織木さんのアグリコラ

機械科ボイラーズ

第1話 織木さんの心のかまど

何もかも、ただの暇つぶし

 ある日の放課後、クラスメイトの男の子に校舎裏に呼び出された。そのことが友達にバレると早速「キャー、羊子ようこどうすんの? どうすんの?」などと囃し立てられ、「いやいや、ちょっと断りに行くだけだから。付き合うつもりなんてないから」と応じて見せると、「だよねー」と急に冷めたテンションで返された。

 私を呼び出した相手は……ええと、確か石積いしづみ君だっけ? 私より背が低くて(もっとも、私は女子の中ではかなりタッパはある方なのだけど)、地味で、いるんだかいないんだかよくわからない、言っちゃ悪いけど冴えない男の子。

 彼を異性として意識したことなんてなかったし、そもそも今のところどんなイケメンが相手であろうとも恋愛なんぞに興じるような心持ちではなかったので、お断りの返事をすると心の中で決めるのに1秒もかからなかった。こうして校舎裏に向かって歩を進めている最中にあっても、提出し損ねたプリントを職員室に持っていくときのような心境にしかなっていない。トキメキ? それ、食べ物ですか?

 ……高校生にもなって、そういう話に何の興味も持てない私もどうなんだろう、とは思うのだけど。




「お、織木おりきさん、来てくれてありがとう!」

「どういたしまして」


 私の顔を見るなり深々と頭を下げてお礼を言う石積君に対し、私は不愛想に返事をした。いくらなんでもぶっきらぼう過ぎたかもしれないと言った後に思ったけれど、どうせ断るつもりなんだし、最初から期待なんて持たせない方がいいよね。


「それで、私に話って?」


 さっさと話を終わらせようと、彼に続きを促す。なお、失礼極まりないことに頭の中では、冷蔵庫に入れておいたエクレアの賞味期限まだ大丈夫だったっけ、などと考えていたのだった。


「じっ、実は織木さんには僕と……」


 頭を下げているから顔は見えないけれど、耳まで真っ赤にしているから石積君がどんな表情をしているのかはわかる。声だけでも緊張しているのは伝わってきた。あー、この人には一世一代の告白なんだろうなー。私って酷い女だなー。なんて言って断ろう。「誰に向かって言ってんの?」 いやいや、さすがにこれは酷過ぎでしょ。やっぱり「ごめんなさい」が無難かな?


「アグリコラをして欲しいんだ!」


 一瞬、いや一瞬どころかその後もしばらくの間、何を言われたのか理解できなかった。


「…………は?」


 あぐり……何? 私の聞き間違いじゃなければ、「あぐりこら」とかいう単語? が聞こえてきたんだけど?


「あの……石積君。あぐりこらって何?」

「あ、ごめん、いきなり言われても何のことだかわからないよね。アグリコラっていう名前のボードゲームがあるんだ」

「ボードゲーム……? 人生ゲームとかそういうやつ?」

「人生ゲームもボードゲームだけど、アグリコラはもっと戦略性があって、より大人向けなんだ。ドイツ製のゲームで、日本ではまだまだ知名度は低いけど、ドイツではもっと一般的に遊ばれてて、家族でボードゲームをする文化が根付いてるんだよ」

「へ、へえー……」


 急に饒舌に語り出した石積君に、私はすっかり困惑してしまった。何これ、どういう状況なの。アグリコラとかいうボードゲームを一緒に遊ぼうと声をかけるためだけに、私、校舎裏に呼び出されたの?


「あの……石積君。一応確認しておきたいんだけど、そのアグリコラってゲームに付き合って欲しいがためだけに、私をこんなところに呼び出したの? 本当は私のこと好きって告白しようとしたけど、急にビビリ入って、わけのわからないことを言って取り繕おうとしてるとか、そういうことではないんだよね?」

「い、いや、織木さんのことは……そ、その…………好きだよ」


 うわ。結局告白されてしまった。


「ホントに?」

「う、うん」


 すごいな。石積君、メチャクチャ顔真っ赤だ。人の顔がこんなに真っ赤になったところ、初めて見た。


「だけど、僕、考えたんだ。僕と織木さんじゃどう考えても釣り合わないし、告白しても付き合ってくれる確率なんて0パーセントだって」


 まあそりゃそうでしょ、と返せるほど私は残酷ではなかった。心の中では思ったけど。だってしょうがないじゃん。私と石積君が付き合っているところを想像できる人なんている? 口に出さなかっただけでも褒めて欲しい。


「だけど、アグリコラに誘うぐらいなら、もしかしたら、1パーセントぐらいは良い返事がもらえる可能性があるかもって思ったんだ。あ、でも、嫌なら断ってくれても全然構わないから!」

「……うーん……」


 私は目を閉じ、寄せた眉根に中指を当てて考え込む。なんだか頭が痛くなってきたけど、落ち着いて状況を整理しよう。しばしの沈黙。しばしの思考。……うん、わかった。つまり、こういうことだよね?


「いきなり付き合ってくださいって言ってもOKされるわけないから、まずは友達付き合いから始めましょうってことだよね? で、アグリコラとかいうゲームをそのキッカケにしたいと」

「は、はい。その通りです」


 なんで急に敬語になってんのこの人。


「なるほど……下心アリアリなわけね」

「そ、そりゃないとは言わないけど、でも、今は織木さんと付き合いたいだなんて、そんな大それたことは考えてない。それよりも、僕は織木さんと一緒にアグリコラが出来たら楽しいだろうなって、そのことばかり考えてた」

「はあ……よっぽど好きなのね。そのアグリコラってゲーム」

「うん!」


 間髪入れずに返事をした彼の表情は、屈託のない笑顔だった。不覚にもその笑顔に、固い地面に根を下ろしていた私の心がほんの数ミリだけ押し込まれたような、心の何かが軋む音を聞いたような、そんな気がしてしまった。

 本人も言っていたけど、下心はあるのだろう、と思う。だけど裏表はなさそうだ。少なくとも、アグリコラが好きだと言ったその気持ちだけは信じてあげよう。そう思った。


「アグリコラって、どこでやるの? 2人でやるの?」

「ぼ、僕の家で……普段は妹と二人で遊んでるんだけど、織木さんも入れて3人で遊べたらなって思ってる」


 ふーん。妹さんいるんだ。石積君と2人だけならどうしようかと思ってたけど……妹さんと3人なら、まあいいか。


「わかった。いいよ」

「えっ!? 本当にいいの!?」

「うん。今日これから、石積君の家でやろう」

「き、今日!? いきなり!?」


 嬉しそうにびっくり仰天している石積君に対し、私は斜め下に視線を逸らしながら返事をした。自嘲めいてるって言うのかな、こういうの。


「いいよ。どうせ暇だし」





 そう。私は高校に入ってから、ずっと暇をしていた。中学まではバドミントンをわりと真剣に――いや、周りが引くぐらい真剣にやっていたのだけど、オーバーワークが祟って膝を壊した。リハビリした結果日常生活には支障ないレベルには回復したものの、競技としてバドミントンを続けるのはあきらめなさい、と医者に宣告された。

 それで、私はいきなり暇になった。しばらくの間は毎日をどう過ごしていいのかもわからなかった。そのうち友達とカラオケに行ったり買い物に行ったりと、女子高生らしいことをポツポツとするようになった。それなりに楽しかった。

 柄にもなく勉強を頑張ってみたりもした。成績が上がって、先生や親に褒められた。まあまあ嬉しかった。

 バドミントンをしていた頃は短くしていた髪も、高校に入ってから伸ばし始めた。久しぶりに昔の友達に会ったら「へえー、いいじゃん! 絶対こっちの方が似合ってるよ!」と言ってもらえた。ちょっと照れ臭かった。

 バドミントンはできなくなったけど、そういう状況の変化に私は順応できた。前より友達は増えたし、毎日はそれなりに楽しかった。


 だけど、心の中に燃え上がるようなものは、何もなかった。バドミントンという名前のかまどにくべようと思って積み上げていた薪の束はガラガラと崩れ落ちて、今も床に散らばったままだ。


 生きていれば、楽しいことはきっとこの先たくさんあるだろう。だけど、バドミントンと同じぐらい情熱を注げるものには、おそらくこの先出会うことはない。アグリコラとやらに付き合ってあげることにしたのは、ただ、暇だったから。


 何もかも、ただの暇つぶしだ。

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