16.亜人の女
家屋を前にして殴られた男が悲鳴をあげながらのたうつ。
その声に反応したのか扉の中から声が掛かった。
「派手にやられておるのぉ」
「あと数名残っている、暫し辛抱されよ」
「ああ、貴公、そこにおったのか。恐るべき手練よのぉ」
亜人の女は可笑しげに応えを返した。
……奇妙な女だと思う。
思いはするが、そこには嫌悪の感情は無かった。
ゆえに私自身のこの心の在り方も奇妙に思えた。
さて、戦において余計な考えは死を招く。切り替えていかねばならない。
のたうつ男に止めをくれてから、残敵の数を数える。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……全部で七つか。
そのうち六つは斬り捨て、一人から情報を聞きたい所だが……あの様子では一人残すのも危険か。
そんな思案をしながら手ごろな石が落ちていたので拾う。
その最中にも残ったイナゴ共が、口々に罵声や怒声をあげながら統制もなく群れてくる。
策も何もない分、勢いだけがあるばかり。
戦いにおいて勢いは大事な物ではあるが、それは自分で制御できてこそ。
かように何も考えず恐怖のままに突っ込んでくるなど、正気の沙汰とも思えん。
正気とも思えないような連中だからイナゴと呼ばれる振る舞いをするのだろうが。
ともあれ、私も連中に駆け寄り、剣を振るい、
一人残すつもりはあったが、こうも猛られては下手な手傷を負わせるだけでは被害が出る。
恐怖からの猛りであろうと推測するが、それを悟られまいと蛮勇に蛮勇を重ねる輩は幾らでも見て来た。
この様な連中を集めていると言うのであれば、程なくして噂にもなるだろう。
それに似たような連中に遭遇する事は難しい話でもない。
もう少し接触の仕方を考えて情報を得られるようにするべきか。
……それには、今少し人間らしい相手で無いと意味はないが。
ともあれ、私がイナゴ共を斬り終えると辺りは静かになった。
亜人の女が操っていたであろう死人も今は糸が切れた人形のようにへたり込んで動かない。
ずたずたに引き裂かれた老人と娘の亡骸を他の連中の死体と混ざらぬように脇へと運び上げる。
何度か往復するうちに静かになったことに気付いてか、家屋から閉じ込められていた人々が顔を出した。
そして、一様に言葉を失ってたように呆然と周囲を見渡している。
僅かな例外はあったが。
「貴公、礼を言うぞ」
私の傍にスラーニャとともにやって来た亜人の女も例外の一人。
その彼女が礼を告げた。
「イナゴを斬ったのは我ら親子の為でもある」
「生憎とそちらではない。貴公のその娘と老人に対する振る舞いに感謝しておる」
老人と娘の亡骸に亜人の女はそっと触れて、祈りの言葉を捧げた。
「……おやじ様」
「どうした」
スラーニャは元気無さそうに暗い声を出す。
何か恐ろしい目に合ってしまったのだろうかと、屈みこみ目線を合わすと緑色の瞳でまっすぐに私を見据えて告げた。
「アタシね、昨日、歩いたでしょ? いつもより長く」
「ああ、そうだったな」
「アタシが歩くより、おやじ様に抱えて貰った方が早い、よね?」
「……そうだな。だが、そうであったならばきっとこの街には来ていない、まっすぐに目的地に向かっただろう」
スラーニャが何を気にしているのか分かった。
彼女が歩いた事で移動速度が落ち、結果としてこの二人を助けることができなかったと考えたのだろう。
それは優しさからくる後悔ではあるが、下手をすれば傲慢につながる。
ゆえに否定の言葉を使ったが、果たしてこれで良かったのか。
私の言葉にスラーニャは視線を伏せて、足元の石を蹴った。
「優しい子じゃのぉ。さりとて、貴公のお父上の言う通りじゃ。この街を救えたのはお主が歩いたおかげ、そう考えても良いのではないかのぉ?」
イナゴの如き野盗の群れが襲った街じゃ、全滅しなかっただけ喜ぶべきことだとも言い添えて。
「なんで、前の街とか、この街とか野盗がいっぱいなの?」
「余は世情に疎いゆえにそれが普通かと思っていたが、違うのか?」
スラーニャは居た堪れなさからか、そのような疑問を口にして亜人の女が答える。
が、私は思わず視線をそらしてしまった。
先ほど野盗から聞いたばかりだ、アーヴェスタ家がスラーニャを殺すためにこの様な荒くれ共に声を掛けているのだと。
それを口に出す事が忍びなかった。
だが、スラーニャは私の態度に何かを感じただろう、そして賢い子ゆえに気付く、自身を殺す為だったのだと。
ならば先に父の口から伝えるべきかと逡巡していると、遠くで声がした。
「助けてくれ! 俺をあいつの元につれて行かないでくれ! あの、子連れの剣士の所に!」
何事かとそちらを見やれば、街の者や旅人連中に囲まれて誰かが平伏している姿が垣間見えた。
「……野盗の生き残りかのぉ? お呼びの様じゃ、行ってみようではないか。そして、直接聞くが良かろう」
亜人の女は告げながら自身がかぶっていたフードを背後に降ろして素顔を晒した。
金の髪に金色の柔毛に覆われピンと尖った耳が月明りに照らされ浮かび上がる。
顔立ちは美しいが緑色の縦に割れた瞳孔が人ではないと言外に告げている。
その
「そう言えば名前をまだ告げておらんかったのぉ。そうじゃな、ロズとでも呼んでおくれ」
そう告げてスラ―ニャに手を差し出して、早よ行こうと子供のような無邪気さで笑みを深めたのである。
これは、不味い。
親たる者が持つべき感情ではない。
私は自分が何を思い何を感じたのか悟る前に、その思いを胸中の奥底に沈め込む。
優先すべきは、何より我が子、と。
<続く>
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