32.同郷の男

 ただ一人、私だけが理解できる言葉で伝えられた内容は衝撃的な物だった。


 アーヴェスタ家の前当主アイヴァーは屍神教団ししんきょうだんの力を借りて、現当主カーリーンを幽閉し、人質とすることでサレス殿を始めとした家臣団を意に従わせていると。


 ……己の娘を人質とするなど、正気とは思えない。


 更にはシャーランに対する働きかけも見せかけに過ぎず、このままではジェスト家の者は処断されるであろうとも書かれていた。


 最も、そちらは人伝に救助を依頼した為、小僧とメイドの命だけならば助けられるだろうとも書かれていた。


 書を読む私の顔が険しくなることに気付いたのかロズ殿が問うた。


「貴公、その文字らしきものが読めるのか?」

「これは故国の文字だ。アルカニアにはない国の、な」

「何だと? ……それで何と書いてある?」


 問われて私は返答に迷ったが、書かれた全てを伝えた。


「なに?」

「そんなっ!」


 ロズ殿とアゾンが悲鳴にも似た声を上げた。


「キケちゃんは大丈夫なの?」

「この投げ文を書いた御仁が私の想像通りの人物ならば手抜かりはないだろう」


 スラーニャの問いかけに答えるも、投げ文にはこう続いている。


 アーヴェスタ家のごたごたは貴様がどうにかするしかないぞ、神土かんど中尉……と。


 私を階級付で呼ぶ者などこの地にただ一人だけだろう。


「この文を書いた者は知り合い……なのだろうな」

「ああ。故国の公家……いわば貴族だった方だ」


 ロズ殿の問いかけには頷きを返す。


 この投げ文を書いたのは間違いなく芦屋大納言あしやだいなごん忠房卿ただふさきょうその人だ。


 私は彼の人の依頼を受けた事でこの地に流され……いや飛ばされたと言うべきなのか。


 彼の人物の顔を思い浮かべると同時に、刹那に思い出すのはあの月夜の死闘の事だった。


※  ※


 あれは夜半の事。


 芦屋あしや卿の指示で私は刺客としてとある公家を襲う手はずになっていた。


 標的の名も芦屋忠房卿。


 当人が仕組んだ自分に対する襲撃事件だが、これは狂言ではない。


 言うなれば自殺の手伝いだが、芦屋卿の語るところによればそれも少しばかり違った。


 私は闇に身を潜ませながら芦屋卿が語った言葉を思い出す。


「良いかね、神土かんど中尉。数百年の齢を生きる邪悪な妖術師が国政を操らんと蠢いておる。これを討って貰いたい」


 その日は護衛と言う名目で芦屋卿に碁の相手をさせられていたが、その際にいきなり依頼されたのだ。


「その様な存在が何処に?」


 思わず問いかけると丸眼鏡の位置を指先で直し、一息ついてから芦屋卿は己を指さした


「馬鹿な事を申されるな」

「他者に体を良い様に使われる事ほど馬鹿な事はない。ましてやそれが国を害し、民を害し、俺の家族にまで害をなそうとする。許せるものかよ」


 芦屋卿の言葉はいつになく荒く、ゆえにそこに嘘は無いように思われた。


 それが事実ならば一大事ではあるが、果たして妖術なるものが存在するのであろうかと当時の私は訝しんだ。


 そして、なぜ私に打ち明けたのか皆目見当が付かなかった。


 剣の腕を頼りにしている私には、護衛の仕事はうってつけであった。


 ある日、若いながらも国政を動かす芦屋卿の護衛も担当する事になり、そこで知己を得て碁を打つ様な仲にはなった。


 だが、今回のような荒唐無稽な、それでいて本当であれば国を揺るがす一大事を告げられるほどの仲では無い。


 理由を問うても言を左右にされるばかりで、やるかやらないかだけ言えと言われてしまうと結局、断るに断れずなし崩し的に引き受けた。


 そして、未だに迷いながら闇夜に身を潜ませる私の前に事前の打ち合わせ通り芦屋卿が一人で共も付けずに門扉から出てくるのを認めた。


 どうする? そう逡巡した私はじっと芦屋卿を見据えていたが、その有様に驚いた。


 門扉から出てきた男は異様な雰囲気を纏っていた、いや、異様等と言う生易しい物ではなく邪悪で吐き気を催す気配を纏っていたのだ。


 その邪悪さが、芦屋卿の数々の言葉を肯定していると強く思えた。


 アレはあの公家か? 人を食ったような所は有ったが、あのような邪な気配を纏う方では無かった。なるほど、妖術師か……。


 私は奴は別人であると決断を下す。


 妖術師と呼ぶにはふさわしい邪悪な気配に僅かに身が竦む思いがする。


 或いは、二つの人格が宿る病もあると言うが、芦屋卿はそれを患い、何やら悪事に手を染めているが止められない状況なのかもしれない。


 どちらであるにせよ、アレは止めねばならない。


「お出かけでございますか、芦屋卿」

「神土中尉か……いつぞや頼んだ件は戯れであるぞ」

「そうでございましょうね」


 行く手を阻む様に進み出て、言葉を交わす。


 襲撃の意志は無いと笑って見せるも芦屋卿が警戒を解く様子は見えなかった。


 さて、どちらが先に抜いたかは今となっては定かではないが、自ずとそれぞれの流派の構えを取っていた。


 鞍馬判官くらまはんがん流と呼ばれる流派の使い手である芦屋卿はベルトに吊るしていた軍刀を抜き、まっすぐにこちらに向ける。


 一方の私は、ただトンボに構える。


 芦屋卿のインバネスコートの裾が揺れると、私の外套が呼応するように揺れた。


 僅かな静寂。そして続くのは踏み込む足音。


 稲妻よりも早く、常よりそう心掛けているトンボよりの切り下ろしは虚しく夜陰とコートの一部を裂いたのみ。


 丸眼鏡の奥で双眸を細めた芦屋卿は勝利を確信したように笑みを浮かべるも、切っ先を私に突きだす事は叶わなかった。


 我が刃は跳ね上がり、切り下ろした速度と同等かそれ以上の速さで芦屋卿の体を袈裟懸けに切り上げたからだ。


 血飛沫が舞う中、驚愕の相を浮かべた芦屋卿に私は告げた。


「我が流派は早さを貴びますれば、打ち下ろしは無論、切り上げも相応に」

「……馬鹿な、こんな若造に……」


 芦屋卿は苦しげに呻き、そして一層驚きをあらわにしながらもだえ苦しみ地べたに転がった。


「計りおった……計りおったな、芦屋忠房っ!」

「……ははっ、いやいや。良くぞやってくれた、神土中尉! これで私は自由ぞ!」


 悶える芦屋から二人の声が響く。片や怒り狂い、片や喜色に満ちていた。


「このジュダイアが死ねば貴様とて死ぬのだぞ!」

「元より承知! 身分に縛られるのも辟易していたと言うのに、魂まで縛られてたまるものかよ! ましてや、俺の身体で俺の家族を害そうなど……片腹痛いわ!」


 妖術師すら掴み損ねた芦屋忠房と言う人物の性質が今、吐露されていた。


 たとえ死すとも己の自由と家族は守り通そうとする意志には気高さすら垣間見えた。


 普段は食わせ物としか思えない男ではあったが。


「このような、島国で……」


 妖術師は絞り出すような声でそう呟くと、己の血で地面に印を描き始めた。


「己……若造どもっ! これが我が最後の術……、異界に飲まれよ! 彼の地で我が研究の全てを……妄執と消えゆく神の融合を見よ!!」


 その言葉と共に紫電が私を貫いた、絶命の危機ではあったがどうにかこれに耐えた私が次に目を覚ますと太陽が一つだけの空が視界に飛び込んできたのだ。


 つまりはこれが、私がこの地にやってきた顛末である。


<続く>

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