第15話 そのままで
「じゃあ、キョウちゃん。また、日曜に」
手を振って向きを変えようとした津久見の腕を、思わずつかんでしまった。怒られる、と思ったが、彼はただ振り返り、「何?」と言っただけだった。
「腕つかんでごめんなさい。あの……訊きたいことがあって。昨日のライヴのことなんだけど」
津久見は頷き、目で先を促してきた。
「昨日のライヴ、どうだったかなと思って。偉いって言ってくれたけど、本当の所はどうなのかと……」
「キョウちゃん、マイナス思考だよな。かっこよかったよって、ちゃんと言ったじゃん。信じてないんだ、オレの言葉」
ニヤッと笑った。恭一は首を振って、
「そうじゃないんです。でも……信じていないとしたら、それはサイちゃんじゃなくて、自分自身のことだと思います」
「キョウちゃん。君はそのままでいいよ」
思わず津久見を凝視してしまった。
「そのまま……」
「そう。そのままでいい。君の存在は、オレとバンドにとって重要なんだ。ずっと、アスピリンにいてくれるよね」
疑問形だが、やはり断れないような強さがあった。が、そういう言われ方だったからではなく、恭一は心から言った。
「サイちゃんたちに出て行けって言われるまで、いさせてください」
こんなに何かに執着したことはなかった。いつも、どこにいても、何となく疎外感があった。そんな自分にこんな言葉をかけてくれる人がいる。
津久見は恭一に微笑むと、
「もちろんだよ。これからは、君がアスピリンだから」
「えっと……それは荷が重いです」
「大丈夫。オレたちが後ろから支えてあげるから」
そう言って津久見は恭一の頭を撫でた。
日曜日。津久見に指定された駅の前に行くと、黒い大きな車が止まっていた。何気なくその方を見ていると、車から人が降りてきた。そしてその人は恭一を見て手を振ってきた。津久見だった。
「おはよう」
挨拶されて恭一も「おはようございます」と挨拶し返した。
「じゃあ、行こう」
促されて彼の後をついていく。例の車の前に着くとドアを開けてくれ、「どうぞ」と言った。ためらいながらも車に乗り込んだ。津久見もすぐ乗ってきたが、その動きの優雅なのを見て、この人はお坊ちゃまなんだなと思った。
「びっくりさせてごめんね。でもさ、ここが最寄り駅なんだけど、歩くとかなりの距離があるし、車で来た方がいいかなと思って」
何も言えずにいると、津久見は笑った。
「もっとリラックスして。大丈夫だから」
「あ……はい」
そう言われても、急にこの環境には慣れられない。
車はどんどん町を離れ、緑の多い所へ来た。そして、立派な家の前へ来ると門が勝手に開き、玄関前で止まった。そこには人がいっぱい並んでいて、圧倒された。車を降りると、その人たちがいっせいに頭を下げてきて、さらに驚いた。
そんなことはいつものことなのだろう。津久見は全く動ぜず、堂々とした様子で玄関を入って行く。恭一も緊張しながら彼の後についていった。そして、「どうぞ」と言われた部屋へ入った。
大きな窓からは外の光が差し込んで、広い庭が見えている。恭一には名前のわからない花々があちこちで咲いている。美しい。
「そこに座って」
「はい」
恭一が座ると、津久見もソファに腰をおろした。やはり、動きが恭一とは全く違うと思った。
その時、誰かが部屋に入ってきた。その人を見ると、津久見の表情が優しいものに変わった。
「この人、オレのばあや。この人がオレを育ててくれたんだ」
ばあやという存在がこの世に存在することに驚いた。
「お飲み物をお持ちしました」
テーブルに置かれたコップには、白濁した物が入っている。これは、あの甘酸っぱい飲み物だろうか。津久見は、恭一の考えを読み取ったように、
「これは、君が想像した物です。どうぞ。オレね、小さい頃から好きで」
津久見とこの飲み物。ミスマッチな感じがした。ばあやさんが部屋を出てから、つい笑ってしまった。津久見はむっとして、
「笑ったね。いいじゃん。好きなんだから」
「いいです」
いいです、と言ったものの笑いは止まらない。津久見はコップをテーブルに置くと、立ち上がり、
「笑いが止まるように、何か一曲弾くよ」
部屋の奥の方に置かれたグランドピアノに向かって歩き出した。
椅子に座りピアノの蓋を開けて深呼吸をすると、音楽を奏で始めた。何と言う曲なのか、恭一は知らない。が、とても心地いい調べだった。
演奏を終えると津久見は立ち上がり、恭一に向かって礼をした。その瞬間、大きな拍手が起こった。驚いて振り返ると、さっき玄関に並んでいた人たちがそこにいた。が、津久見が恭一の方へ戻ってくると、部屋からいっせいに出て行ってしまった。
「どうだった?」
津久見の問いに、力強く頷き、
「すごく素敵でした」
感動して胸が熱くなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます