いがあったようでな、安否は不明じゃが……」

「キケちゃん達の守りにはエルフの騎士さんとおやじ様と戦った剣士と仲間たちが付いてるって」

「イゴーと……誰だ?」

「アゾンが弟子入りする際にやりおうたろう? 水面がどうとか言っていた……」


 ワイズか、思わぬ所で思わぬ名前を聞いた。


 だが、イゴーとテクラだけでもキケを守り通せるだろうが、ワイズも一緒だとすると裏切りなどなければまず大丈夫か。


 シャーランの射手たちは剣士を下に見る事が多いが、ワイズの剣技には驚く事だろう。


「そう、か。そう言えば芦屋卿は?」


 私が問うとロズ殿は肩を竦めて。


「あとで当人に聞けば良い。今頃、書斎で本でも読んでおるじゃろう」


 つまりは付いて来ているのか? あまり人とつるむ性質でもなかった筈だが……。


「あのね、おやじ様」

「うん」

「おやじ様ずっと寝てたんだよ? ラギュワンお爺ちゃんの館に来るまでも、来てからも」

「そう、か。あれから何日たったんだろうか?」


 私は寝ていた月日を悔やみながら問いかける。


 一日剣を振らねば腕が落ちると言うのに、どれ程落ちてしまったのかと。


「馬車を借り受け急ぎ館に運ぶまでに三日、それから十二日は過ぎたか」


 ロズ殿の言葉に眩暈を感じた。


 これは、よほど修練せねば取り戻せぬ。


「あのね! おやじ様!」


 私が気もそぞろになったことに気付いてか、スラーニャが声を張り上げた。


「その間心配したんだよ! アタシも、ロズさんも! ロズさんなんてほとんど寝ないでお世話してたんだからね!」

「ス、スラーニャちゃん!? それは言わぬ約束じゃろう!」

「おやじ様そう言う所は鈍いから言わなきゃ分かんないよ!」


 スラーニャが頬を膨らませて抗議するも、その言葉にロズ殿が慌てて声を掛けた。


 顔が赤くなっているようにも見える。


 しかし、それほど寝ていて起きぬとあれば心配をだいぶ掛けていたか。


 それを忘れて剣の事ばかり考えていたのでは、人として間違っている。


 良くぞ教えてくれたと感謝の念を抱きつつ、スラーニャとロズ殿に向かって。


「確かに、言われねば分からなかった。心配を掛けたな、すまなかった」


 頭を下げながらそう言うと、彼女たちは一度顔を見合わせて。


「ま、まあ、分かれば良い。そうじゃろう、スラーニャちゃん」

「本当に分かっているのかなぁ?」


 そんな話をしている。


 それにしても……。


「スラーニャちゃん?」


 私が思わず呟くと、スラーニャはにんまりと笑みを浮かべて。


「そう呼んで貰う事にしたの」

「う、うむ、その方が良いと言うのでな」

「アタシはロズママって呼ぼうと思ったんだけど」

「ママはまずかろう、ママは……」


 そう言いながらちらりちらりとロズ殿はこちらを伺ている。


 その視線に、何故か妙な気恥しさを覚えた。


 何かを言うべきなんだろうが、何を言えば良いのか良く分からぬ。


 何を言うかと悩んだ時に扉を叩く音がした。


「家族のだんらん中にすまんが入るぞ、神土かんど中尉」


 その声は芦屋卿の物だったが、何故にか大層楽しそうな響きがあった。


 が、彼がもたらした話は楽しい所の話ではなかったのだ。


<続く>

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