スカー・レッド
御伽ハルノ
プロローグ
——————自分の流した血を眺めるのはこれで何回目だろう
江波柚亜(えなみゆあ)は鬱屈した笑みを零しながら呟いた。
彼女は常に完璧を目指す少女だった。
学力試験では常に十位以内をキープ、部活動でも一年生の頃から優秀な成績を出し、今年も期待がかかっている。
また、人当たりもよく、誰にでも親しみ深く交流しているため、周囲の人間は皆彼女に好意と尊敬を抱く。中にはファンクラブまでできているほどだ。
事実、先ほどまで仲のいいクラスメイトと談笑している時でさえ、後輩の女子生徒数名に声をかけられていた。
どんな時でも柚亜はその期待を裏切らない。程よく愛想を振りまき、程よいタイミングで話を切り上げられるように会話を運び、席を外す。
そのまま女子トイレに移動し、周りに誰もいないことを確認して一呼吸、緊張の糸がほどけ彼女の瞳から色が失せる。
長袖のセーターを捲り、ポケットからカッターナイフを取り出し、刃を軽く左腕に当てる。
そして————————————————————————————————————
「イッ……たぁ……はぁ……はぁ……」
柚亜は自身の腕を切りつけた。
薄く破れた皮膚はプツっと赤く染まり、血が流れ出す。
腕を伝って滴る血液を、柚亜はハンカチで受け止めて拭き取る。
しかし思いの外深く切ってしまったのか出血は止まらず、慌てて止血しようと腕を押さえつけるが……
「ハハ……何やってるんだろ……」
自分を蔑むように乾いた笑いが零れた。
江波柚亜は常に自分自身が完璧であることを望む。周囲から好かれるための、期待を寄せられるための努力を病的なまでに積み重ねてきた。
『勉強』『スポーツ』『コミュニケーション能力』人に求められることなら他を振り向くことなく、まるで誰かに必要とされない自分を呪い殺すほどの勢いと熱意で。
彼女の腕に目をやると、自傷行為が習慣化されていることが一目でわかるほどに、幾つもの傷跡が刻まれている。
柚亜は天を仰ぎ極限まで体中の緊張を解く。腕から滴る血を放ったらしに。
いつもなら気分の悪さに吐き気も催すが今日は不思議と高揚感と浮遊感が漂い、体調はすこぶる良かった。
パキンっ
少しすると、何かが割れた音がした。
いつの間にか出血は収まり、柚亜はセーターを元に戻す。
その後、裏庭のベンチに腰掛け、自販機で買ったカロリーメイトを取り出し口の中に放り込む。
作業的に済ます簡素な食事。この一連の流れが彼女に唯一無防備であることを許せる時間だ。
どこか遠くを眺めながら胃に流し込むソレは味を感じなければ匂いもしない。
この後教室に戻ればまた完璧な少女を演じなければならない。
だがそれも彼女にとっては日常のことだ。
ひび割れた校舎、焼けるように赫い昼空、機械的に同じことを繰り返す同級生、そんな中で過ごす息が詰まるような学校生活。
全て彼女にとっては当たり前のこと……
パキンっ
再び何かが割れた音がした。それと同時に傷口に奇妙な感覚が走る。
セーターを捲り傷跡を確認しようとすると……
——————え?
その瞬間、血液がガラスのような結晶に固まり、歪な刃をとなって、柚亞の右手を貫いた。
突然のことに面食らうも、不思議と冷静だった。
痛みはある。
しかし貫かれた箇所も傷口が結晶化し止血された。
——————うん、何も問題はない
怪我の一つや二つ今更大した問題にはならない。
衣服で隠せない分、注目されるかもしれないがそれもすぐに収まる。
柚亜は虚ろな目で教室へ戻ろうとした時、
パキンっ———————————————
彼女の中で何かが弾け、積み重ねられた違和感が痛みと共に身体中を巡った。
「イっ……きっ、あああああああああああ——————」
全身を体の内側から斬りつけられるような激痛。目の奥が、喉が、血管が、灼き切れるほど熱い。
柚亜はその場で悶絶を繰り返す。
しかし、驚くほど冷静に、むしろ雲がかった脳の中身を霧払いされたように、視界に映るもの全てが鮮明に見えた。
曇りなき瞳で、彼女が目にした光景は……
『理想』に生き、『傷』に生かされた少女、江波柚亜。緋色に朽ちた世界で、彼女の意識は覚醒した。
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