30.平穏の訪れ
まるで隙の無い初老の男の言葉から、私はスラーニャの実の父がその権力を失った事を悟った。
「一体、何が在ったのさ? アタシが訪れた時はまだ前当主はご当主様だったはずだよ?」
リマリア殿が問いかけると初老の男は小さく頷きを返して。
「戸惑い、計略かと警戒されるのは当然。順を追って説明いたしますと、前当主であるアイヴァー様の行動は道義にもとる点があると奥様が伏せておられる寝室に投げ文がありました。行方不明となったアイヴァー様の側室ラスメリア様は亡くなられ、当時の赤子は今も命を狙われていると」
「アンタら家臣は知らなかったのかい?」
奥方には情報を伏せていたと言うのはまだ分かるが家臣にまで伏せるのかとリマリア殿は訝しげに問う。
「知っている者もいたようですが、大半は存じ上げませんでした。言うなれば派閥のような物がありましたので……」
「奥方派が今回の経緯に気づいて、これ幸いに動いたと?」
「正確には現当主が妹が命を狙われているのは納得できないと」
初老の男は当主がそう判断した事を誇りに思っている様に穏やかに、しかし自信たっぷりに告げた。
そこには当主に向ける愛情のような物を感じた。
が、リマリア殿は慌てたように問いかける。
「お、お待ちよ! この子の、スラーニャちゃんを妹と呼ぶって事は今の当主は――」
「アーヴェスタ家の現当主は長女カーリーン様でございます」
「まだ十になったかならないかの歳だよ?」
「貴族として生まれた以上は義務があると仰せでして。また、父の非道を捨て置けばお家がつぶれると」
……だんだんと事の顛末が見えてきたぞ。
最初に野盗を呼び寄せたのは前当主で間違いがない。
だが、奥方を含めた現当主派に行いがバレてしまった。
一方で現当主や家臣たちは父の行いに領民や王に対して言い逃れできる状況を造り上げねばならなかった。
そこで標的を不明瞭にしたうえで改めて野盗を呼び寄せ、捕えようとしたのだ。
一日早く私がこの街についた事で騒ぎが起きたが、返って現当主にも好都合だった筈だ。
全て最初から画策していた事と押し通せるのだから。
「事情は分かりましたが、まずは確認したき事が。アーヴェスタ家はもはやこの子の命を狙わないと言う事で宜しいか? それと前当主はどうなされた?」
「狙いません。場合によっては子を引き取るべきかという話も出ましたが、それは止めに致しましょう。話を聞くだにあなた方は立派な親子。その仲を裂くべきではない。前の当主アイヴァー様は今は入牢されており、王の裁可を待っております」
私は、その一言を聞いて大きく息を吐き出した。
そして、思わず告げていた。
「この子と血の繋がりのある者を殺さずに済んで良かった。何より、この子をこれ以上死地に連れ行くことなく済んで良かった……」
「おやじ様?」
私の傍で裾を掴んで一応は話を聞いていたスラ―ニャを抱え上げると彼女は不思議そうに笑った。
「重ね重ね、我らの不徳。申し訳ありません」
「いや、アーヴェスタ家が正道に立ち戻られたのならばこれ以上言うことは無い。無益な争いは終わり、平穏を享受できます」
再度頭を下げる使者殿に、私は思った事を口にする。
長い戦いだった。
本当に長かった。
多くの人の力を借りながらスラーニャを育て、どうにかここまで来た。
もしかしたら、私の役目も終わったのかもしれないが……それでも、この子の未来が平穏であれば良い。
そんな事を考えていたら視界がぼやけだした。
「おやじ様、泣いているの?」
「泣いているかね?」
「おめめに涙たまってるよ? どこか痛いの?」
「痛くない、嬉しいんだよ」
そう告げながらスラーニャを抱きしめる。
少し戸惑ってからスラーニャは私の頭を撫でてくれた。
「ここの野盗を追い払って頂いたとか、幾ばくかの謝礼をお渡しする事になりましょうが、まずは失礼させていただきます。少ないとはいえまだ野盗が残っておりますので」
我ら親子に気を使ってか、そんな事を言いながら使者殿は再度頭を下げて宿を出ていく。
「失礼ながら使者殿のお名前は?」
「カーリーン様の教育係をしております、サレスと申します」
そんな言葉を残して初老の男は去っていった。
……サレス。その名に聞き覚えがあるどころの話ではない。
まさか、天流七派の一派である聖サレス流を興した剣聖サレス殿か?
「世の中広いですな、ラカ殿をも凌ぐような達人に出会うとは」
バルトロメ殿が小さく息を吐きだして緊張をほぐしていた。
「でも、そんな凄い人がもう大丈夫って言ったって事は、本当に大丈夫って事ですよね?」
「そうですね、キケ様。天流の一派を創設された方が言うのであれば、まず約束は違えられません」
シャーランの主従コンビがそんな話をしている。
その通りだと思う。最早、スラーニャに無理に戦いを教える事もない。
スラーニャはこの先、普通の子供たちと同じように遊んでいても良いし、どこかの村に定住して友人を作っても良いのだ。
何より、実の父と殺し合いをさせずに済む。
骨肉相食む争いなどさせたくもない。
そんな風に安堵の息を吐き出すと、先ほどからロズ殿が喋っていないことに気付いた。
ふと、ロズ殿を見るとフードを目深にかぶって肩を震わせていた。
声を掛けようかとも思ったが、リマリア殿が私に気付きそっと首を横に振る。
「ここは聖サレスに習うが良いさね」
我ら親子に気を利かせ去ったサレス殿のように今はそっとしておけと言う事だろう。
「そう、だな。……アゾン!」
私は今一人、沈黙を守っていたオークの青年に声を掛けた。
「は、はい!」
「これで君を気兼ねなく鍛えられる、ビシバシ行くぞ!」
「はい、先生!」
私は未来に明るい物を感じていた。
それは僅かな時間の間だけだったけれども、心からそう感じていたのだ。
あの投げ文が来るまでは。
<続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます