あの子の瞳はブルーカラー

沈黙静寂

第1話

「何で土工に就いたんだよ。あんたなら普通の企業にも就職出来ただろう」

 私の友達、前鈹まえかわ智ノちのるは女性の中では非常に稀有な肉体労働者。高校、大学時代の成績は悪くなかったはずだが、卒業して以来一年振りに会ってみれば、建築業界に飛び込んだと聞いて驚いた。

「あたし身体動かすのが好きだから。それに案外良い職場だよ。同僚の男子も真面目で面白いし」飲んでいたほうじ茶ラテが噎せて「ゲホゲボッ」言葉を咀嚼する。智ノ瑠は一応心配してくれた。

「……あんたって昔から男社会に入りたがるよね。研究開発側ならまだ良かったのに。他の女とは違うアピール?」

「男と話す方が楽しいから。工学系オタク君はつまらないけど。女子校時代は本気で退屈だったなぁ」あ、勿論皆のことは大好きだよ、と付け加えるがこの台詞にはピキリと拳が鳴る。カフェの中央、普段着からボーイッシュな女と冴えない私の対面を俯瞰する。

ひとみは広告代理店だっけ?あの会社、実際の所どうなのよ」出来れば疑問形は解いて欲しかった。

「あぁ、別に人間関係は悪くないね。ただ地獄のように忙しいけど」漸く手の空いた日曜日、久し振りの予定を彼女に組み込めた。それまでは一人で噂を辿ったバーに行き、寂しく飲んでは帰ることを繰り返して心を折っていた。

「下請けだよね?収入は?」私は問い返す。

「六畳一間のアパートで何とか暮らせる程度。貯金が溜まったら独立するつもり」一人暮らしは察せられたが、その中で薄着で仰向けになり西瓜を齧る姿はわたしの妄想だ。

「何処に住んでいる?」

「厚木の泉町辺り。こんな感じ」ラインと同時にわたしの視界に送るのは公園と隣り合う閑静な住宅地。

「仕事は具体的にどんな作業をするの?」

「根切り、掘削工事ね。基礎や杭の前、建築の初期段階に当たる」

「スコップで掘るの?3Kと言うくらいだし毎日泥塗れ?」

「『カッコイイ』も加えて4Kだね。昔から工事現場の兄さん達に憧れていたんだよ」汗に笑顔を滲ませる想像の解像度は高まったけど、その馴れ馴れしい泥を認める気にはなれない。

「生物系に憧れていたんじゃなかった?」大学時代は学部違いで関わりが少なかったので、その辺りの心理変化は追えていない。

「あたしってほら、他の人が踏まない道を歩きたいから」それはわたしも、と言おうにもステータスに異常性が反映されないので共有出来ない。

「道を造る側に回った訳か。底辺職と呼ばれて嫌気は差さない?」

「住宅業だからインフラは扱わないけど。あたしに言わせれば頭脳労働なんて機械に劣る人間の下らない戦略ゲーム、身体を使う方が持続的で健康的だと思うな」それは少なからず共感出来るが、わたしに言わせればどの職業も大した価値なんて無いのだから、エアコンの効いた部屋で作業する方が幸せだと思う。その空間を造るのが彼女達だけど。

「いつまで働き続けられると思う?家族計画は進行中?……というか、付き合っている人居ないよね?」口内で最も激しく踊っていた疑問を遂に投げた。

「まさか居ないよ」智ノ瑠は笑って答えるが、「恋愛する気はある?」訊くと「いつかは結婚したいねぇ」と、指向については舗装済みの道を歩いていた。男付き合いの広い彼女に浮いた話は無いけれど、かと言って沈んだ話が出た試しも無いので不安が拭えない。

 そこでわたしは思い切った提案を投げ掛けた。

「あんたのことがどうしても心配。一度私を職場に連れて行ってくれる?」アイスコーヒーを飲もうとした手が止まり、「えー……許されるかな」当人に拒否感は無いと知らせる台詞の後、「まぁあいつらも女子が増えた方が生産性上がるか。万に一つがあると不味いから上司に確認取って、許可が出たら連絡するよ」事故のリスクには納得しながら、思ったより都合良く話が進んだ。準備していた口説き文句の余剰はペーパーナプキンの染みとなる。

「現場には何人入る?大人数だと私も緊張するからさ」

「一緒に働く同僚が三人、一日一回訪問する上司一人、後は警備員のオジちゃん一人」

「ほうほぅ」

 こうして社会人二年生の職場見学が決まった。心は相変わらず高校二年生のままだから。二年間隠し、五年間忘れようとしていた思いが二十三回目の夏に光る。

 もっと早く会いに来れば良かった。


 翌月のある月曜日、連休を取得した私は智ノ瑠と待ち合わせし、ダンプカーの助手席に乗せられ、つまらないラジオを聴きながら現場まで運んでもらうこととなった。私より遥かに器用な運転技術が窺えて、何だか照れ臭くなってきた頃、駅ビルから少し離れた住宅地の手前に寂しげな土地が見えた。

「ここが今の作業現場」

 仕切りの側には複数のスコップやツルハシ、バケツ、メジャーが木材やパイプの上に並び、奥には都会に埋もれた土が剥き出しにあり、二箇所の深穴と一つの小山が形成され、端には確かレベルと言われる測量機器が立つ。穴の間には幼い頃はショベルカーと呼んでいた黄色い車体、ユンボが拳を休ませていた。駅の改装工事レベルを想像してしまっていたが、挨拶すれば認知し合える程現実的な距離、規模に彼女の職場はあった。

 ダンプは敷地内へ入り既に停まっている二台の奥へ着いた。出ると「お疲れ様」智ノ瑠が言う相手は群青の制服で誘導灯を構える、例のオジちゃん。そしてその横には智ノ瑠と同じ作業服とヘルメットを被った男共が三人並んで煙草を吸う。

「チノルちゃ~ん、君のお蔭で今日も頑張れるよ~」

 朝っぱらから煙草かよと軽蔑する内の一人が、智ノ瑠に抱き付こうとして本人に頭を掴まれた。おいおい、甘えた声に直様私の怒りは心頭に発する。

「痛たた。あれ、この人誰?」

「あたしの職場が気になって仕方ないあたしの友人。あと現場に捨てんな」智ノ瑠に凭れながら、私に気付いた茶髪チャラ男は「あ、どうもッス」二、三歩引いた目線で挨拶する。昔ならこんな奴一発殴って根性鍛え直す場面だけど、それが出来る権力者が一人も居ない現代は平和的でこの上ない。

「彼は蒼嶋あおしま君。実は小学生の時クラブチームで一緒だったんだよ」

「俺がディフェンダーでチノルちゃんはフォワードだったんスよ~」そう言い合う二人の調子は決して不協和なものではなかった。

「……へぇ」共通の趣味を持つ男と社会人になって運命の再会を果たした訳か。私はその時代の彼女を知らないのに。昨日はコイツのことに触れてくれなかった。

 残る二人に向き直ると「紺谷こんやです。宜しく」一人は高い身長、落ち着いた風格で、「あ、ああ、藍馬あいばと言います!」一人は大きな眼と子供のように高い声でモジモジしながら言った。

「藍馬君はあたしより後に来た新人で、紺谷さんはこの道十年のベテランさん。彼女は傍から見るだけなので、いつも通り動いてください」智ノ瑠の説明に私は「すみません」と合わせて、「よーし」呼吸を整える三人は「今日の作業は……」仕事モードに移行し始めた。ヤーさんみたいな風体が一人は居ると準備していたが、健全な社会生活を送っているようで何よりだ。

 午前中の作業は、紺谷と蒼嶋がユンボを操縦して大胆に土を掘り起こし、ダンプの荷台に土を詰め込み、智ノ瑠と藍馬が地上で削り具合を観察しつつ、手持ちのスコップで微調整し、荷台が満杯になれば紺谷が何処かへ合法的投棄する、という分業が行われていた。普段何気無く通り過ぎてしまう工事現場の当事者となれば、無造作に放られた道具にも親近感が湧く。私は無遠慮に木陰から見守るけれど、炎天下で日焼けする彼らは発汗と呼吸に勤しみ、私が四人分身して初めて彼ら一人分の働きに追いつけるだろう重労働と比べれば、通勤と残業にしか体力を使わないホワイトカラーの方が低スペックではないかと思ってしまった。

 十二時半となれば「じゃあ一旦休憩しよう」紺谷の合図で作業を中断し、「あそこのラーメン屋で」という話振りからして共食が文化であるらしい。「眸も付いて来な」智ノ瑠が私の意を汲んでくれ、何もしていないのにお腹の空いた私はいつ以来だか思い出すのが厳しい豚骨ラーメン店に御一緒した。

「ヒトミちゃん、チノルちゃんとどういう関係?」早くも私に絡んで来た蒼嶋を適当に遇う様子を、藍馬はドギマギしながら、紺谷は興味無いように麺を啜り続けた。店主自慢の味はカップ麺と良い勝負だった。

 昼休憩が終わった現場には例の上司らしき厳つい顔が登場して、進捗はどうだ、昨日の阪神対巨人はどうだった、等と土工らしい会話が四人とキャッチボールされた。よく付いていけるなぁと智ノ瑠に感心するが、彼女にとっては当たり前なのだろう。

 午後も同様の作業が続いた。途中警備員が「では失礼します」と言って帰るのを安心して見届ける。「何時まで作業するの?」屈む脚が疲れてきたので訊くと「日が暮れるまでだからこの時季は六時過ぎまで」と友人は答えてくれた。

 仕事中も約四十分置きに喫煙休憩は取られ、その度に「チノルちゃん~」蒼嶋は一人の女にベタベタくっつく。私にとって最も危険な人物であるのは明白だった。

 そんな蒼嶋が仮説トイレに離れた瞬間、彼に近付きある言葉を囁いてみた。すると彼は「えっ」驚嘆の表情を見せた後、激しく興奮して「良いんスか?」と頬を赤らめた。「二人だけの秘密ね」私も恥じらうように言ってみせる。その後の彼の動きは倍以上機敏となり、一時の生産性にも役立ってしまった。

 言葉にしたら後は実行するだけ。私は皆が何処を掘り進めているか細かく観察した。スコップを振り回す、ボロボロのメジャーで距離を測る。一日通して参与観察すれば、この労働の虚しさが浮き彫りになってきた。

「明日は何処を掘る?」

「さっきマーカー立てた所。何、手伝ってくれるの?」

「手伝いにはならないと思うけど」念の為確認した上で夜を待つ。時間が経つにつれ人通りは減っていった。

 視界に曖昧さが生じて事故リスクが高まった頃、紺谷と智ノ瑠が目を合わせる。

「今日はお終い。皆お疲れー」智ノ瑠が宣言して、皆は「ふぅ~!」打ち上げモードになるかと思えば、伸びをする程度で淡々と明日の計画を立てる様はあくまでプロフェッショナルだ。ただし蒼嶋は緩んだ顔を私に見せる。

「どうした?家まで送って行ってあげるけど」ダンプに足を掛けた彼女が優しい言葉を掛けるけど、その誘いには乗れない。

「いや、夕飯買いたいから電車で帰るわ」私の言い草にふぅんと納得して彼女はもう一人に眼を向ける。

「蒼嶋君も帰らないの?」

「いや、俺も用事があるので」この下手糞が、と思いながらも三人は勘ぐること無く先に帰り出した。

「じゃあきちんと戸締りしといてよ」そう言い残して彼女を収める車も暗闇に吸い込まれる。

 誰も居なくなった野外に二人、「……じゃあ、行っちゃいますか」彼は最後のダンプへ歩いていく。私は側に落ちていた軍手を嵌めて置き放しの鉄器に触る。私の肉体の使い方はこれしか考え付かない。久し振りに体力を使うので、部活時代のように気合を込めて肩を回す。

 私はスコップで掘り続けた。

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